金元弼先生のみ言
『真のお父様に近づくには』
その第3弾です。
☆
(お父様は)1948年の2月22日に牢屋に入られ
その年の4月7日に裁判を受けて5年の刑を受けた訳です。
罪名は社会秩序を乱したというのです。
先生が牢屋に入られる直前に牢屋の中では、
先生を迎える準備をしている青年が待っているから
希望に満ちた心情で尋ねていくというのです。
本当に神から愛される人は死の境地を尋ねて行っても
そこにはその人を迎えて生きる道を準備している人達が
待っているというような神の愛があるのです。
☆
お父様は呼吸しても初めての呼吸は神の呼吸であり、
朝起きる第二声を神から始めるのです。
今日み旨の為に出発するに当たっても
この第二歩を誰の為に第二歩を立つかということです。
私達にあっては第一歩をお父様、第二歩をお母様です。
お父様は第一歩を神、全部を神というように
神を初めとして出発するという訳です。
お父様、お母様と私達は口ぐせのように言っています。
けれども神が願って来た心情でもって眺めた場合
私達が唱えるお父様と神が願って来たお父様とは相当の差があるのです。
☆
先生が行かれる道は牢屋に於てさえも
先生を待っている青年があって神が摂理されているのです。
このように神はどうしてお父様のゆく道を
先に準備していかなければならない内容が
どこにあるだろうかということを考えながら
先生を研究するようにお願いします。
正しい心情でもって短かい期間であっても
先生をよく正しくみつめることができましたら
十年ついて来た人よりも短期間のうちに
先生をおしはかることが出来ると思います。
誰も知らない神と私だけの時間を持って、
普通の人達は何の気もなく歩いているだろう。
しかし私の一歩はこういう心情で一歩を出している。
こういう心情は世界に誰もいないだろう。
皆さんの歩き方一つさえも意義深いことがあると思います。
☆
天はお父様を象徴し、地はお母様を象徴するといつも言われますが
その実感がしないことがあると思います。
実感する為にはこの地はお母様である
という心情でこれを踏んでいく場合、
何の気もなくお母様を踏んだら痛いでしよう。
痛くないようにする為にはどうしたらいいか?
という心情で歩く場合の皆さんに与えられる心情と、
何の気もなく歩く心情とは全然違うのです。
☆
『右足はお父様、左足はお母様・・・』
万物復帰の時などに、意識して歩んだ時を思い出します。
また、地面はお母様だから、
お母様を踏んでいる思いで・・・
この話は聞いたことがあったのですが、
この金元弼先生のみ言だったと初めて知りました。
お父様は神様を肌身で実感しておられるので、
いつも神様を中心とした生活をしておられたし、
今のお母様もまさにそうだと思います。
私たちはもっともっと、
日々の生活で神様を意識していくべく、
御父母様を思って、
ともに一歩一歩、歩んでいきたいと思うのです。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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