2015年11月30日

4年間毎日書写を書き続けた母、そして、嬉しい奇跡が!! 《自叙伝書写の証し》



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毎日、書写をする母が
震えるほど怖がっていた父。
両親の幸せを願う娘。
そして……



自叙伝書写の証しです。
今日は、『郵送書写』の証しです。


私の母の証しをさせていただきます。

母は書写会が発足した2010年10月からずっと書写をしております。
4年間、一日も欠かすことなく毎日書写をおこなって、
毎月の書写奉納の日に間に合うように報謝と共に
「私の心を送るよ。」と言って、書き終えた書写を送ってきます。

最初は、私から勧められて始めた書写でしたが、
そのうちに「書写をしないとなんだか落ち着かない。
良い言葉を書くとお父ちゃんに優しくできる気がする」
と言うようになりました。

年に一度、帰省した折には、孫たちと一緒に家庭書写会をしてきました。
そのような母と一年位前から話してきたことが、
祝福結婚を受けて欲しい、ということでした。

実は、これまでも何度か母に祝福の話をしたことがありましたが、
「あんなお父さんとは難しい。
またそういう話をすると、家の中が大変になる」
と母は震えて首を振るばかりでした。

けれど、帰省した時に、浅川先生の『永遠の幸せ』のDVDを見てもらい、
この世でも幸せ、あの世でも幸せ、そんな永遠の幸せを
お父ちゃんとお母ちゃんにつかんで欲しいと伝えました。

すると、今回は母が書写をやってくれていたからだと思います。
「お前がお母ちゃん達の幸せをとても思ってくれていることがわかるから、
お父ちゃんに言ってみる」と力強く言ってくれたのです。

しかし、予想通り、父に理解してもらうことは簡単ではない状態でした。
母に対してはかなりきついことを言って、
怒鳴ったりしたのではないかと思います。
でも、母は黙々と書写をやりながら、
父へのアプローチをやり続けてくれました。

電話で様子を聞く度に、
「やっぱり難しい。お母ちゃん一人で良い?」と言ってくる母に、
「二人で来てほしい」と言うと、
「頑張ってみるわ」と応えてくれるという繰り返しでした。

ところが、11月に入って奇跡が起こりました。
まったく「うん」と言わなかった父が、
11月30日の祝福式典に来てくれることになったのです。

76歳の母ですが、ウエディングドレスがとても良く似合っていて、
あれ程抵抗していた父が、照れくさそうに、
母のそばで式に参加している姿に、胸が一杯になりました。

実家に帰る日、母が父に
「式典に出て、夫婦のあり方や家庭の大切さ、
天国のこと、きちんと教えてくれるところだとわかったでしょ。
そろそろ、娘たちを認めてやりましょう」
と力強く詰め寄って話したのです。

父は、いつもと違うパワフルな母に驚きながら、
「わかったよ」と言ってくれました。

私も、とても驚きましたが、書写をやり続ける中で、
母の心は神様への確信が強くなっていたことを、知りました。

毎日、コツコツと書写を続けた母の精誠を、神様はすべて知っておられ、
今回、父を導いてくれ、こんな大きな祝福の恩恵を
与えてくださったと実感しています。
本当にありがとうございました。



これは昨年の証しですが、おそらくこのお母さんは、
今も継続して書写を続けているに違いありません。
毎日、やり続けることによって、着実に
お母さんの心は変わってきたのだと思います。

また、面白いのは、『郵送書写』でも
証しが出るということです。
お母さんの意思が強くなければできないことだし、
娘さんが言うからやるのではなく、
お母さん自身も書写の『魔力』に
とりつかれてしまったのではないでしょうか。

実は、うちの教会でも、同じような方がおられます。
『郵送』ではありませんが、
教育センターに来るのは、毎月1回だけ。
ようするに、1ヶ月間、書いた書写を納めて
新しい書写をもらいに来るのです。

しかし、この方は、『魔力』にとりつかれています。
自営をしておられるのですが、
自分で立てた目標を必ずクリアーされるそうです。
それも、この自叙伝書写のおかげだと思っています。
本当にそうなんだろうと思います。

先日に紹介した『精誠の頂』の如く、
やはり、『継続は力なり』なのだと思います。


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2015年11月29日

三本の指で立ち上がれなければ、どうするのか?! お父様の答えは── 〈沈明玉サモニム 4〉



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真のお父様が、後ろを向かれながら
泣かれているお姿を、
わたしは何度も拝見しました。



沈明玉(シム ミョンオク)サモニムの証し、今日も続きます。

「沈清(シムチョン)は一度しか死ぬ機会はなかった。
わたしたちは、神様と真の父母様のために
命を懸けて生きる機会は一度しかない」
と、お父様は語られましたが、
昨日のすぐ続きからどうぞ。


(沈清の話に続いて)さらに、真のお父様は

「三本の指で
立ち上がろうとして
立てなければ、どうするのか?」

と言われたのです。

皆さん、三本の指で立ち上がろうとしても
立ち上がれなければ、どうしますか? 
答えてください。
五本の指で立ち上がればいいのです。

真のお父様は、

「三本の指で立ち上がれなければ、
二つの指で立ち上がれ。」


と言われたのです。
この話を理解することができますか? 
話にならない話です。

話にもなりませんが、真のお父様は、
わたしたちを強くりっぱな子女にしようと、
このように強く語られ、二本指で立ち上がろうと苦心し、
身悶えしているわたしたちをごらんになって、
心を痛めていらっしゃるのです。
そのような真のお父様でいらっしゃいます。


四本指(片手二本指)で、世界的な
ピアニストになることが簡単でしょうか? 
話にもなりません。
み旨を知らない人でも、話にならないようなことを
訓練することによって成し遂げています。

韓国に四本指の世界的なピアニストがいますが、
テレビで見たことがありますか? 
そのような障害を持った子供が、
訓練を受けることを通して世界的なピアニストになりました。
(※下に動画を添付↓)

そのお母さんは、子供の前で一度も涙を見せたことはありません。
お母さんがとても厳しい訓練をしたのです。
でも、子供がいない所でどれほど泣きながら
生活したお母さんだったでしょうか?


真のお父様は、わたしたちを普通の子供として
訓練しているのではないのです。
「三本の指で立ち上がれなければ、二本指で立ち上がれ。」
と言われるように、わたしたちを厳しく訓練される真のお父様です。

でも、そのように言われながら泣いていらっしゃる
真のお父様であることを、わたしたちは知らなければなりません。
真のお父様が後ろを向かれながら、
泣かれているお姿を、わたしは何度も拝見しました。

日本に難しい摂理を与えられれば、泣かれている真のお父様です。
真のお父様が、体を少し震わせ泣かれていることが、
その後ろ姿を拝見していると分かります。

どれほど心を痛めて生活されていることでしょうか? 
わたしたちは、涙を流される真の父母様を
慰労してさしあげなければなりません。


真のお父様が、わたしたちに大きな摂理を下さるとき、
日本の食口たちのことを考えると、
ご飯の味も分からずに過ごしておられるお父様です。
どんなにおいしいお食事を作って差し上げても、
召し上がれないことがよくあります。

召し上がらないときに、「お父様、おいしく作りました」
と申し上げても、「わたしは、いつも味が分からないまま暮らしている。
子供たちを苦労させながら、おいしい食事が喉に通るか」
と言われるのです。

ですから、真のお父様は、天正宮博物館にいようとされません。
暑いこの時でも、麗水の海に出られて釣りをされながら、
苦労している日本の食口たちのために祈祷されるお父様です。

麗水で日本女性が修練を受けていれば、
その日本女性を見ながら日本で苦労している
皆さんのことを考えていらっしゃいます。
真のお父様は、わたしたちを厳しく訓練されていますが、
いつも心を痛められ泣かれておられるのです。


わたしたちは、運動選手でいえば、
国家を代表する選手ではありません。
世界を代表した選手です。

天は、わたしたちを世界代表選手として訓練しておられるのです。
その訓練過程で落伍せず、訓練過程で合格してここまで残った皆さんは、
皇族になり、最後の摂理を担っていくのです。

最後の摂理の競技場に出る人は、
リレー選手でいえば、アンカーです。
であれば、最後のコースを走る人は、
選手の中でもいちばんりっぱによく走る選手です。
そういう人をここに立てて、最後の路程を行くのです。

神様の前に、わたしたちは最後の選手として選ばれたのです。
最後に走る選手の姿を一度、想像してみてください。
そのテープを切るまでは走ります。
頭の中は、一等を取って勝利することしかありません。



