2016年10月28日

(証し) 地域伝道10年! 食口の両親が祝福へ!! 神様の喜びがここにある!!!



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訪問伝道を通して、
食口のご両親を祝福に導いた証しです。


伝道任地で歩み続けて10年、食口の両親を祝福に導く

私は自宅の近所を伝道任地として決めて歩んでから10年位になります。
伝道は主にハガキ配布、自叙伝、書写などを通じて行い、
合間を見て1〜2時間歩む時もあれば、
30〜40件程まとめて訪問することもありました。

摂理に十分に応えきれていない私は、
「伝道こそが応えられる道だ」と信じ、なかなか神体験できないので
「神様に出会いたい」という動機で歩みました。

継続して何度も任地を周りましたが、
殆どが否定されるか留守という状況が続き、とても厳しいものでした。
「任地を他に変えようか」という思いも沸きましたが、
「神様だったら救うまで歩み続けるはずだ。
私がこの地を愛し続けて行こう」と決意し直し、
勝利するまで歩みました。


時には、外的な歩みになってしまうこともありましたが、
3年程前から教会で書写の取り組みが始まって以降、
「書写を通して幸せにしたい」と歩み続けるなかで、
ある“お母さん”に出会う事ができました。

その日、私がお母さんの家を訪問して書写を勧めると、
快く書写をして下さいました。
私が家庭連合について明かしたところ、
驚くことに「娘と同じだ」と言われました。
韓国にお嫁に行ったある姉妹の母親だったのです。
ご主人が癌を患っていることもわかりました。

お母さんは、健康祈願を念じながら書写されました。
お試し書写をお渡し、その日は帰りました。
私は「韓国にいる娘さんも中々帰国する事も出来ないだろうし、
何か役に立てる事があれば」という思いでした。


1週間後に再度訪問したところ、お母さんは
「申し訳ないけど返します」と書写を返却してこられました。
「どうしたんですか?」と尋ねると、
お母さんは「すみません」と言いいつつも警戒した様子で、
お父さんに気遣う様子も伺えました。

私は残念に思いましたが「また寄らせて下さい」と言うと、
「はい」と答えてくださいました。


それから数ヶ月間、忙しさ故にお母さん宅に訪問することが出来ませんでした。
9月に開催する祝福式に向け、地区長の願いを受け既成祝福を強く意識するなか、
基台で祝福対象者の打ち合せをしていた時、
書写で出会ったお母さんを思い出しました。

ちょうど娘さんと同い年で面識のある方がいることがわかり、
すぐに2人でお母さん宅を訪問。
お母さん宅で家庭書写会を開く事ができました。


ご主人は癌が進み5カ所に転移しており、
「今年もつかどうか…」(お母さん)という厳しい状況でした。

私達はすぐに韓国の娘さんに連絡を取りました。
娘さんは「お父さんは教会に反対してみ言は分からないけれど、
お母さんは以前、トレーニングの手前くらいまでは、み言を学んでいました。
今はお父さんの身体が心配なので、できたら祝福をしていただきたいです」
との願いを託してこられました。

私達が改めて祝福式参加を訴えると、ご夫婦での参加が決まりました。
そして急いで教会長に相談し、
2日後に祝福式が執り行われることが決まりました!


祝福式当日、お父さんは、
教会に反対しているとは思えないほど穏やかに私達を迎えて下さいました。

「娘にお願いされたことは断れない」と、
喜んで聖酒を飲んで祝祷を受けられ、
蕩減棒の儀式では「お母さん、ごめんなさい」と謝っておられました。

式の全てが終わると「これでお母さんと天国に行けるのか〜。
俺一人だけ地獄に行くと思ってたや〜」とお父さんから本音も聞けて、
とても温かい祝福式となりました。


私は「こういう事ってあるんだな」と、霊界の強烈な協助を感じましたし、
地上で基台を組むと神様は役事して下さる事を実感しました。

霊の子は出来ませんでしたが、今回の件を通して
神様の愛と導きを感じると共に、
ご両親と娘さんが喜ぶのを見聞きして純粋に嬉しく、
「この喜びが神様の喜びなんだ」と実感できました。

