2016年12月30日

ありがとう2016!! 勝利を決意するのが、この日?! 《クリスマス 真のお母様のみ言》



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2016年度最後の投稿は、
真の父母様招請 クリスマス晩餐会における
真のお母様のみ言です。


(今日のクリスマスのような)このような日々がこれから、
私たちの未来世代に、現在私たちが真の父母様に侍り、
どのような人生を生きたのかという姿を、真に見せてあげる
発展的な生活となることを宿願します。

この世では、12月25日をクリスマスの日と決めて
ずっと続けて来ましたが、時が流れるほどにますます
天の摂理やイエス様の誕生を祝賀するよりも、
世俗的で本質を離れた、ただ1年を締めくくる
出会いの場所として過ごすようになっているのが現実です。

そのようなたびにイエス様の立場はどうでしょうか。
それほどに天がご苦労され4000年ぶりに誕生させた
独り子・イエス様、(神様が)「私の息子だ」というその息子が、
その夢を成し遂げることも出来ず、
十字架に掛からざるを得なかった悲惨な歴史を中心に、
今日のキリスト教2000年の歴史には真実がありません。

神様がいるのかいないのか、
イエス様が独り子だと言うのですが、
それが何を意味するのか、一言で言えば
イエス様の弟子たちに知識がなかったというのは事実です。

今日の人類の前に良い点だけを見せてあげることが
できなかったキリスト教文化圏です。
しかし神様がおられるので摂理は発展して来ました。

神様がおられるので初めと終りが同じではなければ
ならないために、困難な中でも必ず
ご自身が探し出さなければならない独り子・独り娘を探し出し、
ご自身の夢を成就することの出来る
救世主・メシヤ・真の父母の名前の下に、
祝福家庭たちが生まれ出るようになったのです。

それでその家庭たちを通して、神様の夢、人類の願いを
成し遂げることのできる新しい時代、
天一国の門を開いて下さったのです。

ところで6000年ぶりに、とてつもないこの祝福を
真の父母様によって受けた皆さんが、どんな責任を
果たしたのかを深刻に考えなければなりません。
分かりますか?

(クリスマスの)この日を迎えるたびに私たちは、
「私は絶対に勝利しなければならない、真の父母様の夢、
神様の夢、人類の願いを成し遂げて差し上げる、
責任を果たす祝福家庭にならなければならない」と
決心する1日となし、1年となさなければなりません。
新しい出発をするきょうにしなければなりません。



明日から、2017年。
2020年を迎える最後の3年路程を出発していきます。

神様の夢、真の父母様の夢を
かなえる者になっていきたい・・・
そのように決意させられます。

今年も一年お世話になりました。
よいお年をお迎えください。




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posted by ten1ko2 at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「私の講義を聞いてください!」 担任に原理講義で、好反応!!(現役中学生の証し) 



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学校の担任の先生に原理講義をした
中学3年生の証しを紹介します。


我が家の中学3年生になる娘は、
今年行われた「中和文化祭」で
チャート原理講義部門の地区代表に選抜され、
中日本大会に出場しました。

娘は日頃から「学校にはみ言を知っている人もいないし、
良い環境とは言えないので、少しでもその環境を変えたい。
み言を伝え、真の父母様を証したい」
という強い思いを持っていました。

そして原理講義を一生懸命に勉強した結果、
地区代表にまで選ばれるようになったのです。


選抜されたのを機に、娘が
「私の講義を聞いてください」と担任の先生にお願いすると、
先生は快く原理を聞いてくださったのです。

娘はJr.STFに入ってから
「学校の中で影響を与えられるような立場に立たなければいけない」
と、積極的に班長や学校行事のリーダーなどを務め、
担任の先生にも様々な内容を相談するなど頻繁に接し、
親しい間柄になりました。

そうした背景もあって、先生は自然と
娘の講義を聴く気持ちになられたのだと思います。


そして後日、教会の伝道所を借りて
娘が先生にチャート原理講義をし、
最後には真の父母様を堂々と証ししました。

講義で熱弁を振るう娘を見て、
先生は「学校では普段見せたことのない姿だ」と驚くと共に、
とても感心しておられました。

講義後は、歓談のひとときを過ごして心情交流し、
帰り際に自叙伝をお渡ししました。

先生は、講義にとても満足し、喜んで帰っていかれたのです。
娘は手ごたえを感じたようで、
「今後は、様々なイベントに誘いたい」と、とても意欲的になっています。


私は、純粋に「真の父母様を証したい」と実践躬行する娘の姿を通して、
とても刺激を受けると共に、
なかなか実践することができていない自分自身を猛省しました。

これからも親子で伝道を意識し、
多くの人に真の父母様を証しできるように頑張っていきたいと思います。




中和文化祭の原理講義ですが、
私たちの教会でも中学生の女の子が
代表で参加しましたが、
何度も何時間も練習して、投入していきました。
もちろん一つの個所だけ講義をするのですが、
正直、大人顔負けです。

