2016年04月21日

子供は朝 起こさない?! 子供から「責任分担」を取り上げてしまっていませんか?!



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過保護、過干渉という言葉があります。
かわいい子供を前にすると
ついつい、口も手も出したくなるのも親心ですが・・・

多田部長の家庭力アップ講座。
今回は、「責任分担」の自覚です。


子供に教えたい責任は、日常生活の中で起きることに対して、
子供自身で積極的に対応していくことを通して学んでいくことができます。

子供がやるべき仕事は子供に任せることです。
そして、自分の起こした行動の当然の結果を
子供自身で体験することが重要だと思います。

責任分担を学んだ子供は、
自分次第で結果が変えられることを知ることができるし、
耐性や問題解決能力が育っていきます。

また、現実から目をそらすことなく、
しっかりと現実を見る勇気が育つようになるのです。
そして、成長しようという意欲が子供に生まれてくるのです。


@ 原因と結果から学ぶ

親が、子供のすべきことを手伝いすぎると、
結果として、子供が体験できなくなります。
体験のチャンスを親が奪ってしまっているのです。

ですから、子供が親の被害者ということになります。

ですから、下手をすると子供は、
「人のせいにする」ようになってしまいます。
子供が責任を果たせなかったことなのに、
親を攻めてしまうことが生じてくるのです。

そして、子供は、自分の責任分担であるべきことをしていないので、
責任の力を使っていないことになるのです。

そして、子供自身の人生を自分自身で変える力がないと感じてしまいます。
子供は、自分の人生を変えることに臆病になって、
自分自身に自信がなくなっていくことになります。

ですから、子供が責任分担をまっとうすることにより、
子供が体験すべきことを体験して行くことができます。
そうすれば、子供に問題処理能力が身についていくのです。

そして、葛藤することが上手になるのです。
また、具体的に結果を生み出す自信がつくようになります。


A責任分担が育つ手順

では、どのようにすると子供に責任分担を全うする心が育つのでしょうか。
「朝、一人で起きる」ことを例にして考えてみましょう。

A:子供と会話をする
  親:「朝、起こさないことに決めたよ。子供の自立のためにね」
  子供:「突然、困るよ。起こしてよ」
  親:「そうだよね。困るね」「でも、起こさないことに決めたんだ」

B:親としてどのようなサポートができるか話し合う

C:子供を起こさない

D:子供が、起きることができたら、子供が一人でできたことを認めてあげる
  なかなか、起きれなければ、またどのようなサポートができるかを再び話し合う

以上のように、根気よく続けていきます。
諦めることなく継続していきましょう。

統一原理で学んでいる、「責任分担」の生活化ができるようなレベルの理解は、
子供が成長していく上に非常に重要なことなのです。



「朝、一人で起きる」ですか〜。
4人のうち、一人朝が苦手な子がいまして。。。
これを実践したらどうなるでしょうか。

逆に、必ず朝は自分で起きる子もいます。
親としては、この違いは何なのか、と思ってしまいます(笑)。

子供の自立、責任分担のためには、
夫婦で話し合って、考えないといけないな、と思いました。

実は、昨日その一人に言ってみました。
「今度から、朝、起こさないようにしようと思うんだ」
そうしたら、あっさりと
「いいよ、別に。目覚まし時計で起きるから」
『いつもどうせ、起きないくせに』
そう思いつつ、今日を迎えました。。。

そして、朝になりました。。。
なんと、目覚まし時計の不調で
音が鳴りませんでした・・・(笑)
あきらめずに明日、リベンジしたいと思います。

こういう小さなことも
子供の自立心、責任分担の自覚を促すものであると思い、
子供たちに目を向けていきたいと思います。


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2016年04月20日

目撃した父の祈り! まさに告天文!! 《お父様と海と自然3》



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摩尼山から見る西海の島々☆


尹世元(ユンセウォン)元鮮文大学校総長による証し。

お父様は、ある島の霊山の頂きで、
海と山並みの素晴らしいパノラマを眺められながら
語られ、また深い祈りを捧げられたといいます。


1983年10月、文先生を迎えて江華島(カンファド)、摩尼(マニ)山に登ったことがあります。
頂上には檀君(ダンクン)が祭壇を築き、天神に祭礼をささげたという遺跡がある所です。

摩尼山から東西南北に見える景色は、本当に美しいです。
山と海、野原と空が、本当に見事な調和を成した所です。

文先生は、「本当に我が国の一連の山は、
世界のどこにも見られない独特な美しさがある」
とおっしゃりながら、西海(黄海)を指さして絶賛されるのでした。


「あの西海の穏やかな様を見なさい。
世界のどの海がこれよりもっと穏やかで、
これより平和的であろうか?

人類歴史を見れば、海を中心として無数の争いが起こり、
興亡盛衰を繰り返したが、この西海で、一度たりとも、
争いらしい争いがあっただろうか?」



また、文先生は北の空を見上げられて祈祷をささげられるのです。


「唯物論的共産主義の輩によって呻吟する
北の地と、善良なわが同胞を解放させて、
この地に
天のお父様の創造理想である
地上天国を必ず実現する責任を果たします」


文先生の表情は深刻で、謹厳であり、声は沈んだようでありながら
細く高い声を出し、額には汗の滴が流れるのでした。

文先生は、「天のお父様に親孝行をすることのできない子供たちを正しく導いて、
天のお父様に喜びをささげられるようにします」
という固い決意を神様に告げるのでした。

いわば、告天文とでも言うべき、決意文のような
内容と形式で神様に祈祷をささげられるのでした。

私は、足ががくがく震えるのを感じました。
共に立って祈祷をささげる弟子の中には、嗚咽して泣く人もいました。

文先生は祈祷をささげられるとき、理性で語られません。
ひたすら情で訴えられ、意志で決意を表明なされ、誓われるのみです。



尹先生を通して、
お父様の切実で深刻なご心情が伝わってきます。

そのお父様の切なる思いに、
神様が働かれ、イエス様が現れました。

少年時代、猫頭山で祈っているお父様に対して、
当時、近所の子供たちは、
『龍明お兄ちゃんは、山と相撲と取っているよ』
そのように表現しました。

私たちも足りないながら、2020年に向け、
お父様の切なる祈りを少しでも相続しつつ、
霊界のお父様、地上のお母様に
喜びをお返しする歩みをしていきたいと思わされます。

不定期に続きます。



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2016年04月19日

日本語版の原理講論ができた日! 恩讐を愛して、原理を忘れた劉孝元先生?!



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この原理講論は、早く出して、
みんな一生懸命勉強するように
しなくちゃなりません。

劉孝元先生



家庭連合(旧統一教会)の誇るべきものの一つが
原理であり、み言です。

昨日、真のお母様が釜山に行かれた様子を紹介しました。
ご存知のように、真のお父様が原理原本を執筆されたのが釜山でした。

原理を解明されたお父様に感謝しつつ、ネットを検索していたら、
日本版原理講論発刊40周年の証しを見つけました。

お父様が書き上げられた原理原本を元に
劉孝元先生が原理講論を書かれますが、
それが日本語になるまでの経緯はあまり知りませんでした。

また劉孝元先生についての証しが興味深いので
少し編集して掲載します。


『原理講論』を日本語に翻訳する経緯については、
「成約週報」第141号「原理講論事始め」の中で、
野村健二先生は次のように記しています。

「劉孝元先生じきじきの指導のもと、
原理講論の翻訳が開始されたのが、
1967年7月2日。
奇しくも3ヵ月目の10月2日、統一教会創立記念日に、
紙の香りも真新しい600余頁(ページ)の汗の結晶が、
父のみもとにささげられる運びとなった。

われわれは、たかだか汗を流しただけであったが、これが著されるまで、
どれだけ多くの血と涙が費やされたかということを考えると、
ただ感無量である。

最初の3週間ばかりは、李貞玉先生と張泳暢先生の
大変な努力によって下訳された原稿に、めいめいが手分けして手を入れ、
それを劉先生と他のメンバーの前で読み上げ、誤り、
もしくは稚拙と思われる個所を指摘していただき、
さらに書き改めるという方法で原稿を整え、
最後に野村がそれらすべてに目を通して
加筆添削するというやり方で仕事を進めた。


その間、劉先生の真理に対する厳しさと、子供のような純真さ。
半身がほとんど動かないという肉体的な悪条件を、
ものともせずに闘ってこられたこの偉大な、
しかし、極めて親しみやすい人格と日夜触れえたことは、
本当にうれしいことであった。

『ここの個所が分かるまでにわたしは2年かかりました。
ここは半年かかりました』
と淡々として語られるのだが、それを聞いていると、
実にさりげなく書き下ろされているように見える。

しかし、ほんの五、六行の章句の陰に、どれだけ多くの血をしぼるような
苦しい思索があったかということが、しみじみと思わされるのである。

『この原理講論は、くれぐれも早く出して、
みんな一生懸命勉強するようにしなくちゃなりません。』
劉先生のあの懐かしいなまりが、今日も耳に響いてくるような気がする。」


『原理解説』と『原理講論』をまとめられた劉孝元先生は、
平安北道定州郡に生まれ、1953年12月に入教。
劉孝元先生は、真のお父様が直接書かれた「原理原本」を読み、
真のお父様に会われる前に、このみ旨の道を歩むことを決意します。

韓国統一教会の草創期、劉孝元先生は3年8ヵ月間(または3年半)
1日16、18時間、毎日講義をした記録があります。


小山田秀生先生は、1967年の「原理大修練会」について、
次のように語っています。

「1967年6月12日に、真の父母様と三人の子女様と
韓国の先生がた(10人)が来日されました。

『原理大修練会』では、真のお父様は劉孝元先生が講義する横におられて、
ポイントごとに解説されました。

真の父母様ご一行が、羽田空港に到着され、
タラップから降りられたときのことを今もよく覚えています。

真のお父様は孝進様を抱かれて、虎のように堂々としたお姿で
タラップを降りて来られました」


「続いて、杖をついて深刻な顔をして降りて来たのが、劉孝元先生でした。

ところで劉孝元先生は、総序から再臨論まで
『原理講論』を全部暗記して来られたのです。

劉孝元先生が日本に来るに当たっていちばん心配だったことは、
怨讐の中の怨讐である日本人に会ったときに、
日本人を赦す気持ちになれるかということでした。

劉孝元先生は、食口を見た瞬間、日本人が敵であることを忘れただけでなく、
暗記してきた『原理講論』も全部忘れてしまったと言われました。

そのため、『原理大修練会』では、『原理講論』を読みながら講義されたのです。
いわゆる訓読式原理講義でした」



劉孝元先生はお父様と同年代ですので、
日本語が流暢だったのだと思います。
ですから、日本語の翻訳作業にも携わったのでしょう。

日本人が『怨讐の中の怨讐』とありますので、
詳しいことはわからないのですが、日本植民地時代に
親御さんとか、近しい方、あるいはご自身が
多くの苦難を受けられたのではないかと推測されます。

しかし、食口たちを見て、その恩讐の思いが消えました。
暗記されていた原理も忘れてしまった・・・
何とも興味深いエピソードです。
それだけ衝撃的なことだったと思います。

恩讐を愛されるお父様に近くで侍られながら、
日本人の食口たちに会った時に、
「怨讐の日本人」という思いでなく、
神様を中心とした弟、妹たち・・・
そんな思いを持たれたのでしょう。

その思いに感動して、
み言を忘れてしまったのではないか・・・
そのように思わされてなりません。

このような証しを通しても
『真の愛と真理により、
世界は必ず一つになる』
そのことを教えられているような気がします。



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posted by ten1ko2 at 16:02 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする