金元弼先生のみ言
「お父様に近づくには」の続きです。
☆
例えば北韓でのお父様の牢屋の生活は、
この牢屋にいた人達は全部お父様と同じ所で同じ生活をしたのですから
その苦しみというものはお父様も他の人も同じ訳でありますが、
しかしその内面は全然違います。
人々はその苦しみを個人の苦しみとして
耐え忍ぶことが出来たでしょうけれども、
お父様の場合は人類の罪を自から負って
それを落城していかなければならないという心情でありますから、
30sの荷物を肩に背負っても、
他の人達は30sの重さを感じたかも知れませんけれども
お父様の場合は3トン、或いは10トンという重さでもって
感じられたということを考えなければならない訳です。
皆さんがお父様を眺める場合、
自分が立っている立場でもって考えては
それ位のお父様を知ることができても神が願う基準に立ち得る、
お父様の心情に近よることは到底出来ないということなのです。
☆
お父様がソウルから北韓の平壌に来られたのは
26歳の時で1946年6月6日です。
私がお父様にお会いしたのは同年7月17日です。
約40日後です。
終戦前(1945年8月15日)は日本帝国主義の主管下にあったので
韓国語は使われておらず、国語というのは日本語でした。
そして迫害が激しくて、日本の神社を拝めというのです。
キリスト教は唯一神ですからそれを強制してきたのです。
しかし篤信者がたくさんおりまして
教会を出て自分の家庭で秘かに信仰を持っておりました。
☆
1年8ヵ月間牧会をなされ、その当時も韓国服の着物を紋らないと
汗いっぱいで説教できない位でした。
あの時から今迄全然変わらないのは、
朝早くから夜遅く迄活動しみ言を下さるのです。
今から28年前も28年後の今になっても変わらないのです。
皆さんは、私達がここへ来たのだから
先生は私達の為に朝早くから夜遅く迄
お話なさるというかも知れませんけれども
皆さんが帰ってもいつも同じなのです。
夜12時前は休まれずに、普通1時、2時に休まれ、
起きられるのは4時、5時です。
それが今迄ずーっと続いて来たのです。
今もベッドに休まれるのですけれども、
2時にお休みになって一晩のうちに3、4回、
あるいは5、6回起きられていつもお祈りなさるのです。
ベッドに休むのは心痛いと言って下でお祈りされながら眠られ、
又お祈りする為にベッドに休むより
かえって床で休む方が心安いという気持ちなのです。
そういう生活の連続であるということを考える場合
私達とは余りにも生活の次元が違うので測り知ることができないのです。
☆
先生を眺めながら、もっともっと近寄ることを私達が怠らなかった場合
いつかは先生の身代わりの人として
育ち得ることができるのではないかということです。
霊眼が開けている人は、お父様の体から光を放ち、
お話しされる口からは火を吐くのが見えるというのです。
火のような舌という聖書のみ言通りです。
聖霊体は発光体だというのです。
私達は先生がみ言を話されても何もみえなくて、先生だけが見えるのです。
私達はこういう人達の証しを通じて、
神を通じて先生を知るということになります。
☆
凡人の私たちとお父様とは、
生活の概念が全く違います。
金元弼先生は、お父様とともに生活されながら、
神様を動機として歩まれるお父様を
いつも見つめておられました。
今、お父様は地上におられませんが、
そのお父様と完全に一つになっておられる
真のお母様がおられます。
お母様を正しく見つめ、
相続する私たちにならないといけないと思うのです。。。
不定期に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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