2017年11月08日

12人のご子女様を! 「非常につらかった」お母様の出産と産後 《鄭中和先生》3



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鄭中和(チョン ヂュンファ)先生の証し
「真のお母様にお仕えして」続編、
御聖婚された真のお母様は──



真のご子女様のご出産

その後、真のお母様は、すぐに身ごもられました。
そして、そこで譽進様を出産され、それでお父様も、
そのお宅との間を行ったり来たりされ、
お母様も礼拝を受けに来られたりされながら、
そのようにして1年間を生活されたと思います。


そのころの記憶ですが、真のお父様は、
出産に対して大変に厳しく指導されました。

私たち36家庭のときも、
「妊娠中には、悪いものを見てはいけない。」とか、
「病気見舞いにも行ってはいけない」
「喪中の家にも行ってはいけない」
「汚いものを見てはいけない」などと、心構えを正しくして、
良いことだけを考えるようにおっしゃいました。

そして、出産も病院でするのではありません。
「この既存の世の中の医者や、助産婦の所に行くのではなく、
家をきれいにして、そこで、
私たち食口が赤ん坊を取り上げなければならない」と、おっしゃったのです。


ですから、お母様も同じでしょう。
お母様も、初産のときには、とても苦労をされました。

譽進様は大きかったのですが、
「病院にも行ってはいけない」と、お父様がおっしゃったので、
家で出産されたのです。

そのとき、折よく、助産婦であった金信旭先生がいらっしゃいました。
そのかたは、霊的にも明るく、信仰も本当に素晴らしいかたでありましたが、
その金信旭先生が、真のご子女様のほとんどを取り上げられました。

真のお母様は、そのようにして病院にも行かれずに出産なさったので、
現代医学の恵沢をお受けになることができなかったのです。


そして、ご出産のときは、私たちは皆、礼服を着て、外で精誠を尽くすのです。
お生まれになる真のご子女様をお迎えするために、
特別な儀式をしながら、その部屋の外でお待ちしたのです。

これは余談ですが、私たちは、
『初産は、間違いなく男のお子様であられる』と、思っていました。

ですから、36家庭の古い食口たちは、お母様が出産なさる、
その部屋の近くに集まって精誠を尽くし、一般の食口たちは、
前本部教会で、お母様の出産の苦痛を共に感じながら祈祷をし、
また、朴普煕会長が、大きなケーキを準備して、
「王子様が来られる」と、飾っていたのです。

ところが、女のお子様でいらっしゃったのです。

けれども、そのころからお父様は、お母様に
「12人の子女を生まなければならない」と、おっしゃっていました。

ですから、王子様であられても、王女様であられても、
このように早くご懐妊することができてお生みになり、
お子様が本当に健康であられたので、
喜びの思いのほうが、大きかったことでしょう。


しかし、当時の困難な環境の中でのご出産について、
真のお母様は、後に回想されながら、
「非常につらかった」と、言われたことがありました。

不十分な医療環境以外にも、生活環境は、あまり良くありませんでした。
韓国の家は、すきま風が多く、
そのころは、暖房施設もよく整っていなかったのです。

譽進様がお生まれになったのは、12月の寒い冬でした。
とても寒く、そのときは、暖房部屋といっても、
練炭で暖を取っていた時であり、また、ストーブも、
灯油ではなく、練炭ストーブであったのです。

それで、お母様が産後の健康回復をされるまでには、
多くの時間がかかりました。
お母様は、本当に苦労されたのです。


孝進様を出産なさるときにも、本当に苦労されました。
マリアが、イエス様を馬小屋で、
それも、かいばおけに産んだとされているように、
真のお母様にもお部屋がなかったのです。

お父様のお部屋は、前本部教会の2階にありましたが、
その部屋は、オンドル部屋ではなく、畳部屋にベッドでした。

けれども、お母様が出産される部屋は、
オンドルでなくてはならないので、トイレの横にある、
台所の横の小さな畳四畳にもなるかならないかの部屋を、
急いでオンドル部屋に改造したのです。

そこは、窓といっても、日の光がわずかに入ってくる窓が
高い所にあるだけで、日光もよく入って来ない部屋でした。
ちょうど地下室のような暗い部屋だったのです。

それでも、孝進様のご出産のときは、
譽進様のときよりも、少し安産でした。


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真のお母様は、非常に忍耐心が強く、感情的な表現もなさいません。
真のお母様は、どのようにして、真のお母様の位置と、
真のお母様としての威信等を立てることを身に着けられたのでしょうか?

大母様が、信仰の正道を歩まれたかたであり、
そのお嬢様であられるからといって、真のお母様が、その学生時代に、
大母様からまめまめしい家庭教育を受けられたということでもないのです。

大母様は、いつも伝道や奉仕に出掛けておられましたし、
お母様は、寄宿舎や、また、叔父様の家から学校に通われて、
実際は寂しく成長されたのです。


そうであられたにもかかわらず、真のお母様は、
たくましく、雄々しくあられました。

私たちは、真のお母様に絶対的に侍る立場にいましたが、
私たちよりも、もっと上の世代の婦人たちの中には、
そうではなかった人たちもいました。

しかし、それらを見事に消化され、その位置を守られたのです。
そのお姿を拝見して、私たちは、とてもすごいと思いました。


今でも、お父様は、そのことについてのみ言を語られますが、
「最も難しかったことは、真のお母様を、
神様が願われる真のお母様として成長させることであった」
と、おっしゃいます。

私たちは、一つひとつの出来事を何気なく見ていましたが、
お父様がごらんになるときには、すべてのことにおいて、
真のお母様を“完成した母”になるように育てられ、
教育されなければなりませんでした。



お母様が最初の御子女様をご出産される時、
多くの困難があったということですが、
鄭中和先生の語られたごとく、
イエス様の誕生時の蕩減復帰であり、
また、初めての真の子女様の誕生なので、
内外共の試練があったのだと思います。

お母様が忍耐して越えてこられた心情は、
普通の人にはまねをすることができないものでした。

ある責任者の方が、
「お母様のことを批判するなら、
お母様と同じような世界を体験して、
それを乗り越えてから言ってほしい」
そのようなことを話しておられましたが、
今のお母様に対しても同じことだと思います。

続きます。




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posted by ten1ko2 at 11:19 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする