2017年12月16日

「伝道が基本です!!」 老将たちを激励!! 《真のお母様のみ言 12.1》



図1.png


真のお母様が、韓国の大先輩たちを招き
語られたみ言です。


私が五年前から話してきました。
「私たち韓国教会は、
神霊と真理で再び出発しよう!」と。
草創期に帰らなければなりません。

いまや、父母様が環境圏を
全て作って下さったのですから、
各自が責任を果たさなければなりません。

老将が生きているというのですが、
(第)一線で火をつけてみますか?
精誠が必要です。

民がいないのに国の王はあり得ず、
主権もあり得ません。

基本です。
基本!
伝道が!

時はいつでも来るものではありません。
皆さんを待ってはくれません。
新たな時代、新たな歴史が作られつつあります。

この天苑団地が天一国の首都でしょう。
昔、ローマ時代に多くの国々がローマを慕いました。
ローマの市民権を得ようと努力しました。

全世界人類がこの天一国の首都に、
この国に住みたいと思うのは間違いありません。

神様の夢とは何ですか?
「人類一家族」でしょう。

家庭完成なくして天国には行けません。
家庭連合は「真の父母教」です。

父母に侍る家庭、その家庭が集まった場所。
それが教会であり、国であり、世界です。
それが人類一家族です!


元老牧会者・天一国特別世界巡回師招請午餐会
12.1



この時、お母様はとても厳しい
み言を語られたと聞いています。

日本は1万名大会を中心に頑張っているけれど、
韓国はどうなっているのか、
そんな感じで、伝道のことを強調されていたそうです。

日本は頑張っている、と聞いて、
私の本心は、どうでしょうか。
足りないし、悔い改める思いのほうが
先立つのではないでしょうか。

天運のある時ですので、
お母様と心情を一つにして、
ただ動きさえするならば、
導かれていくに違いありません。

今、最前線で歩めることがどれほど貴いのか、
そのことを何度も何度も
肝に銘じていきたいと思うのです。。。





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2017年12月15日

きょう路傍伝道、4周年!! お父様、お母様が恋しがる教会、松戸教会です!! 



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今から4年前の今日、2013年12月15日は日曜日でしたが、
私たちの教会で最初の路傍伝道をした日です。

それから、1年後のこと。
「基元節2周年公募事業」証し部門で
入選に入った証し文を紹介させていただきます。

題目は、今日のタイトルにもある、
『お父様、お母様が恋しがる教会、松戸教会です』


『劇的ビフォーアフター』というテレビ番組があります。
匠といわれる職人が古い家の修繕を任されて、
見事なまでに、見違えるような新築さながらのリフォームをするのです。

我が松戸教会も、この1年で、
まさに『ビフォーアフター』の如く、生まれ変わりました。
匠は、言わずと知れた小澤教会長ですが、
背後に、真のお父様が共におられることを実感します。

その原動力は何といっても、路傍伝道です。
特に、ノボリを出して、タスキをかけて、
路傍演説をすることが
何よりも私たちの霊的成長につながっていると感じるのです。


教会長は、1年前、礼拝の説教で叫びました。

「かつてクリスチャンたちは、自分がクリスチャンであることを堂々と誇り、
兵士に捕らえられ、殉教の道を行きました。
クリスチャンとして、自分の姿を証さなければという、
篤い信仰と決意があったのだと思います。

私たちは、成約聖徒です。
何を躊躇することがあるでしょうか。
また、昔の時代のように、真の父母様を堂々と証しても、迫害などありません。

かつてのクリスチャンに恥じない歩みをしましょう!
時代の恩恵を感じつつ、ともに駅頭に立ちましょう!」


そして、みんな勇気を持って、路傍伝道をしました。
最初は、迫害も時折ありました。

「お前たちは韓国人か!」
そう言いながら、教会長に詰め寄る男性。

「統一教会なんて、正当な基督教じゃない。異端でしょ?」
と文句を言うクリスチャン。

でも、そういう人たちにも誠意をもって、対応していきました。
今では、迫害はほとんどありません。

地元の婦人は、最初の頃、帽子を目深に被って、
うつむいて路傍演説をしていました。
私自身も地元の人間なので、葛藤がなかったわけではありません。

しかし、その婦人は、今では堂々と顔を出して、演説していますし、
私も近所や知り合いの人が通っても、挨拶を交わしながら、
演説させていただいています。


先日、李海玉サモニムから伺いました。

「日本食口の集会のときにお母様が言っておられました。
『姜京姫(14地区韓国婦人会長:当時)はどうしているの?
松戸の教会長は、何で、来ていないの?』 
松戸教会の伝道の歩みを、記憶してくださっているのです」と。

