2016年10月21日

大物到来!! ああ懐かしの、わが仙台開拓時代!  《mrs.千鶴子ロニヨン》6



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1965年青葉城址 聖地決定☆


千鶴子ロニヨンさんの証し、
仙台で大物が復帰された、第二弾です。


路傍伝道は、仙台市内の繁華街の東一番町ですることにしました。
「終末時代」の垂れ幕を張って、
マイクを握って叫んでいる私の姿を見て人々は、
不思議な宗教だなと思って見物していたのかもしれません。

そんな中に、今日の日本統一教会を代表する一人の兄弟がいました。
小山田秀生さんです。

小山田さんはその当時、東北大学の学生でありクリスチャンでした。

たまたま東一番町を歩いていて私が路傍伝道をしている姿を見ていた彼は、
自分の教会の日曜学校の生徒に
「あの教会にだけは、行かないように」と言ったそうです。

しかし天の導きは不思議なもので、後に彼もその日曜学校の生徒も、
統一教会に入教し食口になりました。

そのころの私の格好といえば、片方の手には伝道用の大きなかばんをさげ、
一方の肩には拡声器を掛けていて、
そのうえさらに小さな黒板まで持ち歩いているといういでたちでした。

しかし名古屋を開拓した松本さんと比較すれば、
私のほうがまだ常識ある人に見えたかもしれません。
松本さんはそのうえにのぼり旗を立て、
バスの中でもどこにでも行進していったのですから。


あるとき小松島という所に、人を訪ねて行った帰り道でのことです。
田舎道をとぼとぼと歩いていると、静かな緑地に行き当たりました。
心身共に疲れていた私は、大の字になって寝転んでしばし青空を眺めていました。

そのとき、私の胸に天の復帰の心情が、ひしひしと迫って来たのです。
特に、二千年前のイエス様のことが胸にわき上がってくるのでした。
それは、多くのクリスチャンたちが考えているような神様の子としてのお姿ではなく、
「人の子イエス」として歩まれたお姿でした。

「狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所なし」
(「ルカ伝」第九章58節)。
その聖句のとおり孤独なイエス様でした。

その悲しくつらい天の心情を、
クリスチャンたちは全く知ることなく二千年間、
ただ主イエス・キリストに助けを求めてすがってきたのでした。

「凡て労する者・重荷を負ふ者、われに来れ、われ汝らを休ません」
(「マタイ伝」第一一章28節)。

この聖句の裏に秘められているイエス様のご心情は、
いかばかりだったでしょうか? 
そのことを思うと、泣けて泣けてしかたがありませんでした。

私は成約のみ言に触れ、初めて新約のイエス様の心情が分かってきたのです。
考えてみれば、それはすべて成約のみ言を明かしてくださった
再臨の主によってもたらされたものでした。

しかしそのころの私は、まだ幼く
真のお父様の偉大さを悟るすべもなかったのです。
千辛万苦を乗り越えて、勝利された真のお父様のご心情に触れて
涙するようになったのは、それからずっと後のことでした。


(阿部さんを伝道し、更に)このような歩みをしていくうちに、
一年がたち再び夏がやって来ました。

そして、二人の姉妹が立ち、仙台から献身的に歩むようになっていきました。
南孝子(旧姓・佐藤 七七七家庭)さんと
上節子(旧姓・山崎 一八〇〇家庭)さんです。


そのとき東京の本部から、星野一夫さんが
仙台教会の地区長として遣わされて来ました。
彼は小河原節子姉が広島の開拓伝道をしたときに、
汗と涙の結実として伝道した兄弟です。

彼が来てから、仙台教会はさらに一段と大きく飛躍していきました。
伝道所も一軒家に移り受講者が次から次へと来訪し、
毎日が忙しく教会内はにぎわいました。

私の心は春が巡って来たように希望に満ち、
充実した日々を過ごしたのです。

このころ東京の本部から一人の姉妹が、
伝道を助けるために仙台教会に遣わされて来ました。
藤本信子さん(四十三家庭、一九八五年昇華)です。
藤本さんは、生後三、四か月くらいの乳児を背中におぶってやって来ました。
暑い夏の四十日間、共に廃品回収や伝道に励み、
来訪者の接待や雑用などをして一生懸命に尽くしてくれたのです。


星野さんが、東北大学の聖書研究会で小山田秀生さんと出会って、
統一教会に導いたのはそれから間もなくの子とでした。

阿部さんに続いて、小山田さんも献身的に歩むようになり、
この東北大学からはその後、優秀な学生が続々と仙台教会に入教してきました。

それから後も、私は星野さんとともに伝道活動を続けていましたが、
やがて新しい出発をすることになりました。
東京の本部から派遣されて来た広岡きくゑさん(現、堀夫人)とともに、
秋田開拓に出発することになったのです。


この仙台開拓時代を振り返ってみるとき、今でも私の胸の中では、
「ああ、わが仙台開拓史!」として、熱くよみがえってきます。

孤独と闘って歩んだ日々、ただ無形なる天を頼りながら天の父とともに泣き、
喜び合った伝道の日々でした。

それは単に自分が「成約のみ言」を
仙台の人々に伝えるために開拓に出たというだけではなく、
神様が私を天の真の子女とするための訓練期間であったように思われるのです。

私にとってこの仙台での開拓伝道は、
自分の若き日に成約の一ページを天とともに歩んだという貴い宝物として、
永遠に心の中に残っていくことでしょう。


小山田先生は、直接、千鶴子さんが
伝道されたのではないですが、
路傍伝道で精誠を尽くしていた時、
その姿を小山田先生は見ておられました。

また、イエス様の心情を復帰され、
伝道に邁進していかれました。
その精誠の結実の一つに
小山田先生が復帰されたのだと思います。

さらに言うならば、冒頭の写真は
青葉城址にお父様が行かれ
聖地を決定された1965年2月のものです。

その時、すでにロニヨンさんは仙台の地にはいませんでしたが、
そこは2度目の開拓伝道で、着いた最初に仙台復帰を固く決意し、
祈りを捧げたその同じ場所でした。

写真を見ながら、偶然とは思えないと感じたのです。。。
聖地決定の背後にも、
千鶴子さんの祈りをお父様も感じていたような気がしてなりません。

精誠の重要性を痛感します。






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