2016年01月26日

釜山到着、そして開拓!! 〜生涯の友であり弟子、厳徳紋先生との再会〜 《金元弼先生》



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厳徳紋先生☆


金元弼先生の受難と源流。
今日は、*厳徳紋(オム ドンムン)先生の入教と釜山での開拓伝道です。

釜山に到着したのが、1951年1月27日、
厳徳紋先生と再会したのが、1月28日のことでした。
今からちょうど65年前の証しです。

(先回のポムネッコルは、この年の8月に
建てたといいますので、それを遡った南下直後のお話です。
興南での12名の弟子についても、少し話されています。)


ニヵ月ほど過ぎたころ、
朴さん(朴正華氏、興南の弟子の一人の足がほとんど治ってきたので別れて、
先生と私だけが釜山に向かうことになりました。
途中、蔚山で初めて汽車に乗ることができました。

釜山に着いた最初の夜、先生は昔、ソウルで
日曜学校の先生をしておられた時の弟子の家で休まれました。
私は他人の家なので、共に世話になることができず、
ある食堂に就職して、そこに寝泊まりするようになりました。


先生は、日本で一緒に勉強していた厳徳紋さんに会われました。
そして厳さんの家に落ち着かれることになりました。

厳さんは、先生と学校時代(早稲田大学附属早稲田高等工学校)の同窓生であり、
互いに友達のような間柄で、先生は厳さんに
これからの理想世界に対するいろいろな話をされました。

すると彼の夢にイエス様の妹が現れ、
「私はイエス様のことで私の母に恨みがあります。
その恨みを解くには、大きな門があって、その中に小さな門があり、
またその中にさらに小さな門がありますが、
それを開けなければなりません。
その鍵を持っている人は文先生だけです」と言うのです。

その人は仏教の人ですから、キリスト教のことも
聖書の内容も全然知らないのです。
それで朝になって目を覚して、先生にお話しされるのですが、
その時はひざまずいて話しました。

昨日の夕までは、「君」「おまえ」と言ったのが、
その朝はひざまずいて、「先生」と言うのです。
そして先生に鍵のことを「それは何のことですか」と聞くのです。
そこで先生は、ずっと歴史をお話ししてくださったというのです。

そして、厳さんはそれからずっと熱心に先生と共に歩んでいらっしゃいます。


また、先生は金さんという弟子の家に
二週間ぐらいとどまられたこともありました。

金さんは北韓の興南の獄中での最初の弟子でしたが、
その後結婚して小さな家に住んでいました。
先生が厳さんと働いておられた時、部屋がありませんでした。
それで結婚して何日もたたない金さんの、
四畳の小さな部屋に行って一緒に暮らしたのです。

そこで先生は原理を書かれました。
『原理原本』です。
先生は厳さんと一緒に本の表紙を作る仕事をしながら、
原理を書き始められたのです。


ある時、先生は、「ここではどうしても原理を書くことができないから、
お前が下宿している所に私は行かなければならない」とおっしゃいました。
それで先生は私が下宿していた所に一緒に住まわれるようになりました。

その下宿というのは、三畳の部屋なのです。
だからもう先生の頭と足が壁にぶつかるのです。
そういう狭い所にいらっしゃりながら、先生は原理を書かれ、
また開拓伝道をされたのです。

先生は時々、私が働いている食堂に厳さんや金さんをお連れになって、
紹介してくださり、また私のことも二人にお話ししてくださいました。
そうすると、食口がとても多くなったような気がして、
私は本当に力がわいてきたものです。


そのころの先生は、あまり満足に食事をしておられないようでしたので、
食堂の主人に、私の尊敬する方なので
昼食を接待したいと頼むと、承諾してくれました。

そこで部屋にお連れしてお膳を整えると、すぐに御飯を召し上がりました。
それでもう一杯差し上げると、それもすぐになくなってしまうのでした。
そのころ、先生は召し上がるものがなくて、波止場に出掛けて夜は仕事をし、
昼には暖かい日の当たる所で休む、という生活をされていました。


