太田先生の≪真の夫婦の愛を求めて≫シリーズ。
今回は、『神様はどこにいらっしゃるのか』です。
☆
私が感銘を受けたみ言のもう一つを紹介します。
それは、1990年1月1日神の日のみ言です。
お父様は、
「神様はどこにおられると思うか?」
そのように私たちに質問されました。
これを聞いた時、原理講義をする時に、
『神様は、人間の生心に臨在する』と講義するので、
「わかりきっているのに、お父様はなんで質問するのだろう・・・」
心でそのように思ったのです。
ところが、お父様の答えは衝撃的でした。
私が予期しているものではありませんでした。
☆
『神様はどこにいるのか。
男のほうからいえば、その男が
100%の愛を投入している女の真後ろにいらっしゃる。
女のほうからいえば、その女が、
100%の愛を投入している男の真後ろにいらっしゃる』
☆
このみ言を聞いた時、
後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
その頃、私は信仰の限界を感じていました。
「深い神体験しないといけない・・・」
そう思い、早朝祈祷の条件をしていた時でした。
その時にお父様から言われたわけです。
「これは、いくら祈祷条件立てても神と出会えないじゃないか」
そう思わされました。
家内を愛せば その背後の神様と出会えるのだ・・・
だから、どれだけ祈祷条件を捧げても、
どんなに断食をしても、敬拝を捧げても、
いくら、精誠条件を立てても、(それだけでは)神様に出会えないんだ。。。
本当に私の信仰生活において、重要なみ言を与えられました。
(文責:ten1ko2)
☆
もちろん、私たちは、
信仰生活をするにおいて、
精誠条件を捧げる歩みをしています。
条件を立てることはとても重要です。
しかし、それ以上に重要なのが、
『相対を愛することによって、
神様を見出すのだ・・・』
ということなのだと思います。
『真後ろにいらっしゃる』
そのように表現されるお父様は
お母様を通して、神様を心から実感したからこそ、
語られているのだと思うのですが。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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