金元弼先生のみ言、
『お父様に近づくには』続編です。
今日のお話の中には、
「真のお父様を知るための3つの方法」も
紹介されています。
☆
統一基盤確立というその基点は
神を中心としてお父様と私が一体となることから始まるのです。
私達はお父様とお母様と一緒であるというのです。
☆
私達がベッドに入って眠る。
皆さんが孤独で淋しいというのは
自分一人であるから孤独で淋しいというのです。
しかし二人であったら淋しくないのです。
もし皆さんが、今、私がお父様とお母様の
両方を抱えて休むといえ心情だったら淋しくないのです。
お父様とお母様の間に疲れて今休むという場合、
お父様と同じベッドに入る場合
私達が先に横になって休むことはできないのです。
お父様お休みなさいと胸にえがいて自分が寝るのです。
これがお父様と一緒になる生活なのです。
☆
皆さんは先生がおられたらついていくからいいけれとも
先生がいらっしゃらなければ私はただ一人で歩いて行く。
これでは駄目なのです。
神は、お父様と私達が一緒にいる時だけ
お父様がいるのではないということをしみじみ願うというのです。
一緒にいない時も、あの時について行くという心情でついて行くのです。
時間、空間を超えていらっしゃるお父様でありますから、
お父様と一緒にいる心情をどこに於いても持つのです。
そういう心情を持っていない人は
お父様がいらっしゃってもいらっしゃらないと同じです。
☆
神はどういう所におられるかといえば神を慕う人の中にいるのです。
お父様が韓国にいらっしゃっても
お父様を考えない人にとってはお父様が韓国にいらっしゃらないと同じです。
皆さんが日本にあっても御父母様を慕う心があれば
御父母様は日本におられて韓国にはおられないのです。
☆
もし皆さんが今晩夢の中にお父様が現れて
目を覚ました時心が嬉しいと思います。
ところが直接お父様が下さるみ言より
夢の方が刺激的であっては
再臨の主はこの世に現れないで下さいということと同じことです。
再臨の主をこの世に送って下さい
と願ったからメシアを送って下さったのに
そのメシアを大事にしないで他のメシアを願うのは親不孝の心です。
☆
もっと根本的に言いますと私達はみことばを聞き乍ら
知っていかなければならない問題は
本当にお父様は真のお父様であるのかということです。
深い次元の百のお父様もお父様、
一のお父様もお父様ですから
私達は百のお父様を願うのです。
霊能者達が神から啓示されるのは、世の中に現れた
このお方が真のお父様であることを証しすることです。
その次の証しは、真のお父様のみ言に従順しなさい
ということを教えてあける以外にはないのです。
☆
私達の道はお父様の教えられる道をついていけないのです。
ついて行く為にはお父様を知らなければならない。
お父様を何によって知り得るかということです。
お父様を知るには三つの方法があって
一つめは原理のみ言を通じて
二つめは心情を中心とする人格を通じて
三つめは霊を通じて知るのです。
☆
お父様を知れば知る程私達は
こういうように歩まなければならないということを
直接に知ることが出来ます。
幼い時は父母の愛を知らないから父母のみ言を聞かないのです。
しかし成長したということは父母を知ったということであり、
大人になったということは父母の身代わりになったということです。
父母の身代わりになった時は
お父様のことを聞け聞けと言わなくても自ら選んで聞くのです。
☆
金元弼は、お父様のおそばで
ずっと侍ってこられた方ですけれど、
実体のお父様がおられなくても、
常にお父様を意識して
生活してこられたのだな、と感じます。
そして、一番重要なのが、
目の前で侍ることよりも、
普段の生活の中で、
父母様を意識することだと思います。
そして、お父様を夢に見ること以上に
実体のお父様が重要である、
ということを考えた時に、
お父様には実体では会えない今、
お父様と一つになられたお母様に侍ることが
何よりも重要だと思わされます。。。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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