小さな下宿に、食口たちが集まってきました。
ある婦人は、ソウルにいる時に信仰で交わった人で、
韓国の一流新聞の編集局長をやった人の奥さんでした。

その奥さんは四十年の信仰生活をして、
聖霊を受けて霊通するようになった方なのです。

その人の家を先生が訪ねて、先生の家を訪ねてくるようにと約束したのです。
それで訪ねてきました。その人は霊通する人ですから、
いろいろな話をするのも簡単です。

その人の信仰を先生はよく知っていらっしゃいますから、
結論的に何を言うかというと、
「世界の全部の人間と文鮮明と、誰が高いか祈ってみなさい」
と言われるのです。

先生のことを普通の青年ではないことは知っていましたけれども、
世界の人類と比べよということにはカッカしました。

そしてまた、イエス様を生命の中心としているその婦人に、
「祈ってみなさい」と言うのです。
それでその婦人はとても信じられなくなって、家に帰ってしまったのです。

帰ってからも先生に会いたいという気持ちはもうありません。
しかし先生のお話を否定しようとすると心が暗くなり、
納得しようとすると心が本当に平和になるというのです。

そこで、“これではいけない。
私は生命を懸けても祈って解決しなければならない”という決心をしたのです。
そして再び先生を訪ねて、私たちがいた家の前に小さな山があったのですが、
その山に登ってお祈りをしました。

「神様、この問題に対して教えてもらわねばなりません」と心から祈っていると、
「先生のお話のとおりだ。文先生が高い」というふうに教えてくれたそうです。
けれどもその人には実感がないのです。

そこでまたお祈りしていると、イエス様よりも、
無形の神が現れていつも教えてくださったそうです。

御主人から石をぶつけられて迫害されている時も、
いつもいつも無形の神が現れて、その人にいろいろと教えてくれたということです。

それは、先生が座っていらっしゃると、
無形の神がだんだんと先生の体の中に入って、
ついに見えなくなってしまったというのです。
これは何かというと、無形の神が先生の実体の中におられ、
先生と一体であるということの証を示しているのです。


そういうことがあって後、その下宿で先生が礼拝をされました。
しかし、部屋があまりに狭くて、どうにもこうにもできない貧しい生活でした。

先生はそのような貧しい生活の中でも、いつも歌を失われませんでした。
お友達の厳さんは歌が上手で、先生は何回も歌わせられました。

下宿から少し上がったところに、公共の墓地があって、
そこに平地が少しあったのですが、いつもそこに登って、
歌いながら瞑想にふけったりしておられました。


先生の開拓伝道を通して、一人を立てるために御自分のすべてを尽くして、
愛と真理で語られたということを知っていただきたくてお話ししました。

先生のそういうことを心に置いて、
先生が開拓していかれたその道をついていくのです。

本当の開拓というのは、先生が既になさったものですが、
開拓された時の心情をもって私もこの道を行ったら、それも開拓ということです。
開拓の伝道を通じて、父母の心情を所有するならば、
私の心は父母の心情と同じということです。

監獄で弟子になった人たちは、全部北に残っており、
南にいる人は、南に帰ってきて私がお会いした人が三人と、
まだ会っていない人が一人です。
計四人くらいです。
他の人たちは、今はもうどうなったか分かりません。



お父様の自叙伝には、釜山についた直後、物乞いをしたこと、
また、厳徳紋先生との出会いについても、書かれています。
お父様はそれまでの路程を話されるのに
3日3晩かかったということです。

そうして、厳徳紋先生が、お父様の弟子となったのですが、
今回の証しは、初めて知りました。
霊的な体験があったのですね。
その後、霊的な婦人の証しなどを通しても、
このころは多くの霊的体験があったことがわかります。

お父様が『一人を立てるために御自分のすべてを尽くして、
愛と真理で語られた』ので、役事が起こったのだと思います。

今、私たちが相続していく心情
まさに、開拓伝道の精神です。
お父様の心情を思いながら歩んでいきたいと思います。


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*厳徳紋(オム ドンムン)先生
 2012年天暦5月12日(陽暦7月1日)聖和。享年93。
 真のお父様の日本留学時からの友人であり、後にお父様を人生の師として仰いだ。
 世宗(セジョン)文化会館やロッテホテルなどを設計した韓国有数の建築家。
 真の父母様は嚴徳紋先生の聖和の報告を聞かれると、「天心(チョンシム)親舊(チング)」の揮毫
 と花を贈られ、霊界入城の道を祝福された。

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