2017年04月20日

自分ではなく、神の目で見る生活で、霊的感性が育つ?!  《金元弼先生の信仰サプリ》



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神様を感じたい!
霊的な感性を身に着けたい!
そのためにはどうしたらいいでしょうか。

それは、神様に一番通じる人に倣えばいいのですが、
お父様は、一人の偉大なメシヤというだけでなく、
真の父母、まさしく親でした。

金元弼先生の信仰サプリ
『メシヤと霊界』最終回です。


私達は、この教会に入会した日を考えながら
「ああこの日が教会へ入った日として自分自から祝うのではなく、
神が私を入会させる為に苦労なさったその苦労が
一段落して実を結んだ日として記念すべきではないか」
ということを考えていく時、
メシアに対する霊感というものが非常にするどく
敏感に私達に移ってくれるだろうと思います。

いつも私を中心としないで神を中心として考える考え方、
父母を中心とする考え力によって
神に対する霊感というものが鋭敏になっていくと思います。
幻とか霊の体験が霊感が開けていくのではないと思います。

神を中心とした心構えでみつめていくとするならば、
霊能者達は、見たり、聞いたり、話したりはするのですが、
私達は、その心の奥底を知ることができるのです。
霊的体験がないからといって心落とすことがないように。


人間の堕落というのは、神を中心として、
自分を一致させることができなかったのがはじまりです。
神が人間を創造する時、どのようにして創造したのだろう。

親が子供をお腹に持つのです。
お腹の子供は自分というものがあっては絶対に生きていけないのです。
親が食べたものをそのまま食べて、
親が考えたものをそのまま受けるのです。
少しでも親に反対すれば生まれて来ないのです。

完成の基準が成り立つまでには、
神のみ言の通りに神と一致したものでなければならない。
人間の5%は自分を立たさないということです。
神を先に立たせるのです。

お腹の子供は人間にたとえたのです。
親が動いても、止まっても同じくするのです。
人間は神を中心として通過しなければならなかったのであります。


なぜ神は自分というものを先に立たせるのが嫌かと云えば、
それは主体を中心とした対象になることによって
第二の主体として成り立たせようとしたからであります。

それが神の創造性を受けついだ、
神の創造のみ業に一致した権威を与えようとするのです。
ところがここに私というものがいたというのです。


堕落しない親を中心として一致しなければならない。
完全なる親というものはない。 
神が完全なる人として送ったのはメシアである。
又、メシアは私達にとって完全なる親として立ったのです。

ですから私達は親の言葉に絶対に服従して
一つになっていかなければならない。
初めから神に一致して歩んでいかなければならなかった人間であります。
神を中心とした私に帰るというお話です。



神様を動機とし、
神様を中心とする生活。

金元弼先生ご自身も
そのような生活を送ることに
生涯をかけて歩んでこられたので、
その重要性を感じられているのだと思います。

『私』の思いではなく、
神様を先立たせていきたいです。





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posted by ten1ko2 at 11:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする