2017年06月05日

私が文先生に従った理由! キリスト教牧師からの華麗な転身?! 《李ヨハネ先生の証し》1



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最近お世話になっている李ヨハネ先生*
ヨハネというのは、クリスチャンネームかと思います。

ヨハネ先生がどのようにして教会に導かれたか、
その証しを紹介したいと思います。


既に流れてしまった水をもってしては、
水車を回すことができません。
神でさえも過去を改革することはできない、
というアリストテレスの言葉は正しいかもしれません。

愚かな者は明日に生きるといいながら、
今日を空しく過ごしてしまいますが、賢明な者は過去に生きてきました。

未来に対する予見の最上の方法は、
過去を振り返ってみることですので、
(今回)あえて回想のペンを執ることにしました。


私が今日の神の聖業に従事できるようになった理由を知るには、
父母の代までさかのぼらなければなりません。

私が生まれる前から家族は、キリスト教の信仰を持っていました。
はっきりとは分かりませんが、
母は嫁いで来る前から信仰生活をしてきたようです。

平安北道の宜川邑(むら)からあまり離れていない蓬山市の、ある農家に私は生まれ、
教会は宜川邑の長老教会に通っていました。
世間知らずの子供でしたが、母の手に引かれ私の信仰は成長していきました。


満州に移住してからも熱心に教会に通い、奉天で中国人学校に通いましたが、
満州事変で中国の河南省に移りました。
そこでは韓国人の長老教会に通っていましたが、24歳のとき、
支部教会の伝道師を担当するようになったことが、牧会の始まりとなりました。

教会員は20から30名になっており、
私が直接礼拝を担当し韓国語で説教しました。
しかし、戦争が激しくなり日本の勢力が強まると、
領事館から韓国語での説教を禁止する通達が来ました。


その後すぐに私は、領事館の許諾を受けて日本に行くことになりました。

神学を勉強するつもりで日本東部神学校に入学し、
一年程この学校へ通いましたが、1943年に
文教部の施策で各神学校が統廃合され、連合神学校の日本神学校に移りました。

しかし神社参拝をどう思うかという校長の質問を受け、
あまりにも正直に答えたため退学させられるはめとなりました。
このような思想検査で30名の韓国人学生の中で、
唯一私一人だけが退学させられたのでした。

韓国に帰るわけにもいかず、
日本にそのまま滞在し軍需工場へ通うことになりました。
当時の私の年は25歳。

26歳で徴用の対象となるため軍需工場へ入り、いったん徴用を免れました。
ここで終戦になるまで仕事をし、
日曜日ごとに何名かの気の合う韓国人だけ集まり、礼拝を行っていました。


1945年終戦と共に、私の信仰にもう一つの激変期が訪れました。

その年の10月に韓国へ帰りました。
信仰を再び持てる喜び、韓国語、韓半島を
再び取り戻した喜びに国中が沸き返っていました。

それもつかの間で、アメリカ軍政が設置され新しい政治の波が起こると、
教会は再びそわそわとしてきました。
アメリカから救援物資が入ってくると、
教役者たちは物欲に目がくらみ、政治に参加するようになり、
聖職を捨て去ってしまいました。

教会が純粋性を失い世俗と妥協するようになると、
信仰を失った日帝時代の痛みを再び忘れるに至りました。

そうした中でも満州や故郷、あるいは日本で会った教友たちが集まって、
信仰を失わないための努力がなされました。


どう見ても通っている教会がおかしいと考えた私は、
牧師たちが裸になったり、タバコを吸う夢を見るようになりました。
教会は何か恥ずかしい状況に行きつつあるな、
と言う考えが直感的に胸をかすめていきました。

また現在の教団に「神の火が移ってしまった」という夢示や、
「韓国に主の再臨」という文字が、
号外新聞のように見える夢を見るようになったのです。

漠然と、私が心配しているので、このように夢示が下りて来るのだと思いながら、
自分なりに信仰をより徹底するよう努力しました。


その後ソウルから何時間か離れたある教会を受け持って、
ソウルに住みながら礼拝を行いました。
この教会とは、南大門教会の長老を通して因縁を持ち、
引導者がいない間だけ担当したのです。

そうしながら南山チョンヘ神学校2学年に編入して一学期を通いました。


このような中でも神様は直接啓示を通して、
又は信仰のある生徒の証しを通して『時』を教えてくれ、
『主の再臨』を知らせてくれました。

38度線のため平壌の信仰熱度を直接知らなかったのですが、
そこで信仰生活をした熱誠信徒たちから、
平壌がまるで韓国のエルサレムだなということを実感することができました。

その人たちから「平壌に恩恵が多い一人の青年がいるが、
家庭で集会をして獄中に入れられた」という話を聞いたのです。

その青年の言葉を聞いたことのある人たちによると、
彼は他の人が分からないみ旨を知っている方のようであり、
何か非凡な方に間違いないようでした。


どのようにして導かれたのか、
文章にしようと思った動機からして、
何か、詩人のようですね。

今回はお父様に出会う前までの道のりですが、
お母さんが熱心なキリスト教徒であり、
その土台もあって、篤実なクリスチャンでした。

形式に重んじることなく、
信仰の本質を求めてこられたので、
お父様に出会うきっかけにもなっているのかと思います。

何度かに分けてお伝えします。





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*李ヨハネ先生のお名前について

李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが
韓国での正式なお名前かと思います。
日本では、李(リ)ヨハネ先生ともお呼びしてきました。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 
韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく
韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった
《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて
李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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