2017年12月18日

なぜ出会ったのか、なぜ不幸になるのか?! 背後の神とサタン 《金元弼先生》1



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久しぶりに金元弼先生のみ言です。
1986年にドイツで語られた講話を
シリーズで紹介します。


きょう、伝道に全員出ていましたか?
どういう人に会いましたか?

(女性の教会員が、「近くに住んでいるユダヤ人の青年に出会いました。
彼はこれから一カ月間スペインで休暇を過ごした後、
訪ねたいと言いました」と話す)。

そういう場合、一カ月後、必ず自分の所に電話があるだろうと
心待ちにするものです。
あなたは一カ月間、条件を立てて、一日に三回、
あるいは一回でもいいですから祈ってみてください。



目に見えない背後の原因
   
あなた方が出会えたのは、お互いに会いたいと思って出会ったのではなく、
他の原因によって出会ったと考えてみましょう。

なぜならば、自分が願って何かをして結果が出たならば、
その原因は私にあります。
ところが漠然とだれかに会おうとした場合、
会う人を決めていたわけではありませんから、
私がその人に会う原因にはならないのです。


だれも幸せを願わない人はいません。
でもその一日の中で、幸せでないことが起こります。
また、反対に自分が思いもかけない良いことが起こることもあります。
その原因は何かということです。

仕事をする中にも、上の人との関係、兄弟姉妹との関係など、
私たちは良い関係をもとうと苦労しますが、
なかなか良い関係をもてないことがあります。

そうした時、なぜこういうことが起こるのだろうと疑問になるわけです。


そうなった場合、その原因は私にあるわけではありません。
なぜなら私が願ったことではないからです。

そういうことが、一日の生活の中でいっぱいあるわけです。
それで私が原因でないとするならば、
背後にある見えないものが原因になるわけです。


ところが、私たちには皆さんと私しか見えないのです。
だから私たちはこの中から原因を見いだそうとします。

良くないことを私も願わないし、また相手の人も願わないのに、
良くないことが起こったとするならば、その原因は私でもなく、
相手でもないし、どこを探しても見当たらないのです。

では、その原因はどこにあるのでしょうか?
目には見えませんが、背後にその原因を見いださざるを得ないのです。


ですから、すべてを目に見えるものの中で解決するのではなく、
同時に、見えない世界の中に原因を見いだしていかなければなりません。

私たちは見えないものの背後に神とサタンの存在を考えざるを得ないのです。

「背後にある神の心情」
1986年7月9日 
ドイツ・フランクフルト本部教会



私たちの様々な人との出会いの背後に
目に見えない世界の影響がある。。。
特に伝道においては、その影響が強いのだと思います。

もちろん他力本願ではなく、
どのようにとらえるかが問題になると思いますが。。。

その辺のところは、明日以降に。





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posted by ten1ko2 at 09:17 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする