2016年10月06日

お父様の生活伝道! 間違いの指摘は、その場でしない?!  《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の「生活伝道」
今回は、『実践を通して教え諭してくださる先生』です。


私たち自身が本当に先生の伝統にならって、
個人は家庭のため、家庭は氏族、民族、国家、世界、
そして神のためにという生活伝統を、
僕の僕として本当に努力しようとするならば、
私たちと共にあるメンバーたちも
そういう私たちを見つけることができるようになるでしょう。

新しい人を連れてくるにしても、そういう奥深い先生を知っているのですから、
常にその人に先生について全部証してあげるようになるのです。
そうすると、先生にお会いする前に、
既に先生に対するそういう心を準備して来るようになるのです。

み言を聞くにしても、このようなお方から来るみ言ですから抵抗感もなく、
そのまま受けようという心になるのです。
ただみ言だけ聞き入れるのではなく、
その人格までもすべてを受け入れるようになるというのです。


そういうことを期待しながら先生は、私たちを教育し、
ここまで導いて真の父母の代身という親の立場に、
またアベルの立場に私たちを育ててくださったのですから、
私たちもメンバーの前にそのようなリーダーにならなければならないと思います。

先生は私が何か間違っても、「なぜそんな間違ったことをするのか」、
というふうには教えてくださいませんでした。

先生はみ言を通して、原理を通して、
そしてご自身の思いやりの生活を通して、
私が気づくように教えてくださいました。


ある時、先生はある一人の人の生命を復活させるために、
熱心にみ言を語っておられました。

それは夏の暑い日で、小さな部屋だったので、
外的な雰囲気はいいものではありませんでした。
私はその隣にいて、同じくみ言を聞きながら居眠りをしてしまいました。
先生はその時は私に何も言われませんでした。

その日の夕方のこと、丘の上から海が見えたので、
先生はいつもその丘の上に登って海を眺めながら
瞑想の時間をもっておられたのですが、
そこに行って下りてくる途中のことでした。

先生は少し休み時間を取り、とても静かな声で私に話してくださいました。
「きょうのような日、先生が一人の人にみ言を語っている時に、
隣で昼寝するのではないですよ」と。

このみ言は非常に優しいみ言ではありましたけれど、
私の心に大きな衝撃を与えて、私は涙がぼろぼろと流れて仕方がありませんでした。

このように先生はご自身の実践を通して、
そして生活を通して、いろいろ私に教えてくださいました。


先生は、近くで一緒に生活をしている人たちには
多くみ言を与えるだろうと考える人がたくさんいます。
しかし、そうではありません。
かえって、近くにいる人たちにはそんなに話をしてくださらないのです。

先生のみ言を聞きたいならば、新しい人たちが来て先生が語られるその時に、
私に語ってくださるみ言として聞き取らない限りは、
先生のみ言を聞くことはできないのです。

近くにいる時には、先生は常に生活を通して語ってくださるのです。
ですから先生をじっと見つめていないと、本当に分かりにくいのです。
聖別のことも、そのようにして私は発見したのです。



相手の心を諭すというのは、
タイミングが必要だと思います。
気づいたときに課題を指摘しても、
本人の心が備わらないと受け止めることができません。

金元弼先生の『居眠り』も
その時に指摘をすれば、
いけないことだと気づいて直すこともできますが、
瞑想の時間に静かに話すことで、
心からの悔い改めをしたのです。

自分の感情ではなく、
相手のことを心から思っているからこそ、
そのような行動に出られた真のお父様でした。

人の指導に対して、
お父様のこのような行動を
相続していかないといけないな、
そのことを感じさせていただきました。




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