これからもこの任地を愛していきたいと思います。
天の父母様、天地人真の父母様の導きと皆様の精誠に感謝致します。
ありがとうございました。



『自宅の近所を伝道任地として決めて歩んでから10年位』
この決意は本当に素晴らしいと思います。

地元の人たちに家庭連合を証しする、
本当に神氏族メシヤとしての真剣な決意がないと
難しいことなのではないでしょうか。

『路傍伝道より氏族伝道』
そのように叫ばれている方もおられますが、
実家が地方の場合は、田舎に帰る時に伝道するわけで、
自分が住んでいる拠点で伝道してないという意味ですから、
本音を言えば、「どうなのかな」という疑問も残ります。

私も地元の人間なので、
そういう意味では駅前での路傍伝道は闘いがありました。
それ自体、御父母様に申し訳ないのですが。。。

しかし、継続して歩むことを通して、
近くの人にも私が演説している姿を見てもらったり、
この前は、中学時代の同級生と前線で出会い、
今度、話をすることになっています。

ですから、今回の食口のご両親を祝福に導いた方は、
地元で歩んだ精誠の土台で、
出会ったに違いないと確信いたします。
私たちも相続しないといけないですね。。。


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2016年10月27日

野村健二先生の霊に捧げます! ♪「しあわせってなんだろう」 お父様も愛された歌! 



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聖歌「しあわせってなんだろう」を作られた
野村健二先生が、先日聖和されました。

聖和式の様子は こちら です

お父様もこよなく愛した「しあわせって何だろう」
(下にお父様の歌声を、掲載しました。)
作られた背景が
『聖歌のゆかり』にしるされています。


一九六七年五月のことでした。
東洋大学の講師だった野村健二先生は、
授業の始まる一時聞か三十分前に行って準備をするのが常でしたが、
その道で、ふっと、この歌の最初の一行が浮かんできたのだそうです。

「しあわせってなんだろう」と。

野村先生はベストセラーになった
『窓ぎわのトットちゃん』(の黒柳徹子)と同じトモ工学園出身で、
創造性豊かに育ったかたです。

歌を作るときも、言葉とメロディーが同時に浮かんでくるということです。


「私の関心は愛よりも、創造性とか向上のほうに強く向けられるんです。
だから、幸せってなんだろう、という問いかけに、
初めに浮かんだイメージは三番の『ひばり』なんです。

どんなに高く飛んでも、まだ上には空があるじゃないか。
それがとても気に入りました。
どれだけ行っても先がある、
どこまでも向上していける喜びですね。

だから三番を最初に作って、あとから、
一番(愛)、二番(美)、そして四番(信仰)というふうに作っていきました。
三番は希望を表していたわけです」

今は教会員であればだれでも知っているこの歌も、
作られた当初はあまりピンとくる人がいなかったようです。
げらげら笑う人もいたようです。


この歌をたまたま柳光烈先生の夫人、大山君子さんが覚えていて、
文先生が「君子さん、何かうたってごらん」と言われたときに、
初めてお聞かせしたというわけです。

「それ、とてもいい。とてもいい歌だね」

文先生は非常に気に入られ、何度も聞いて覚えられ、
ご自分で口ずさまれるようになりました。

その後、何回か、責任者たちや学生たちが訪韓した際、
先生はよく、この歌に合わせて踊るようにと言われました。

「子どもみたいな気持ちになって踊るんだよ」

美しい澄んだ空、清平(チョンピョン)の湖の色、
雪岳(ソラク)山の木々の色……その中にこだまする歌声。
ひばりのまね、羊のまね、狼のまねを、文先生もなさりながら踊り、
三六家庭の先生がたも一緒に入り交じってうたい踊る楽しさ。

それは今も忘れがたく、日本の教会員の胸に刻まれている思い出です。


また、マジソン大会の前、アメリカに行っておられた野村先生を、
文先生は船で一緒にマグロ釣りに連れていってくださいました。
そのころ野村先生はうつうつとした心の状態でした。

すると、当時十三歳くらいの孝進様が
「あなたが『しあわせってなんだろう』を作った人でしょう。
私はとてもあの歌が好きです」
と、英語で話しかけてくださったのです。
野村先生は、その孝進様の慰めを感じ、
優しいかただとしみじみ思ったそうです。

なお、リトルエンジェルスにもこの歌が推薦されたので、
各地でうたわれ、レコードにもなりました。
これからも「しあわせってなんだろう」は愛され、
うたい継がれていくことでしょう。





↑上の動画には、『聖歌のゆかり』の解説のように、
お父様が日本の食口と歌っている音声が入っています。





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野村健二先生は、東大出身。
頭脳明晰で、自動書記のように、
すらすらと文章を書くことができたそうです。

普段は一見浮世離れしたような方であり、
大学で教壇に立った時、ズボンを前後逆にはいていて
学生に指摘されると、そうかと、その場ではき替えたという
嘘のようなエピソードの持ち主だということ。

学者肌で、本当に表現しない人でしたが、
とても感性の豊かな方であり、
『しあわせってなんだろう』
『手をつなごう』を作られました。

祝福双としては43双になりますが、
1969年5月1日、日本初の祝福として12双と共に受けた
既成10双の大先輩です。

奥様も共に活躍され、6人のお子さんも
家庭を持たれています(一人は祝福準備中)。

地上でも活躍された野村先生ですから、
霊界でも、お父様の元で、
様々な活動をしていかれると思います。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。




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野村健二(のむら・けんじ)
1966年入教、43双(1969.5.1) 
ガーナ国家メシヤ 元統一思想研究所所長。作詞・作曲家。

1933年石川県金沢市生まれ。
トモエ学園(小林宗作校長)で学んだ後、1958年東大文学部卒、65年同大学院博士課程終了。東洋大講師を歴任。
著書に「創造性の開発 あなたのかくれた能力を引き出す法」(恩田彰共著 1964年講談社ブルーバックス)
「創造性の探求」(明治書院)
「トモエ学園の仲間たち」(1983年三修社)
「イエスの福音とパウロの福音」(1993年光言社)
「統一教会に疑問を抱かれるあなたへ」(広和)
「『創世記』の科学 脳と心の問題に答える」(1992年世界日報社)
「幸福への『処方箋』 統一原理のやさしい理解」(2008年光言社)
「誤解されたイエスの福音」(2011年光言社)など多数。



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posted by ten1ko2 at 11:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

最終回! このお方が、そのお方、再臨主、真の父!! お父様、ご来日の証し 《mrs.千鶴子ロニヨン》6



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ロニヨン千鶴子さんの証、今日で最終回です。
真のお父様との最初の出会い、
どのような出会いだったのでしょうか。。。


東北地方で伝道活動を続けていた私は、再び関西方面に行き、
その後、北陸の地に派遣されるなど地方を回っていました。
そのような中、やがて再臨のメシヤであられる
真のお父様をお迎えする時がやって来ました。

一九六五年一月二十八日、ついに私たちが待ち焦がれた文鮮明先生は
日本の地に降り立たれました。

このとき私は、広島教会にいたので
この歴史的な瞬間を目にすることはできませんでしたが、
東京の本部からの連絡を待ちながら
先生ご一行の巡回される日のために心を尽くして準備をしていました。

広島教会には当時、神山威さん、岩井裕子さん、今井繁行さん、
そして私などの献身的メンバーと、
地元の青年たちや壮年婦人部の人たちが共に活動していました。

特に婦人部の林信子役事(一九七八年昇華)は、
若い私たちを支えて経済的にもいろいろと援助してくださいました。
真のお父様が来日されたこのときも、
ご一行をお迎えするために大いに張り切っていました。


以前から私たちは、西川先生から
メシヤ観についていろいろと教育されてきましたが、
キリスト教から来た者にとっては
真のお父様をお迎えすることは緊張の極みです。

二月四日、いよいよご一行が来られる日がやって来ました。
私たちは広島駅にお迎えに行きました。
列車から降り立たれたそのおかたは、
微笑を浮かべて私たちに応えてくださいました。

大きなかたであるというのが、私の第一の印象です。
そして私は、「このおかたが、そのおかたである」
と心の中で反復していました。


ご一行が広島教会に到着されると、すぐに文先生の説教が始まりました。
皆、その力強いみ言に吸い寄せられるように聴き入っていました。

そのときです。
突然そのお顔から、はらはらと涙がこぼれ落ちたのです。

説教の中で、イエス様のことを話されていた時のことであったと思います。
そのとき私は、すごいショックを受けたのを今でも覚えています。
私はこのおかたが再臨の主であり、実体のお父様であると実感しました。


それから歓迎会が始まり、私たちは真のお父様の大きな愛の中に
すっぽりと包まれてしまい、楽しいひとときを過ごしました。

西川先生が私たち一人ひとりのことを誇らしく紹介すると、
真のお父様は深くうなずいていらっしゃいました。
おそばにおられる崔元福先生も、絶えずにこやかにされて
一人ひとりを優しく見守っておられました。

お食事をお出しする時になりました。
何日も前から岩井裕子姉と頭をひねりながら試行錯誤を積み重ねた結果、
韓国料理と言えるかどうか分かりませんが、
とにかく精誠を尽くして料理したものを真のお父様にお出ししたのです。

真のお父様は、それを召し上がりながら「おいしいよ」と言われて、
わかめスープをお代わりしてくださいました。


やがて楽しい和動会も終わりに近づき、
皆で聖歌「栄光の賜物」を讃美しました。

 はるかに輝く栄えの光
 強く生きよ自由の生命
 この地の果てまで目覚め立て
 生命の光、永遠にあり
 生命の光、永遠にあれ

歌っているうちに、私は胸がいっぱいになり込み上げてくるものを
ぐっと抑えるために下を向いて耐えていました。

泣くまい泣くまいと我慢していたのですが、
ついに堰を切ったように声を上げて泣いてしまったのです。
泣くというよりは、嗚咽といったほうがよいかもしれません。
もう止めようとしても止まりません。


そのとき、私の目の前に座っておられた背広姿の真のお父様の姿が、
突如として変貌したのです。

私が見たのは、真っ白い衣を召されて
大きな雲の上に堂々と座していらっしゃる
再臨の主の栄光に輝いたお姿でした。

私の背後から天に至るまで、霊界にいる
キリスト教徒たちが列を成して連なっている光景が見えたのです。

再臨の主をお迎えしたこの佳き日、
肉体を持っているこの私を先頭にして、
霊界のクリスチャンたちが神様を褒めたたえ、
再臨主に敬拝をおささげし感激してむせび泣いているのです。

後になって考えてみると、これは多分、
霊界で実際に起きていた出来事だったのではないでしょうか?


 死から蘇きたこの我は
 蘇かしたお方に抱かれて
 永遠の愛と恵みの声
 いついつまでも喜びを
 いついつまでも讃めまつれ

なおもしゃくり上げていると、ふとこの光景を
客観的に眺めているもう一人の私がいることに気づいたのです。
その私の耳に、この聖歌がいつまでも厳かに響いていました。



イエス様のことを思って、
涙される真のお父様。。。

イエス様の本当の心情をわかるからこそ、
心からの涙を流されました。

そして、千鶴子さんは、その涙を通して、
お父様を「再臨の主」として
心から実感されたのでした。

そのお父様は、霊界において、
家庭連合の大先輩たちをはじめとして
多くの絶対善霊たちとともに、
総進軍しておられます。
特に真のお母様に対して、
絶対的な協助をしているに違いありません。

ロニヨン千鶴子さんの証を通して、
信仰の原点に返らされました。
心から感謝したします。。。




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