お母様が私たちを記憶してくださっている、それはどれだけの喜びでしょうか。
そうして、李海玉サモニムは言ってくださいました。

「松戸教会は、小さい教会だけれど、強い教会です。
教会長を中心にして、一致団結、結束していることを感じます」

本当にありがたいことです。
これら全ては、基元節の勝利圏です。


教会長を中心として一つとなること、それも素晴らしいことですし、
韓国婦人会長が私たちの刺激体となって、
韓日一体化を成していっていることも、
天の願いに応える内容であるのでしょう。

そして、伝道こそが天の願い、真の父母様の切実な願いなのだ、
と感じざるを得ません。

「お父様が地上におられるときに、何でもっと早くできなかったんだろう・・・」 
そんな、悔やんでも悔やみきれない思いがあることは事実です。
しかしだからこそ、今、基元節2周年を前にして、
お父様が共に歩んでくださる、この時代の恩恵を実感します。
伝道に出ることが喜びになるのです。


路傍伝道をしていると、様々な人に出会います。

自殺しようと思って、松戸駅を歩いていたら、ノボリを見て、
「昔、図書館で見た書籍(原理講論)の教会だ」と思っているときに
声をかけられ、人生をやり直した男性。

毎晩、霊現象に悩まされ、電気を消して休むことができなかったけれど、
教会に行くようになった日から、一切、霊が出てこなくなり、
ゆっくり休むことができるようになった女性。
駅で行商をしているおばあちゃん。

まさしく、私たちと共にお父様が一緒にいてくださり、
多くの出会いを与えて下さっていると実感する日々です。


教会長は婦人たちに向かって、
「あなたたちは主婦ではない、宣教師だ」と言われます。

私たちは、この日本に任地を与えられた、
神氏族的メシヤの使命を担った宣教師なのだと、
スイッチをオンにして歩むのです。

雨や雪や風の中、厳しい環境の中であったとしても、
神様を中心とした天一国を垣間見る充実した時間となります。
別の景色を見るかのように、世界の色が違って見えます。

そのようにして、路傍伝道に出ると、健康になります。
そして、毎回、ビフォーアフターのように、伝道前と、伝道し演説した後では、
平凡な一食口の姿が光り輝き、美しい姿に変わるのです。


非現実的なことかもしれませんが、こう思います。

『全国の教会で、ノボリを立てて、タスキをかけて、
神様・真の父母様を堂々と叫ぶならば、エリコ城の城壁が崩れた如く、
日本の悪霊界は一掃し、善なる霊界に転換されるに違いない。
そして、奇跡的に様々な問題が解決されるに違いない』 と。

そんな日が来るまで、これからも叫び続けていきたいと思います。


私たちの活動は本部の目に留まり、
教会長の証しは全国に発信され、
その後、多くの教会から学びに来られました。

また、青年たちも刺激を受け、
今も別の形で受け継がれていることは、
光栄であり、本当に感謝に絶えません。

家庭連合になって、路傍での活動よりも、
家庭での活動が重要視されていることは、
もちろん理解していることですし、
実際にそのような活動をしています。


しかし、継続は力なり。

駅前の路傍伝道を通して
「ああ、旧統一教会もまだ存続しているんだ」と
認知されるようになったと、自負しています。

また、人前で話すことなど考えられなかった婦人たちが
堂々とスピーチできるように訓練され、
駅前のその場所は、人が引き寄せられるスポット、
聖地となりました。

今年はうちの教会で、300名、500名を目標とした大会も
2度もちましたが、
路傍伝道の積み重ねがなければ、できないことでした。

これからも原点を見失うことなく、
孝情の心情をもって、歩んでいきたいと思うのです。




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2017年12月14日

統一教会の信仰を土台に、家庭時代の信仰へ バージョンアップ!! 《阿部局長》2



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「家庭連合」と名前も変わり、時代も変わりました。

統一教会時代と今の時代の、信仰の違いとは何でしょうか?

阿部局長のweb説教
「家庭理想の実現・《生活信仰》を通して神様の似姿に」
続きです。



「信仰と感謝」が問われる「信仰生活」

宗教時代における「信仰生活」と、
家庭時代における「生活信仰」との違いについて、
信仰姿勢という観点から具体的に見てみましょう。

前者に問われるのは、まず「信仰と感謝」です。

アダムとエバは神様のみ言(戒め)を不信して堕落しました。
その失敗を蕩減するため、信じ、感謝することを通して復帰の道を行くのです。

ですから、信じて精誠を尽くしてきたにもかかわらず、
途中で不信したり
感謝できない思いにとらわれたりするという試練が与えられるのです。


試練は、
 カイン・アベル問題、
 アダム・エバ問題、
 公金問題
等を通して起こりますが、
それは次の3つの「時」に起こりやすいです。


第1は「困難・苦難に直面した時」です。

そのような時は、悲観したり落胆したり、諦めの気持ちが湧くものです。
環境に対して不平や不満を言いたくなるかもしれません。

そういう時こそ、「甘受する心」で天の導きを信じましょう。


第2は「成功・恩恵がもたらされた時」です。

そのような時は、傲慢になったり有頂天になったりしがちです。
そこに生じた心の隙に、サタンが入りやすいのです。

そういう時こそ、「謙虚さ・向上心」が必要になります。
よく悔い改めて感謝し、さらに高い目標に向かって前進しましょう。


第3は「精誠・努力が実らない時」です。

精誠の限りを尽くして歩んでも、必ず良い結果が現れるとは限りません。
うまくいかないことに裁きや怒りの思いが生じることもあります。

そういう時こそ、「無私・不変の心」でみ旨に対する姿勢を変えず、
さらに精誠を捧げていきましょう。

このように信仰と感謝で試練を乗り越え、
神様の似姿になっていくのが「信仰生活」です。



愛の「動機と実践」が願われる「生活信仰」

次に、家庭時代の「生活信仰」についてです。

信仰の土台の上に心情を中心とした生活をしますが、
そのポイントは愛の「動機と実践」です。

神様の似姿になるためには、
神様を中心とした愛の動機をもたなければなりません。
日々の生活の中で、何をするか(行為)が大切ですが、
それとともに、私の中心に何を置き、どのような動機で行うかが重要なのです。


「奉仕」という行為を考えてみると、
「相手の幸せのため」という愛の動機をもって行う人もいれば、
「自分の利益や名声のため」という動機の人もいるでしょう。

外的には善なる行いであっても、
自己中心的な悪なる動機でなされたのであれば、
神様が働かれることはありません。


自分の心の動きに敏感になり、どのような動機で
行動しようとしているのか確認してみてください。
そして常に、絶対的な善の基準である神様を中心とした
愛の動機をもっていきましょう。

「神様だったらどのように判断されるのか。
神様だったらどのようにしてあげるのか…」と考えて歩む人に、
神様は必ず役事してくださいます。

それは、自分自身を第2の神様、神様の代身者として
意識しながら生きるということです。


み言を信じて実践してこそ霊人体が成長し、完成します。
さらに実践を継続して、生活化、習慣化、実体化することが大切です。

どのような環境においても真の愛を実践するという
「行動力」が必要ですが、諦めずに挑戦しましょう。

真の主人は、環境や人に責任転嫁をしたり、自己正当化をしたりしません。
あらゆることに対して主人意識をもち、
自己の責任分担を果たすという姿勢で臨んでください。

そして周囲を愛で感化していく人になりましょう。
そのような愛を実践することこそ「生活信仰」なのです。



過去の習慣性、過去の堕落性、
また、「古い信仰のくせ」というのでしょうか。
物事の捉え方を変えていくのは、
簡単なことではないかも知れません。

しかし、家庭連合時代に入り、
蕩減の時代が終わった今この時。
より、本然の私、本然の姿に
立ちかえりやすい時を迎えているような気がします。

それが生活信仰であり、
また、何よりも孝情の心情で歩む、ということだと思います。
毎日が反省であり、悔い改めの日々ですが、
前を向いていきたいと思うのです。





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