2016年12月13日

大地を踏みしめて、お母様を感じたことがありますか?! 《金元弼先生の信仰サプリ》



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金元弼先生の信仰サプリ。
今日は、「先生のような生活をするために」です。


私が巡回していたときのことでした。
「どうしたら、先生のような生活ができるのだろうか」
という考えで、胸がいっぱいでした。

韓国で、非常に奥深く高い山を
冬に越えなければならなかったことがありました。
誰も人がいないのに、雪が真っ白く降る中を一人で歩いていました。

その時、天は父を象徴し、地は母を象徴する
という原理のみ言を、ふと思い出しました。

私は今この地を踏んでいるから、
お母様の体を踏んでいるのだと考えました。
そう思うと“痛い”のです。
それで、そおっと歩いたのです。
そしたら本当に体を踏んでいるような気持ちがしてくるのです。

一歩を踏む時に、「私は親のために孝行します、
忠節を尽くします、貞節を守ります」という心持ちです。

白い雪の上に誓いながら行くのです。
雪の上に字を一つ書いて、また書いて、
忠なら忠を、孝なら孝を足で書きながら歩みます。
このことが、私には非常に強く心に残りました。


韓国には、本当に親孝行な子供がいました。
親がなくなって三年間、毎日のごとく親の霊魂を慰めるために、
墓の所まで行ってお祈りをしたのです。
それで墓まで通った道と祈った場所には、芝生が生えませんでした。

私たちが神に、真の父母にそのように心を尽くして侍らないならば、
「私は親にさえもこんなにしたのに、
あなたたちは真の父母と神が分かっていながら、
なぜできなかったのですか」と問われることになるでしょう。


先生は神に侍るに当たり、どのようにされたのでしょうか。
世の中には、国のために忠義を尽くした人たちがたくさんいます。
その人たちが「あなたには及びもしません」
という先生になるために、どういう道を歩まなければならなかったのでしょうか。

神の国を建設するに当たっても、国のために、世界のために尽くした以上に、
神の国のために、神の世界をつくるために
心を尽くさなければならないのが、先生の基準なのです。

もしそうしなければ、イエス様、お釈迦様、マホメット、
いろんな聖人あるいは神のために尽くした王様、
忠節を尽くした親孝行者たちに先生は訴えられるのです。

ですから、国のために尽くした最高の人は誰だろうといつも考えながら、
この国をそれ以上に愛するという条件をお立てになるのです。


そこで先生が三六〇軒を訪問するに当たって私に教えてくださったことは、
その三六〇軒のために尽くした人々がおり、
先祖たちがいたのだから、その人たち以上の心で、
その区域を愛し真心を尽くしていかなければならないということでした。

例えば、熱心なイスラム教徒がいるとしましょう。
その人以上に神を愛したとするならば、
イスラム教の先祖の霊たちが私を助けてくれるということなのです。



このみ言を読みながら、
若いころ、万物復帰の前線で
「右は、お父様、左は、お母様」
両足を踏みしめるたびに、
そんなことを唱えながら歩んだ時のことを
懐かしく思い出しました。

今の青年・学生たちも実践神学で、
そんな歩みをしているのかもしれないですね。。。

親孝行の子供の証しを通して、
『孝行したいときに親はなし』
そのことを思わされます。
人類の真の父母はたった一組です。

そして、今はお父様は霊界におられますが、
お母様は地上におられます。

今、この時にしか、孝行することはできません。
そんな心情をもって、
今日も精いっぱい、真の父母様を誇り、
そして、堂々と叫んでいきたいと思います。






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2016年12月12日

「神様を正しく教えなさい!」 米聖職者ら600名に 「真の父母の一直線上で」 《真のお母様》



図1.png


週刊ブリーフィング最新号に
『アメリカ聖職者連合 真の家庭の価値賞表彰式』
における真のお母様のみ言(一部のみ)が紹介されています。


今日、特に聖職者の皆さんは
神様を正しく教えて上げなければなりません。

この蕩減復帰摂理歴史で中心人物は
救世主、メシヤ、真の父母なのです。

皆さんが皆さんの信徒たちを教育するにあたり、
皆さん自らが真の父母と一直線上で、
絶対的に一つになった立場で教育しなければなりません。

幸福は分ければ分けるほど大きくなります。
私一人の幸福ではない、私たち皆が幸福である、
73億人類が幸福であるその日のために、
皆さんが熱心に責任を果たして下さらなければなりません。




この午餐会には、アメリカ聖職者や指導者たちが、
600名参加されたそうです。

写真は、インディアンの族長でしょうか。
お母様に民族衣装をプレゼントしておられます。
このような光景がいくつかあったそうですが、
お母様に対する敬意の表れなのではないでしょうか。。。

そして、お母様は聖職者たちに、
「神様を正しく教えて上げなければなりません」
そのように語られました。
しかも、「真の父母と一直線上で」
とも語られています。

神様のことをいつも話しておられる聖職者たちに、
あえて語られたのです。

お父様も聖職者たちに同じようなことを語られたことがありますが、
お母様の方がはっきり語っておられるような気がします。

お父様と一つになっておられるお母様ですから、
本当に、自信と確信に満ち溢れておられると感じます。


さらにお母様は、
『世界平和議員連合創設世界大会祝勝会』において、
このようなみ言を語られています。

誰が大統領になろうとも、
大統領を教育することのできる
皆さんとならなければなりません。




中心人物が重要なのは、もちろんなのですが、
正しい方向に向かっていくこと、
神様の摂理に叶うように導かれれば、
どんな中心も問題ないということなのだと思います。

真のお母様が、今この時、
この地上におられることが希望です。

そして、お母様が聖職者に語られたように、
私たちも、
「真の父母と一直線上で、
絶対的に一つになった立場」
になることを願われていると思うのです。





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2016年12月11日

真の父母にはなぜ後継者が必要ないのか?!  《お父様の生前のみ言より》



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今日は、真の父母様宣布文サイトの
  人間始祖である「真の父母」に後継者は存在しない

より、【「真の父母」は唯一無二】という箇所を
抜粋して紹介します。


「真の父母」とは、人類の人間始祖
の立場に立たれた唯一の方です。
したがって、「真の父母」に後継者≠ェ現れる
と主張すること自体が、非原理的主張にほかなりません。

真のお父様は、古希(七十歳)を迎えられた一九九〇年、
モスクワ大会(世界言論人会議)の勝利の基台の上で、
同年四月三十日から五月二十二日にかけて
韓国十二か都市を巡回して「勝利帰国報告大会」を挙行され、
「真の父母宣布」すなわち「メシヤ宣布」をされました。

古希を迎えられたお父様は、次のように語っておられます。


「これからは先生がいなくても、
お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。
今までは、女性が天地を代表する摂理の
代表者として立つことはできなかったのですが、
父母の愛と一体的理想を中心として、
初めてお母様を中心とする女性全体の解放圏が
地上に宣布されたのです。

……真の父母の聖婚から三十年たって
女性解放を宣布したというのです。
ですから、先生が一人でいても
真の父母様の代身であり、
お母様が一人でいても真の父母様の代身です。

『レバレンド・ムーンが古希を過ぎて
七十を超えたので後継者が現れないのか?』
そんな言葉はやめなさい。

……ですから、先生が第一教主、
その次に、お母様は第二教主だということです」

(マルスム選集二〇一−一二六、
一九九〇年三月二十七日)



真のお父様が「後継者……そんな言葉はやめなさい」
と語っておられるように、
人間始祖≠ナあられる「真の父母」に、
後継者は存在しません。

もし、立つとしても、それはあくまでも
真の父母様の代身者≠ナあり、
信仰の相続者≠ナす。

たとえ真の子女様であっても、
それは「子女」であって、
人類の「真の父母」になることはできません。


真のお父様は「真の父母」について、
次のように語っておられます。

「真の父母様は一組だけです。
今この時の一度だけだというのです。
過去にもいなかったのであり、未来にもいません。
真の父母様が肉身をもって実体で存在するのは、
この時だけだというのです。
永遠の中でたった一度です」


「アダムとエバが完成して
完全一体を成した愛の実体になれば、
そこに神様が臨在して
人類の真の愛の父母になろうとされたのです。

……神様は、真の愛を中心として
アダムとエバに臨在されることにより、
人類の真の父母、実体の父母としておられ、
アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、
そこでもアダムとエバの形状で、
彼らの体を使って真の父母の姿で
顕現されるようになるのです」
(『平和神經』五四〜五五ページ)


「人間始祖アダムとエバが完成して
人類の「真の父母」になれば、
彼らは実体を持つ
「神様の立場」に立つようになっていました。
「真の父母」は唯一無二であられ、
人間始祖≠表す概念であることが
明確に分かれるのです」
(マルスム選集二四六−八四)

 
「アダムとエバは、
神様が本当に願う真の人類の先祖、
人類の真の父母にならなければならなかったのです。

……それにもかかわらず、アダムとエバは、
勝利的な実体として現れることができませんでした」
(八大教材・教本『天聖經』二一七七ページ)


「堕落がなかったならば
……アダムとエバは、
真の愛による理想的な真の夫婦になり、
さらには真の父母となって、その子孫と
全人類の真の先祖になっていたはずです」
(同、二三六九ページ)


「真の父母」とは、
本来、アダムとエバが堕落しなければ、
人類の先祖として、
人類という「血族」の出発点、
すなわち勝利された人間始祖≠ノ位置する存在です。
しかも、その「真の父母」は、
実体を持った「神様の立場」でした。


「アダムとエバが完成して
完全一体を成した愛の実体になれば、
そこに神様が臨在して
人類の真の愛の父母になろうとされたのです。

……神様は、真の愛を中心として
アダムとエバに臨在されることにより、
人類の真の父母、実体の父母としておられ、
アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、
そこでもアダムとエバの形状で、
彼らの体を使って
真の父母の姿で顕現されるようになるのです」
(『平和神經』五四〜五五ページ)



今は、本当にいろんな方がいろんな意見を語られています。
でも、真の父母様が唯一無二であるとすれば、
お母様のみ言に対しても、
お父様が語られるように、
絶対視する必要があると思います。

そして、お母様の重荷を少しでも軽くして差し上げることができるよう、
お母様の願う道を主体的に、自発的に歩むことが重要だと思うのです。

最後に以前も紹介したことがありますが、
2015年7月23日に語られた
真のお母様のみ言を紹介して終わります。

これは、お母様の本意であり、
私たちもしっかりと胸に刻まないといけないと思います。



「…万が一、ああだこうだいいながら
『少し助けてあげよう』という人がいれば、
そこで揺らいではいけません。
助けてあげないことが助けてあげることです」






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過去においても、今後においても
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