真の父母様に間近で侍ってこられたサモニムだからこそ、
このような証しをしてくださったのではないかと思います。

真のお父様は本当に親なのだなと思います。
そして、今は、真のお母様がそのように
私たちを見つめてくださっておられるに違いありません。

特に日本の私たちに対しては、
特別な思いをかけてくださっているに違いないのです。

沈明玉サモニムの証しは、また少しずつ紹介したいと思います。


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4本指のピアニスト


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2015年11月28日

沈清(シムチョン)のように生きたい! 生命をかけるのは、たった一度! 〈沈明玉サモニム 山苺3〉



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『沈清』のように
生きたいと
言ったではないですか?


──興進様が現れて言いました。



沈明玉(シム ミョンオク)サモニムの証しです。


わたしは、日本に来て生活をしながら、
最初は本当に大変でした。
天の前に勝利をおささげしたいと思いながらも、
勇気を出し切れず、天の前にも苦労して来られた皆さんの前にも、
申し訳ない思いを抱きながらいました。

わたしは、年も取って体も弱いので、
わたしには責任を果たすことは難しいという人間的な考えを持ったのです。

そのように思っていたとき、興進様が現れて、
「沈おばさん。あなたは、『沈清(シムチョン)』のように
生きたいと言ったではないですか?
『沈清』がどのように生きてきたのですか?」
と、わたしに言われました。

わたしの姓は「沈」です。
「沈清」の「沈」と同じ姓です。

興進様がそのように言われたのには、理由がありました。
それは、真の父母様の家庭で侍る生活が終えたとき、
お父様から「おまえは孝女・沈清のように親孝行であった」
という祝福の言葉を受けることが、わたしの願いであったからです。

興進様は、「あなたは、『沈清』のように
生きたいと言ったではないですか?」と言われながら、
わたしに沈清の一生を幻で見せてくださいました。


沈清が、目の見えない父の手を取って
ご飯をもらうために道を行くのですが、
通りがかったお坊さんが、「ああ、かわいそうに。
三百石の供米を夢雲寺にお布施すれば、
目を開くことができるのだが」と言って通り過ぎました。

その言葉を聞いた沈清は、
「どのようにすれば三百石の供米を
手に入れることができるだろうか?」
と、寝ても覚めても考え続けました。

ある日、清らかな処女を探し歩いている船乗りと出会いました。
沈清は、その船乗りに、「三百石の供米を下さい。
わたしが海の祭物になります」と言いました。

そのようにして、沈清は、三百石の供米を夢雲寺にお布施し、
お釈迦様に祈りました。

「お釈迦様! 三百石の供米をお布施いたしますので、
目の見えないわたしの父の目が開くようにしてください。
わたしが死ねば、目の見えない父に
だれがご飯を与えてくれるでしょうか?」
沈清は、必ず父の目が開くようになると信じました。

その後、沈清は王妃となり、お父さんの目は開くようになります。
沈清が死ぬことによって、お父さんの目が開いたのです。
沈清が死んだのですが、生き返ったのです。
冬山に山苺を採りに行った孝行息子の話と同じです。


このような沈清の一生をわたしに見せながら、
興進様はわたしに次のように話してくださいました。

「沈おばさん、あなたは偶然、
日本に行ったのではありません。
天は、あなたが日本に行って、
日本の食口たちと共に三百俵の米をつくって、
それを天の前にささげ、お父様の願いを
叶えるために日本に来たのです。
あなたは日本に行って、
そのように生きなければならないのです。」


わたしは、この話を真のお父様に
申し訳ない心情を抱きながら申し上げました。

すると、それを聞かれた真のお父様は大きな声で、


「沈清は二回死んだのか? 
沈清は一度しか死ぬ機会はなかった。

わたしたちは、神様と真の父母様のために
命を懸けて生きる機会は一度しかない」


と言われました。



私たちは地上に真の父母様に出会いました。
そのことがどれほど感謝か知れません。

また、こんなにも足りない私なのに、
天のみ旨を最前線で歩む道を示されました。
そのこともどれほど貴いか知れません。

だからこそ、神様・父母様が
私を通して役事できるように、
無私の心情で歩んでいかないといけないと感じます。

証しを読みながら、
そのようなことを感じました。


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posted by ten1ko2 at 06:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする