2016年10月05日

(証し)仙台の地がみ言で熱く燃える?! リベンジ開拓伝道!! 《mrs.千鶴子ロニヨン》4



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あまりにも幼く、
足りない者でありますゆえ、
どうぞ力を与えてください! 
仙台復帰の道を開いてください!


ロニヨン(旧姓 春日)千鶴子さんの証し。
今回は、仙台開拓伝道です。

クリスチャンだったロニヨンさんは、
入教3ヵ月で仙台に行きましたが、
キリスト教会から異端として迫害を受けるようになり、
警察沙汰にまでなりそうになったので、40日の半ばで
東京に引き上げざるを得なかったといいます。

1年後、リベンジのため仙台に向かったその時の証しです。


1962年の夏、私はまた仙台行きの「お召し列車」に独り乗っていました。
夜行列車に揺られながら一年前の苦い経験を思い出しました。
今度こそは、仙台の地に統一教会の旗を掲げてこようと心の中で何度も固く決意し、
いろいろと考えにふけっていました。

そしていつの間にか、うとうとと眠りに落ちていってしまいました。
眠りから目を覚ますと、夢を見ていたことに気がつきました。
と同時に今、見ていたその夢が鮮やかによみがえってきたのです。

それは仙台の鉄道が真っ赤に燃え上がり、爆音とともに崩れ落ちていくという夢で、
目覚めた後も脳裏にはっきりと残るような啓示的な内容でした。
その夢は仙台の地が、成約のみ言によって燃え上がることであると悟り、
勇気を与えられました。


やがて、終着駅である仙台に降り立った私は、
まず仙台の地を見渡せる高台がある、
かつての伊達藩の仙台城跡である青葉城公園まで登って行きました。

そこで仙台市街を眺めながら、復帰の固い決意に燃えて天に祈りをささげました。
それから駅前で、路面電車の一か月間の定期券を購入し伝道開始です。


仙台の地でこれからどのようにして伝道するかを考え、
昨年の夏に知恵が足らずに追い出されたキリスト教会から、
もう一度訪ねて行くことにしました。

仙台という所は、比較的多くのキリスト教会があります。
教会を訪ねると、また来たという顔で「結構です」と、
すぐにドアを閉めてしまう牧師もいれば、
部屋に入れてくれてお茶を出してくれた牧師夫人もいます。

ある牧師は「若いのに感心だね」と言って、
「礼拝堂でもよければ、泊まってもかまわない」と言って、
しばらくの間、滞在させてくれました。

仙台にある教会という教会を徹底的に訪問しました。
牧師たちに会って、終末時代が到来したことを告げ、
「統一原理」を紹介し、聖書の解釈についていろいろと話し合うのですが、
ほとんどの聖職者たちは「異端だ!」と叫んで、聞く耳を持ってくれません。

教会から追われるようにして出て行くときは、悔し涙でいっぱいになり、
しばし人目もかまわず泣きながら祈って歩きました。
再び勇気を与えられて次の教会に向かうときには、
また笑顔をつくって教会の門の前に立つのです。


夕方には、路傍伝道をするために仙台駅前に行きます。
毎日決まった時間に駅から「荒城の月」のメロディーが流れてきました。
そのもの悲しい曲を聞きながら、足早に家路を急ぐ人々の姿を見ていると、
このように独りで伝道する身の寂しさをひしひしと感じたものです。

しかしそのような気持ちを打ち払い、自らを奮い立たせてマイクを握り、
「愛する仙台の皆様! ご通行中の皆様!」と、
民衆に向かって叫ぶとだんだんと熱が入ってきます。

人々は何事が起こったかと驚いて、私を遠巻きに眺めています。
そうして最後まで聞いてくれた人たちを通して、
伝道する人脈を広げていきました。


夜は教会での夕拝、聖書研究会、祈祷会などに参加して、
「統一原理」を聞いてくれる人々を見つけるために、
必死になって歩き回りました。

しかし次第にうわさが立ち、牧師たちから
「教理が異なるので、うちの教会には出入りしないでほしい」
と断られることが日常茶飯事となったのです。


一日の活動を終えて、夜遅く明かりのついていない
真っ暗な礼拝堂にただ寝ることだけのために戻るとき、
私はたまらない孤独感に襲われ天の悲しみが
この自分の胸に実感として伝わってくるのでした。

「愛する天のお父様! 
ここにいるあなたの娘は、お父様の六千年間の悲しみのご心情が、
少しずつ分かってまいりました。
しかしあまりにも幼く、あまりにも足りない者でありますゆえ、
どうぞこの身を支える力を与えてください! 
どうぞ仙台復帰の道を開いてください!」
とただ泣きながら、必死で天にすがり祈るしかありませんでした。


仙台で成約のみ言を伝えていくときに、
キリスト教会からあまりにも「異端だ、異端だ」と言われて迫害されました。

彼らの微動だにせず楽しくして栄えている姿を見ると、
私の心の中でこの道に入ったことが、
果たして正しかったのだろうかと一瞬、心をよぎるときがありました。

そのとき私は、原点に立ち戻って考えてみました。
そして自分に言い聞かせたのです。

私がこの成約の道に来ることができたのは、
キリスト教の信仰の土台があったからであり、
自分の生涯をささげた神様とイエス様によって、
明確に示された道ではなかったのかと。

もしこの道が間違いであるとするならば、
それは私のキリスト教の信仰の土台がすべて崩れることであり、
私がクリスチャンであったということも否定しなければならなくなってしまう。
ですから、これからは一瞬たりとも疑うようなことをしてはならないと自分を戒め、
それ以後、一度も迷うことはありませんでした。


私は仙台市内に、伝道活動の拠点をつくらなければならないと考え、
午前中はそのために廃品回収をすることにしました。
私がリヤカーに荷物をいっぱい積んで運んでいると、
バス停にずらりと並んでバスを待っている大勢の人々が
一斉にもの珍しく眺めていました。

私は心の中でいつの日にか、この仙台の人々の中から「統一原理」を聞いて、
再臨の主を迎えることができる人々が出てくるに相違ない
と考えながらリヤカーを引いたのです。

廃品回収で作ったお金と高田さん(初めに伝道された婦人)の献金を合わせて、
間もなく「新坂通り」という場所に一部屋、間借りすることができました。


東京の本部から地方に開拓伝道に出るとき、
西川先生はそれぞれに開拓教会の看板を書いてくださいました。
大事に持参してきたその看板を、間借りした二階の窓際に掲げました。
看板には、「世界基督教統一神霊協会 仙台教会」と記されていたのです。

後で考えると、そこの部屋を貸してくれた家主さんも、
随分、私たちに好意的な人だったと思います。

早速、本部に新しい住所を連絡すると、伝道用のパンフレットが送られてきました。
これで本格的に伝道していくことができるようになり、
また新たなる気持ちで出発したのです。


このように象徴的ではありながらも、仙台に統一教会の旗を掲げたのですが、
実体の条件として三人の基台をこの仙台の地から立てなければなりませんでした。

そのころ、後に入教して祝福家庭となった二人の姉妹、
佐藤孝子さん(現、南夫人)と山崎節子さん(現、葛上夫人)も、
「統一原理」を聞きに通って来るようになりました。

しかし私の心は焦るばかりです。
教会伝道、家庭訪問、路傍伝道、大学のキャンパスなど、あらゆる分野で伝道しました。


徐々に「統一原理」の講義を聞いてくれる人も増えてきましたが、
最後まで受講して喜んでくれた人たちが次に会ったときには
心が全く変わってしまっているのです。

そのようなときには、私の胸はつぶれるような思いでした。
「天のお父様! あなたの娘はここにおります。
人々が裏切っていっても、私はあなたから去りません。
天のお父様のご心情を知ったからです」
何回も何回もこのような経験をしては、涙して天に祈ったものでした。

(一部編集、文責:ten1ko2)



若い女性が一人でマイクをもって街頭を練り歩いたり、
リヤカーを引いて廃品回収をする姿は、
はたから見れば異様な光景だったに違いありません。

しかし、777双の先輩をはじめ、
古い先輩たちはたった一人でも
天のみ旨を果たすために
切ない思いをもって歩んでいかれたのでした。

その姿は、天から見れば、
どれほど希望であり、支えになったか。。。
かつて山の頂上に箱舟を作った
ノアの姿に重なってきます。

先輩たちの歩みを思えば、
今の私たちの立場はどうでしょうか。

たとえ街頭でタスキをかけ、ノボリを立てて叫んでも
大きな迫害はほとんどありません。
先日も「近寄るな!」
大声で罵った男性がいましたが、
すぐに立ち去ってしまいました。

今は、氏族伝道・地域・友人・知人伝道が主流になってきました。
それができる時代となりました。
だからこそ、かつての先輩たちの心情を相続し、
立ち上がっていくときだと思います。

ロニヨンさんは、仙台の地で
迫害を越えて、後のある大物食口と出会います。
続きはまたの機会に・・・



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