2017年04月25日

どうして力が抜けるのか?!  ──信仰が長くなった人に 《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》3



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李ヨハネ先生のみ言
最終回です。


私たちが最初に伝道に行った時、
法科四年生、卒業クラスの人ですが、
その人が原理を聞いて学校をやめ、
聖書も讃美歌も知らないで、開拓に行ったのです。

江原道の春川という所で、学生たちを指導したところ、
既成教会の高校生たちが集まってきたので、原理講義をしたのです。
ある日、牧師が統一教会の伝道師は素晴らしい
といううわさを聞き、会いに来たのです。

彼は、マタイ福音書が新約にあるかどうかも知らないのです。
そこへ質問されたので、「文先生が巡回に来る時に来なさい」と言ったのです。

自分が知らないということは、絶対に言わない。
自分は文先生から派遣されていて、
文先生が全部知っているのですから、
文先生が巡回に来た時に来なさいというのです。
こう勇気を出して語り、牧師たちを帰したのです。


あなたはどうですか。
困ったな、聖書も知らないしと、力が抜ける人がいるかもしれない。

そういう時に、この人は文先生を中心として答えて勇気を得た人です。
全然知らないのですが、知らないという立場に立たなかったのです。

そうすると牧師たちも、その人が何も知らないことを知らずに、帰ったのです。
統一教会式とはこんなものかなといって。
最初開拓に行った人はみな、そうです。


おばあさんたちも伝道して、大学生たちを連れてきたのです。

「原理」をただ耳で聞いただけで出掛けていった。
印刷したものも何もない時です。
その時の伝道が最も力強かったのです。


皆さんは、信仰者として、
自分一人だけで存在しているのではないのです。
自分の位置を守れというのです。

それを知らずに、自分を勝手に取り扱うと、
力が抜けてしまうのです。


信仰者は、結婚したのと同じです。
結婚すると主体者の位置によって、その人の位置も決まるのです。

例えば、大統領の奥さんなら、その身分になる。
私たちもそうです。

世界の中で、何ものとも比べられないお父様の命令で、
お父様と共に摂理の参加者として現れたという心でないと、
勇気が出ないというのは当然なのです。

その位置から離れると、力が抜けます。


だからお父様は、「日に三遍誇れ」と言われます。

日に三回御飯を食べておきながら、日に三回神の前に誇らないで、
君たちの魂は生きていかれると思うのか。

兄弟同士でも、勝利を誇れ。
私たちの位置を誇れ。
私たちの方向や使命を誇れ。

ところが希望がないから、誇るものがないのです。



皆様もそうかも知れませんが、
何か、李ヨハネ先生のみ言を読むだけで、
力が湧いてきますね。

うまい表現ではないのですが、
『私って凄いんだな!』
そんな思いです。

真のお父様と結婚したんだ。
だからもっとお父様を誇ろう!
もっと頑張らないといけないな。
そう思わされました。

私たちは『何も知らない』のではなく、
真の父母様の息子・娘だから、
『すべてを知っている』んですね。。。

李ヨハネ先生のみ言は、
これからも不定期で送りたいと思います。
ご期待ください!




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