2017年07月04日

罪深い私のとなりにも神様はおられる?!  〜家庭連合の妻たちへ〜 《李ヨハネ先生》3



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李ヨハネ先生のみ言、
続編です。


このあいだドイツのある博士が、長老派教会の招待で韓国に来ていたのですが、
その人の話がキリスト教思想紙に載ったのを読んだことがあります。

その人が韓国に来て、韓国の聖徒たちと一緒に過ごしながら礼拝を受ける時、
その祈祷する姿やみ言を慕う姿に、信仰的に大きな刺激を受けたというのです。

ドイツで感じられなかったことを韓国に来て感じて、
その生き生きとした姿を忘れることができず、
ドイツに手紙を送ったという内容でした。


それは情的な次元が違うからです。
外国の食口たちも、韓国の食口に会うと20代にしかならない青年なのに、
自分に自分の親から言われるようなことを言うというのです。

「今夜、寝床はどうするのか」と尋ねたのですが、
外国ではそんなことを尋ねる習慣がありません。
ところが韓国の食口が寝床と食物を心配してあげるのを見て、
自分の親のように感じられるという話を聞きました。


神は人間と離れていることができない方です。
ですから神は、悲しまれるのです。

初めは神が去ったと思いました。
そのように去ってどこにいらっしゃるのでしょうか?
天のあの空中にいらっしゃるのでしょうか?

現代科学がどんなに宇宙を探してみても、
この地上の原理を離れて存在する所はないというのです。
太陽光線が届かない宇宙の隅まで探していってみても、
自然法則の原理に反する所はないのです。


宇宙を征服したとしても、地上のこの原理を離れて
法則があるはずがないように、
神が堕落によって価値が低俗化した人間と
一緒におられるといっても、神は低俗化しません。

自分の体が罪を犯しても自分の体であり、
自分の心が善を行っても自分の心です。

罪を犯したといって心が体に、
「あなたが罪を犯したので私はあなたと一緒にいられない」
といって離れることができるなら、神もそうするはずです。

行動は自分(体)がしておいて、心を辱めます。
ですから犯罪になるのです。

人間が過って、神を悲しませました。
神を悲しませたので、私たちも悲しみの中から解放されずにいます。
心が喜んでこそ体がうれしいように、
神が喜んでこそ私たちもうれしくなるのです。

それで「神があなた方の内におられる」
とイエス様が教えてくださったのです。

女性の行く道 1977年10月20日 中央修練所



「私」が神様を知らなくても、
神様は「私」とともにおられるし、
もっというならば、罪を犯したとしても
ともにおられるのが、神様です。

親子の関係もそうですね。
子供が親の言うことを聞かず、親が小言を言って、
ぷいっと親を振り向かなくなっても、
親は、子供を愛し続けます。

いつも私を愛し続けている神様がおられること、
本当に感謝以外の何物でもありません。。。
伝統の相続は、心情の相続だと思わされます。

あと一回続きます。





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*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



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