2017年08月13日

悲しみにサヨナラ、微笑んでサヨナラ?! 苦痛は宝物、放置も浪費もしない!! 《李ヨハネ先生》



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人気の李ヨハネ先生のシリーズ。
今日は「苦痛の中での『信従』」の最終回。
「永遠なる『愛の基準』をつくるには」を紹介します。

第1回目で、「私の悲しみとお前の悲しみが同じだから、
お前のほかには話す者がいない」という
神の声を聞くような心情基準、精誠の基準が必要だと言われていますが、
そのまとめになります。


先生が私たち幹部を連れていって服を買ってくださる時にも、
先生は「作業服がいい、旅行する時はアイロンをかける必要もなく、
洗ってパンパンはたけば、そのままさっと着て
出掛けることができるからとてもいいんだ」と言われながら、
作業服に近い洋服を買ってくださろうとする場合があります。

ところがお母様は「講義する時にも着ようと思えば、
少しいいのを買ってあげなければならない」と言って、
「もっと高いのを買ってあげてください」とおっしゃいます。

これは、一般的な家庭とは反対ではないですか。
こんな光景は先生の家庭だから見られるのであって、
普通では到底望めないことです。
他の家庭では見られません。

先生はお母様を、与えたがる性格をもち、
すべての神の業に感謝なさると称賛されました。


過越の祭にイエス様がベタニヤに来られた時、
マリヤが慟哭したところで、私は信仰感情に対するヒントを得ました。
私たち夫婦もこうならなければならないのです。

夫が悲しければ、語らずとも妻も悲しく、
夫が何かをしたがれば妻もそうしたがる、
具体的な伝達がなされる夫婦であってこそ完成基準に到達した夫婦です。


皆さんも神の愛と人類の愛を受けようとすれば、
自分自身、愛の基礎を築くことができなければなりません。

この基礎という言葉は、神の苦痛を自分の苦痛よりもっと気の毒がり、
み言を抱いてすべての困難を信仰によって克服しつつ、
神の感情に自分の感情を一致させようと努力し、
人類を愛する心を抱くことを意味し、これが正に信仰基台になるのです。

このように、自ら困難を克服し、信仰基台を立てられない人は、
環境の支配を受けることになるのです。
信仰の基礎は自分がつくるものです。
だれも代わってあげることはできないのです。


愛の基礎は自分がつくらなければなりません。
神の愛を占有する基礎は自分がつくらなければなりません。
ですから、恨んだり不平を言ってはいけません。

イエス様は十字架で亡くなられる時に、
神の愛と人類の愛をすっかり占有できる基礎をつくられました。
これを知らなければなりません。

イエス様が十字架上で、恨みや不平なく、
神のみ旨と人類の不信を一人で負われたので、
永遠なる愛の基礎をこの地上に立てたのです。

これを具体的に知る時、皆さんも
神の愛の基礎を築くことができるようになるでしょう。


今や私たちは、苦痛を放置しておいてはならないのであり、
苦痛を浪費してもいけないのです。

苦痛というのは、永遠なる愛の基礎を築くことができる、
私の宝物の基盤なので、貴重なものなのです。



今までの復習になりますが、
苦痛を与えた人に対して、
また環境圏に対して、
どのように受け止めることができるか、
物事の捉え方が重要なのだと思います。

そして、私が通過した以上の苦痛を
真の父母様が通過され、
すべてに感謝して乗り越えておられます。

イエス様を慕うクリスチャンたちは、
たとえ2000年前の過去の人物だったとしても、
イエス様が十字架の道を越えて、
全てに感謝し、勝利の道をいかれたので、
自分が通過した苦痛の道と照らし合わせ、
ともに乗り越えていくことにより、
慕わしきイエス様、主なるイエス様・・・
そのようにして心情を近くしていきました。

イエス様を慕う人は数多くいます。
さらには、真のお父様のみを慕う人もいます。

しかし、私たちは真の父母様に侍る者たちです。
そのことを誇りに思いつつ、
だからこそ、全てを感謝に変えていけるようにしていきます。





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*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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2017年08月12日

悲しみに出会うたび、あの人を思い出す… 苦痛の中で知る天の真の愛! 《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
「苦痛の中での『信従』」より
「ある人の驚くべき復活体験」を紹介します。


少し前に、ある人がとても驚くべき話をしてくれました。

自分の妻が練炭のガス中毒で意識不明となり、
この世を去るというので、あまりにもぼう然となり、
「永遠の祝福であるのにこうなりえるのだろうか」
と思いつつ、数時間、意識不明の妻の顔をのぞき込んでいたら、
自分の意識が混沌となり、ふらっとしたそうです。

ついに完全に息を引き取った妻の死体の前で、
本当に去って行くのかと思うと、一層意識が混沌としたというのです。

その時、その人は先生の苦痛の事情に通じながら、
自分の心が復活したそうです。

「先生は私を苦痛の中から救い出す方なんだなあ」と、
本当に先生は偉大な方だと思ったというのです。


耐えがたい苦痛の中で先生の偉大さを悟ったというのは、
驚くべき経験です。
そういう逆境の中で天を中心とした事情と通じるというのは、
当面してみない人には想像もできないことです。

自分の苦痛なんかは何でもなかったそうです。
先生の苦痛が感じられ、それに比べれば何でもないことで、
自分はふらっとして倒れたというのです。

神の苦痛が私たちの苦痛と通じてこそ、
その苦痛という圏内から逃れるようになるのです。
その時、感じられる喜びは何に比べることができましょうか。


夫人の顔が硬くなりつつあるのに、
その人は先生の苦痛とぶつかった瞬間から、
心が悲しみから解放され、神の愛を体験しました。
瞬間的にこの人は妻の死亡を経て復活を体験したのです。

きょう、私がはっきり言いたいことは、
自分の苦痛と神の苦痛が通じる時こそ、
愛によって復活するということです。

全人類の苦痛を合わせても比較にならない神の苦痛だからです。
苦痛をたくさん受けた人こそ、
他の人の荷を引き受けることができます。


子の悲しみは母の懐で解決されるのと同様に、
人間の苦痛は神の苦痛によって解決されるのです。

神の苦痛を悟り、自分の苦痛の領域から脱して
愛の世界に入っていくこと、これが本当の復活です。

自分自らが苦痛の中で見いだした愛だからです。
苦痛の中で神の愛を探し出した人だからです。

これは自分自らが掘り出していってこそ、自分のものになるので、
私たちが行く道は本当に険しい道です。



ヨハネ先生が語られているように、
「自分の苦痛と神の苦痛が通じる時こそ、愛によって復活する」
これは本当に真理であると思います。

また、これは頭で理解するということよりも
心情で感じていく世界なのだと思います。
ですから、原理というものは、もちろん知的に理解するものでもありますが、
どんな人でも受け入れることができるのは、心情に通じるからです。

そして、神様は目には見えませんが、
その心情に完全に通じている方、
すなわち真の父母様に通じることを通して、
私の心情は解放されるのです。

真のお父様に心から感謝いたします。
真のお母様に心から感謝いたします。

続きます。




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2017年08月11日

松戸家庭教会の救国救世の霊的スポットはここだ! 《娘の夢の証し》



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あっという間に8月も半ば。
霊界におられる真のお父様の聖和5周年まで、
20日あまりとなりました。

お母様はお父様の聖和式のために
精誠を捧げられながら、
準備をしておられると思います。。。

また、日本では多くの人たちが先祖に侍るお盆の時期でもあります。
霊界は切実に私たちに働きかけていると思うのですが、
先日、娘がとても強烈な夢を見ました。
妻が夢解きしてあげると、喜んで
詳細な内容を話してくれたといいます。


まるで大きな災害の後のように、街に助けを求める人があふれていました。
そこは松戸の駅頭、いつも松戸家庭教会のメンバーが
路傍伝道をする場所でした。

そこは現実の普段の駅前とは全然違って、
暗く薄気味悪い雰囲気に満ちていました。

ある人たちは、過去の罪が記されたものがあって、
悪い思想に侵されてしまった記録が残っているので、
この世の人ではない霊人のおばあさんが、
「この人を助けてください、助けてください」と
言っていました。

そして、松戸教会の婦人が、道行く人に
パンを配っていました。
私(娘)も食べました。

お父さんや弟、松戸教会や同じ教区の食口がその場に集まっていました。

そして、さっき助けを求めていた人たちも、
これでみんな助かったんだと思って、ホッとしました。



松戸教会で伝道をする駅頭の場所は、
教会員たちが、霊的なスポットのように感じていて、
伝道しているときには、神様が共にいて働く
「聖地」と呼ぶ場所です。

目には見えませんが、神様は、空から見るように
その場を見守ってくださり、
救おうと働きかけておられるはずです。

娘が見た夢は、ある意味松戸駅前のそのままの状況を、
霊的に見たものともいえるかもしれません。

多くの罪を持った人たちが、まるで災害時のような悲惨な状況の中にいて、
その人たちの先祖は、後孫と自分を救ってほしいと
必死に訴えている。

それが、実際に霊的に見たとしたら、その通りの
日本や世界の現実だと思うのです。


娘が夢を見た翌日、お母様が
昨日記事にあげた米国の帰国勝利報告大会をされましたが、
私たちの教会は路傍伝道の日だったので、
大会の中継を見るのもいいが、具体的に神様の喜ぶ活動をしようと
松戸駅頭でいつものように活動をしました。

神様、霊界の真のお父様が喜ばれたのか、
その日は霊界が今までと変わったように、
素晴らしい人たちとの出会いがありました。

うちの教会の婦人たちは、
神のパンならぬみ言を伝えようと、
多くの人に声を掛けていました。

娘が夢で見た「パン」は、人を生かすもので、
霊的に人を生かす「み言」、
私たちを新たに生みかえてくださる「真の父母」と
「祝福」を表すのだと話すと、
娘はへーっと言っていました。

家庭連合のブランド、真の父母とみ言と祝福、
これを伝えていくこと、
それが救国救世にもなり、
私と私たちの家庭をも生かすことにもつながり、
霊界も共に喜び共に歩むに違いないと
つくづく感じたのです。





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