2017年07月15日

苦労のチャンピオンは誰か?! 自分の苦労が小さいと思える時  《李ヨハネ先生》



2008_06_23_15_2005_09_05_3_TP01614_m.jpg


李ヨハネ先生のみ言の続き、
「苦労の中でも神の心配をされる先生」(後編)です。


私たちが処している現実もそうです。
2、30年、いやわずか10年前に
私たちの世代が生活していたことと比較しても、
どれほど差がありますか?

最近入ってきた教会員と、3、4年前に入ってきた
教会員ともかなりの差がないでしょうか?

最近でも入教すれば大変だというけれど、
過去に比べれば何でもありません。
入教したといって、今も頭を剃られて追いかけられる人がいますか?

どこかへ行くといえば、お金をくれて
早く帰っておいでというのではありませんか?

ですから、先に歩んだ方々の話を聞くと、
私たちが出遭うことは問題でなくなります。
同様に今日の私たちの苦労は、
神の苦労に比べれば何でもありません。


イエス様は神のみ旨のために生きた方なので、
ご自身の十字架、すなわちご自身が苦しい、おなかが減った、
痛いということを問題視されませんでした。

なぜなら、神がより一層心を痛めておられるのを知っていたからです。
神の心配をよく知っていたからです。


先生も獄中生活をする時、
自分のためには祈祷しなかったといわれました。
獄中の苦痛の中でも神の前に祈祷されなかったそうです。

神が心を痛められることを知っていたので、
むしろ苦労するたびに、「だいじょうぶです」と言いながら、
人を愛するところに喜びを見いだし、仕事に全力を注がれました。

ですから獄中で賞をたくさんもらったとおっしゃいました。
そうしてこそ神を喜ばせることができるから……。
他の人より仕事の実績が劣ったなら、
かえって神が心を痛められるだろうと心配された方です。


困難な中で、難しくないと考える人が孝子です。

物心のつかない幼い子供は、
少し血が出ても死んでしまうと、大騒ぎするでしょう。
物心のつかない時は、少し痛くてもお母さんが
びっくりするのがおもしろくて、もっと大騒ぎします。


私たち信仰者が本当に神の心配や悲しみを知っているなら、
自分にぶつかることをもって、やたらと
「難しい、生きていけない、痛い、苦しい」と言うことはできません。

考えてみてください。
いくら難しいといってもイエス様ほど哀れですか?
先生ほどひどい目に遭ったでしょうか。
飼い葉おけから十字架まで行かれたイエス様ほどかわいそうですか?


先生に「伝道師がまだ冬の服も着ることができず、
あのように苦労しています」と申し上げると、

「何だって? 苦労?
エデンの園のアダムとエバが服を着ていたと思うのか?」
と言われて、ただ一言ですぐ終わらせました。

私たちの苦労を問題視されません。
先生は既に神の苦労や悲しみやすさまじい事情を知っているので、
今、私たちが出遭うことぐらいは、既に超越しておられます。
ですから、毅然とし、凛々としておられるのです。

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所



「かわいい子には旅をさせろ」と言いますが、
苦労が、人を成長させるのでしょう。

親とは、父母とは、苦労するものかもしれません。
人類の真の父母であり、救世主であるなば、
そして私たちを含む宇宙を作られた神様であるならば、
苦労の次元が違いすぎると感じます。

苦労のチャンピオンは、
天と真の父母様に間違いありません。
イエス様の生涯、十字架一つも
なかなか私の次元では、越えられるものではないと思うのです。

我が子のわがままや、伝道する相手の言動に
一喜一憂してしまったり、
そんな私たちの苦労など微々たるものだと感じてしまいます。

親の愛、真の愛を実践するということは
つまり、苦労しなければならないのかと、
今更ながらに思うのです。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)

*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)