今回の証しの女の子も、担任の先生を動員するなんて、
とても勇気がいったと思いますが、本当に頑張りました。

教区本部の青年たちは、
最近2日修の講義を一コマずつ担当していて、
とても熱のこもった講義をしています。

「自分が一生懸命講義をするので、
誰かに聞いてもらわないと・・・」
ということで、
自分の親を誘うメンバもいます。
そして、子供の講義を聞いて、
とても感動するそうです。

み言に力があるのは、もちろんですが、
先日書いた、CARP学生たちの証しを含めて、
やはり、青年・学生たちの純粋な心情に
神様が働き、感動するのだと思います。

『初心忘るべからず・・・』
心だけは、青年の心情を忘れずに
歩んでいきたいと思います。



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2016年12月29日

文先生はメシヤ?! 一度も疑ったことがない、その理由とは?! 《中村信一牧師》4



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(右から2人目が中村牧師)


中村信一牧師の証し
今日が最後になります。



来臨の主を確信した理由


わたしは文先生をメシヤであると確信してから、
今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。
そのことをどうして確信するに至ったかをお話しします。

わたしは五十年間、いかなる迫害があっても聖書を捨てず、
牧師として過ごしてきました。
今日も統一教会は、迫害を受けていますが、
初期はもっと激しい迫害の中にあったのです。


そのようなとき、ある週刊誌を手にしたのです。
そこには、統一教会のスキャンダルを暴露するために、
統一教会の会員が寝泊まりしているホームに、
新参者を装って進入した人の証言が掲載されていました。

その記事を見て、驚きました。
男女問題のスキャンダルを暴こうと入ったその人物は、
男女問題を一つも発見することができなかったというのです。

人間が堕落するときは、やはり男女問題です。
この男女問題を勝利したか、あるいは皆無でないにしても、
男女が同じ屋根の下に生活していながらも、
清い関係を保っていけるというこの団体に、
大変素晴らしいものを感じたのでした。


ところで、わたしは牧師ですから、文先生が究極の救い主であるかどうかは、
聖書にその根拠を求めざるを得ません。
その秘密を聖書から見つけることができたとき、
それはどれほどの喜びであったでしょうか。

旧約聖書の「詩篇」第六八篇四節には、次のように記されている箇所があります。

「神のみまへにうたへ その名をほめたゝへよ
乗て野をすぐる者のために大道をきづけ 
かれの名をヤハとよぶ その前によろこびをどれ」

上記の文は、文語体ですが、口語体のある聖書の訳は、次のようになっています。

「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ」

同じ箇所でも、このように訳が違うのです。

わたしは学生時代、ヘブライ語を学んでいたため、
なぜこのように訳が異なるのかが、よく理解できるのです。


前述した文語体の「野をすぐる者」とは、
「荒野(路程)を勝利した者」という意味ですが、
ヘブライ語では、「雲に乗ってくる者」と同じ言葉なのです。

ですから、来臨のメシヤは、
「荒野路程を勝利されるかた」でもあられるという解釈ができるのです。


人間は、自分を愛するという自己保存の本能的なものを持っています。
ですから、文先生が自ら進んで荒野四十年路程を乗り越えられたということに、
わたしは本当に感動したのです。

韓国でのキリスト教の摂理が失敗したとき、
なぜ、命を懸けて北朝鮮に行かれて、
今一度、伝道活動をしなければならなかったのでしょうか。

興南硫安工場で、死の峠を幾度も越えるような道を、
なにゆえ行かなければならなかったのでしょうか。
人間はだれでも、自ら選んで荒野路程を行く人はいません。

これらのことを研究してみるときに、
「荒野路程を勝利された文先生は、来臨のメシヤである」
ということが、はっきりと見えてきたのです。




「雲に乗ってくる」というのは、
原理講論の再臨論においては、
『キリスト教徒たちの指導者として現れる』
そのような記述がありますが、
中村先生のヘブライ語訳の解釈で、
「荒野路程を勝利した」とありますが、
この解釈も一理あるような気がします。

また、このように解釈しようとされる
中村先生ご自身が、「お父様を再臨主として侍りたい」
そのような思いの表れであることを感じます。

また、男女問題においても、
過去から現在に至るまで、
本当に厳しい指導を受けてきたし、
私もそのように指導させていただいています。

私が学生部のころは、
「女性に3メートル以内、近づいてはいけない」
そんな噂がまことしやかに流れていました。
でも、よくよく考えてみれば、3メートル以内なんて、
ホーム生活できないですよね(笑)

20年以上前のことですが、2日修の講師の時にも、
閉講式のあと、「講師、ありがとうございました!」
と言って、女性修練生に握手を求められることがありました。
しかし、それを回避するために、飴の箱を持って、修練生に配る、
そんなこともありました。

堕落の原因が何か、
そのことをお父様が解明された・・・
中村先生ははっきりと認識されていたのだと思います。




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