2017年07月19日

「あなた」と「私」と「神様」の関係?! 「公的」「私的」の意味?!  《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「『あなたと私の和睦』が神様」です。


(ところで)今日、大部分の宗教は、神は超越した方であり、
絶対的な方として高めておいて、私たち人間は
神の前にさほど問題にならないもののように考えますが、
実は「あなた」、「私」というところから、
神との関係が始められていくのです。

これが統一教会の神観です。
私たちの神は、「あなた、私」の中に、
また心と体が一つになれば臨在されるのです。

ところで、これが本当に難しいのです。
6000年間の問題の種も、これではないですか? 
きのうもお話ししましたが、カイン・アベルの不和関係が、
歴史を延長させた原因です。

カインのアベル殺害事件、ハムとノアの関係、
アブラハムの献祭失敗、イスラエル民族がモーセを恨んだこと、
洗礼ヨハネの失敗など、これらすべてが、
「あなた」、「私」を間違って考えたため起こったことでした。

「み旨に拠る私」という言葉の中の「み旨」もどこにあるかというと、
「あなた、私」の中にあるのです。


私たちはしばしば公的だ、私的だという言葉を使いますが、
自分が考えて自分の思いどおりにしようとすることが「私」であり、
自分の心からにじみ出たことだけれど、
相手側の心を経由してしようとするのが「公」です。

自分からにじみ出はしたけれど、
相手の心も本当に喜んで許すほどであり、
決裁を得てからしようとする思いが、公的な心なのです。

アベルを経由し、カインを経由しなければなりません。
経由しなければ「公」ではありません。
自分勝手に考えて決定するのは「私」です。
サタンの侵害を受けて物事がねじれるようになるのです。


家庭でもお互い不和になると、家の中のことがうまくいきません。
家族をみな理解させて喜ばせておいて仕事をしなければなりません。
うまくやらなければなりません。

特に男性は、家庭で妻が喜んで後押しし、
祈祷してくれる心がにじみ出るようにしなければなりません。


今日、教会の責任者は、年取った信仰の母に
教会長の事情をよく知らせて、
その人たちが教会長の事情をよく知って、
自ら祈祷してあげたい思いがにじみ出るようにしなければなりません。

こういう信仰の母を少なくとも三人もてば、
その教会や教会長のすべてのことが発展するのです。


ところが、教会の責任者として
自分の教会内に祈祷する人をもつことができなかったり、
事情が人と通じていない教会長は発展するはずがありません。
足場がないからです。

そういう教会長は家庭でも同じです。
夫人には何の相談もなく、自分一人でさっさとお金を使い、
自分一人で仕事を全部引き受けたなら、その家庭は発展できません。
原理的にそうなっています。


教会の長老であられる方々は、しっかりと分かっておいてください。
夫人が自分の夫のする仕事をよく知って、心から喜んで後押しし、
祈祷してあげることができるようにしなければなりません。

そうすれば神がその家庭に責任をもって協助したいと思われるのです。
善霊がそのように願っており、原理がそうなのです。

「家和して万事成る」という言葉は、
夫婦が一つのみ旨をもってお互い調和し、
神の運勢を引き入れることによって、
家庭がうまくいくということです。

そういう原則を離れた時は、罪となるのです。

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所



「公」と「私」の違い。
なんだかとても明確に指摘してくださっています。

やはり、神様は宇宙を二性性相で作られているので、
すべては関係性の中で成り立っていくのだと思います。
それが今、中心が良く語られている
『疎通と共有』なのだと思います。

それを実行、実践することによって、
今は時代の勝利圏により、
無限に発展する時を迎えているな、そのようにも感じます。

真の神様をあらわしてくださった
真のお父様に改めて感謝いたします。
そして、その神様の存在様相を通して、
私たちに信仰指導してくださる
李ヨハネ先生にも感謝いたします。。。

続きます。






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