2017年07月10日

み旨のためにすべてを捨てなければならない?!  《70’s李ヨハネ先生》



1959726_601453509941191_1961055081_n.jpg


李ヨハネ先生のみ言、
『み旨による私』
から抜粋して、紹介します。


私たちは、既に主を主体者として迎えた新婦の立場に立ちました。
新婦の立場は既に主体者による生活圏内に来ているということです。

今まで私たちは神のみ意を知ってきたでしょうか。

新・旧約聖書を通して見る時、神は喜びを願われる方であり、
そのためには自分の十字架を負ってイエス様に
しっかりと従っていけばいいのであり、
そうすれば信仰によって喜ばせることができる
ということは知っていましたが、
具体的な事情はよく知りませんでした。

つまり、イエス様の十字架の事情とか、
神がアダム・エバを創造されるようになったその深い事情を知りませんでした。
アダム・エバを中心として、どういう摂理を
しようとされたのかよく分からなかったのです。


堕落しなかったなら、私たちが現在暮らしている自分の父母や兄弟、
親戚や自分の国で自分の思いどおり喜んで暮らしても、
神のみ旨による生活になったのですが、
堕落することによって私たちは、
これをすべて否定しなければならないようになりました。

今日の私たちの信仰生活は、
根本的に私たちがもっていた過去の習性や文化まですべて否定し、
新たに神のみ旨を見いだして始めなければならないので、とても難しいのです。


ですから、旧約時代に神はご自身のみ旨を条件的に教えてくださいました。
祭物をささげる方法とか、法を守ることなどが、
神のみ旨だと教えてくださいました。

それが本来の神のみ旨ではないけれども、
そういう制度や儀式を条件として立てさせたのです。

そして次に新約時代には、再びみ言を下さいました。

「人の過ちを記憶するな、哀れな人をかわいそうに思いなさい」
と言われながら、制度を条件として、心を使う方法を教えてくださいましたが、
その中にもやはり神の事情はすべて表されなかったのです。

職員修練会での説教 
1977年5月23日 中央修練所



神様の事情、心情というのは、
時代に応じて語られ、
求める人に応じて、語られてきました。

イエス様も神様の事情・心情をご存知でしたが、
基台がなかったために、すべてを語ることができませんでした。

しかし、今は真の父母様が
すべてを解き明かし、私たちに伝えておられます。
それは、時代の恩恵圏、
成約時代、さらには、天一国時代を迎えた故です。

かつては蕩減時代、今のような基盤のない教会で
信仰のためにはすべてを捨てなければなりませんでした。
ある意味では、分別しやすかったかもしれません。

今は蕩減時代は去り、すべてを捨て去ることを
求められませんが、心情を分別し、
本然のものを作り出していくためには、
今までのものを全て持ち続けていくことは難しいかもしれません。
捨てるものは捨て、整理・整備が必要ですね。

その時代、歴史的な時に生まれ合わせ、
さらには、その恩恵を受けることができる、
そのような時にいることを感謝しつつ、
受けるにふさわしい器を
備えていかなければと思うのです。

続きます。






にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)