2017年03月10日

空前絶後、人類歴史始まって以来の私たち! 《金元弼先生の証し》



securedownloadlake.jpg


金元弼先生が導かれた時の証しです。
「人類歴史始まって以来の『集団』」


私は1946年、第二次世界大戦の終わった次の年に
北韓で文先生にお会いしました。

その当時、先生は26歳、私は18歳でした。
私は何も分からない年齢ではありましたが、
神と真理を求める強い心をもっていました。

私は叔母を通して文先生にお会いすることができたのですが、
その叔母の話によれば
「先生は若い方ですが、真理と神霊によって礼拝をされ、
歯を磨いている最中であっても霊界を見ることのできる方だ」
ということでした。

しかし私が直接先生にお会いした時の印象は、全く違っていました。


文先生は私を大切なお客様のように迎えて、
このような話をしてくださいました。

「あなたはいろいろなことを考えていますが、
常に中心を求めて考えるようにしなさい」と。

先生は、私自身ではなかなか気づかなかった
重要なポイントを教えてくださったのだと、
今もつくづく感じています。

そして、文先生は皆様が3日間かけてお聞きになった
原理の内容を私に短く話してくださり、
私は全部の内容を受け入れることができました。
また、自分が考えていたことを話されていると感じる点もありました。


先生は時々私を外に連れていってくださり、
「何か質問はないの?」と聞かれましたが、
私には何もありませんでした。

先生はそういう私に対して張り合いがないようで、
私が何か質問することを期待されていたようでした。

そして、先生は私に「あなたはたとえ分からなくてもいい。
(当時は教会ではなかったので)こういう集団は
人類歴史始まって以来のもので、
今後も現れないであろうということだけ分かればいいんだよ」
と言われました。

私は当時、その意味がよく分かりませんでしたが、
今になってようやく分かってきました。


そういう私に文先生は、
「あなたは神のみ旨のために
私といつまでも一緒にやってくれるのだろうか」
と質問されました。

それで私は、「はい」と答えました。
そうしたら、また聞かれましたので、
私は、「はい」と答えました。

するとまた聞かれました。
三度目に私が「はい」と答えると、
先生は再び聞かれはしませんでした。



お父様が金元弼先生に3回尋ねられたのは、
イエス様の時代、第一弟子のペテロが
三度不信した内容の蕩減復帰のように思わされます。

お父様は、教会を創立される前から、
「人類歴史始まって以来のもので、
今後も現れないであろう・・・」
そのように語られていたのでした。

私たちは、まさにその「集団」に属している者たちです。
そして、歴史的な大転換の時を歩んでいる者たちです。
もっともっと多くの人たちに、
正しく真の御父母様を知っていただけるように、
これからも歩んでいきたいと思います。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2017年03月09日

(証し) 「お父様は今日2度も釣りに出たよ! 食口たちを思えば、じっとしていられなくて」 



156036_413052812178456_5055928350369142356_n.jpg


櫻井先生が説教された時のお父様の証しです。


私が日本の幹部とともに、
お父様からアラスカに呼ばれた時のことです。

10月半ばの冷たい雨の日でした。
御父母様と川で釣りをしていましたが、
午後2時くらいになると手が凍えるほどになりました。

お父様はお母様を気遣われて、一緒に先に帰られました。
夕暮れになって、私たちも帰ろうとしていた時だったのですが、
お父様はまた戻ってこられて釣りを始められたのです。

私は心の中で、
「こんな雨の中、寒いし、暗くなったし、
サケだって、餌を欲しがる時間ではないだろうし・・・
お父様は、何であんな熱心に、今にもサケが引っ掛かる
雰囲気でやり続けるんだろう」
このように思ったんです。

結局、その夜は10時を過ぎ、帰って夕食を食べ終わると
11時になっていました。

その時、お父様は私の顔を見ながら、
このように話されました。


「今日、先生は二回川に出たね。
70歳を越えた老人には、
このアラスカの10月半ばの雨と風はきついよ。
本当は、先生は
この暖かいノースガーデンから出たくなかったよ。

でも、先生は、こういうきつい雨風の中にも、
神のみ旨のために頑張っている食口たち、
とりわけ日本の食口たちのことを考えたら、
じっとしていられなくて、
もう一度川に出ていったんだよ」


体はアラスカにあったとしても、
心は最前線でみ旨を歩む食口たちとともにあるのだ。。。

子供が苦労している時に、
親はいてもたってもいられない思いになる・・・
それゆえに、もう一度釣りに出られたのだ。。。

そのように思いました。




最近の二世たちにとって、すでに
「真のお父様は『伝説の人』」なのだそうです。

お父様が聖和され、もう5年になりますし、
また、聖和される前も、公式的に出られる回数も少なかったので、
特に、10代の子たち、それより年下の子供たちは、
「お父様と出会ったことがない」のだといいます。

だから、生前のお父様を証ししないといけない。。。
そう思い、今回もお父様の証しを書きました。
食口を愛する思いで、すべてに投入しておられる
真のお父様の姿です。。。

そういう意味で今、お母様がおられることがどれだけ感謝なことでしょうか。。。
そして、私たちも真の父母様の代身としての自覚を持ちつつ、
御父母様をもっと証ししていきたいと思うのです。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2017年03月08日

真の父母の『み言』と『実体』、どちらが先か?! 〜お母様の姿を見れば、すべてが解ける



20000211.jpg


お父様が解かれた原理、真の父母様が語られるみ言は
とても貴重なものです。
それでは、その『み言』と、
真の父母がおられること、そしてその『実体』は
どちらがより貴重でしょうか。

先日の徳野会長の特別礼拝と
教会長の月曜礼拝でのみ言を参考に、
『実体』と『み言』に関して、まとめたものです。


お父様が聖和される前に遺言のように語られたみ言に
『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』があります。
その中のみ言です。


み言が先でしょうか、実体が先でしょうか。

今日の宗教では、実体に関することには
確信をもつことができず、
教えを重要視するので、
実体と教えが一体になるというのは、
本当に難しいことです。

統一教会では、み言が先ではありません。
実体があって、その実体が行った事実を
み言で証するので、
内外が一致し得る内容を知ることができるというのです。

今まで、宗教界や学問世界において
真理を探究するに当たって、
問題となっていた焦点を解決するために、
実体み言宣布大会が始まったのです。
(真の父母経1486ページ5)



み言ではなく、実体が先なのです。
この世の多くの宗教は、素晴らしい教えがあっても、
実体がないのだと言います。


わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらないでは、
父のみもとに行くことはできない
(ヨハネによる福音書第14章6節)


イエス様も、そのように語られています。
ですから、『実体が先』なのです。


もちろん、み言も貴いものです。

創世記第一章に、このようにあります。


初めに言(ことば)があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとして
これによらないものはなかった。




しかし、イエス様においても、そのみ言の解釈の違いにより、
同じキリスト教であっても、多くの宗派に分かれてしまいました。

真の御父母様の語られたみ言も、
もちろん貴いものでありますが、
御父母様がどのような心情で語られたのか、
その心情・動機を見つめていかないと
間違った解釈になりかねません。


分かりやすい例をあげれば、
私は二度、拉致監禁を受けましたが、
その際、反対派の牧師が扱ったのは、
真の父母様のみ言です。
二度とも、原理講論と聖書を土台として、
一つ一つ、彼らが主張するところの矛盾点、疑問点を
『勉強』していきました。

しかし、お父様がどんな思いでこのみ言を解明し、
どれだけの苦難を越えて、勝ち取られたのか、
その深い世界には全く触れなかったのです。
まぁ、当然と言えば当然ですが。。。

み言はたった一つものですが、
語った方の心情を求めて悟るのでなく、
自分を動機として判断すると
正反対の解釈になり兼ねないのです。

現在、様々な分派活動がありますが、
彼らの最大の特徴の一つは、
み言の解釈でいろいろ批判しますが、
実体の真の父母(お母様)には、
絶対に会おうとしない、ということだといいます。

真の御子女様なら、
お母様にお会いできないはずはないそうです。
あれこれ事情を言って「会えない」ということは、
全くないのです。
ただ、会おうとしないだけなのです。。。

お母様に会えば、み言を体恤されているのですから、
すべてが解かれていくといいます。


あらためて、み言の実体である、
真の御父母様に侍るということ。
このことを何より優先していかないといけないと思います。

2020年に向かって歩む、最後のこの時が、
何よりも重要であると思うのです。。。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 07:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする