2015年11月01日

(米国の証し) お母様の願いは、伝道! 私たちの5%を果たす時、天が95%の祝福を下さる!!





今日はPeaceTV最新号に紹介されている
ミルハン・スティーブンス米国家庭連合副会長
の伝道の証しを紹介します。
(少しわかりにくい部分は編集しています)


バルコム米国家庭連合会長は、
「真の父母様をより正しく理解するためには、
天宙聖和3周年の前に少なくとも
天一国経典『天聖経』第4篇の2章と5章を読むように」
と言いましたが、2章は『私たちの成長と責任分担』です。

私たちは人間の5パーセントの責任に重点を置きます。
しかし、神様の95パーセントについてはあまり強調しません。

これは神様が私たちのために95パーセントを
果たして下さることを信じていないよう思え、
そのことは私たちにとって100パーセントを要求する
5パーセントの責任を成すにあたり
一方の橋だけを歩くのと同じことです。

私が悟った内容です。

私たちが責任分担を果たせば、
神様も必ず95パーセントの責任を果たされます。

理論的には素晴らしいのですが、
私の心の中に常に浮かんだ疑問は、
『私の責任は何か?』ということでした。
私自身の責任は何かを知れば、そこに全てを投入すればよいため、
責任分担はより容易になると思ったからです。


この主題について語るため、
真のお母様にお会いした経験について話そうと思います。

私はマリー・キュリーとカタリナ・コネリーと共に
副会長に任命されました。
任命された直後にラスベガスで進行中だった
伝道活動に参加しました。
はじめのうちは、私たちが何をすべきか分かりませんでした。

週末にそこに泊まり伝道チームと合流しました。
そして、路傍に出て人々を夕方のワークショップに
連れてくることが出来ました。

その翌日の日曜礼拝を終えた後、
真のお母様が私たちに会いたいという知らせを受けました。
実際は、真のお母様にお会いするとは知らず、
その日、私はネルのシャツを着ていました。
3人の副会長で、真のお母様にお会いしました。
私たちは部屋に入り正座し、
真のお母様のみ言を待ちました。

真のお母様が私たちにはじめて聞かれたことは、
「伝道をしましたか?」ということでした。
伝道をしてきて本当に幸いでした。
これは私たちがラスベガスに行った理由でもありました。
そのため「はい、お母様!」と答えました。

真のお母様は「対象者を連れて来ましたか?」
と訊かれました。
彼等を連れて来ることができ幸いでした。
「はい、お母様!」と答えました。
真のお母様は私たちの答えを聞き喜ばれたように見えました。


それからお母様はアメリカが大恐慌時代に
どのような状況だったかについて語られました。

『フーバーダムはただの美しく驚異的な建造物ではなく
希望の象徴です。
大恐慌時代にそのような建造物を造ることは奇跡のようなこと』
と語られ、新しく任命された指導者として
奇跡を起こすことのできる可能性を持っていると語られました。

その時、私は「うわぁ、本当に感動的だ」と感じた後、
「それは私たちが奇跡を起こすことを
願っていらっしゃるのだ」と考えました。


それから真のお母様は『霊の子を生むこと』
について語られました。
その内容はとても興味深いものでした。

私たちは伝道についてのみ語ってきましたが、
真のお母様は私たちを通して
真の父母様に出会える人がいなければ、
私たちは何も持っていないのと同じだと語られました。

私たちが聖和する時に持っていける
実体的な内容がないということです。
聖和する時に私たちが掴むことのできるものが
何もないという意味として理解しました。

真のお母様は氏族メシヤの使命についての
異なる側面について示して下さったということを知りました。
真のお母様は私たちに伝道の重要性を強調されました。

私は常にそのみ言を心に刻んでいます。
そのみ言を忘れたことがありません。
私が成すことのできる一番大きな奇跡は
霊の親になることです。


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責任分担について書いていますが、
5%を果たす時、95%の祝福があること。
このことを言っているのかなと思います。

アメリカの副会長は3人いますが、
みんな祝福二世だそうです。

具体的な伝道の証しは、明日お伝えします。


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