池承道(チスンド)ハルモ二の証しの続き、
啓示で知らされた主とは、
どのような出会いをしていくのでしょうか。
☆
新しい霊的訓練
新しい霊的訓練
(「5年後に主に会う」という啓示を受け、
訪ねあてた家で礼拝をしていた青年に
「家に帰ってよく祈祷してご覧なさい」と言われ、)
私はあわてて家に帰って祈り始めました。
しばらくして神様が私にお現れになって、
私の頭を二つにパサッと切っておしまいになって、
頭のなかをたわしでよく磨かれた後、
脳を出して水で洗ってまた頭をぴったりくっつけておくのでした。
その次には腹を引き裂いてはらわたを
水できれいに洗って入れては、また腹をくっつけておきました。
そして私の全身をきれいに化粧してくださって、
髪を切ってくださって私を十二才の幼い子供にしておいたのです。
その後に新郎になられる主に私を紹介してくださいました。
私は主とともにモランボンヘ登っていったのですが、
神様もいらっしゃっいました。
このときに主を詳しく見たのですが、
それは「景昌里」で礼拝を主管していたその青年でした。
☆
祈祷中にこのような啓示を受けてみてはじめて
すべてのことを悟ることができました。
私はその次の聖日、「景昌里」に行ってその青年に会って
祈祷中に啓示を受けた事実をそのまま話したところ、
静かにお笑いになってばかりでした。
「再臨主がいらっしゃればどの国にいらっしゃるでしょうか。
帰ってさらにお祈りしてご覧なさい」と言われました。
☆
私はこの問題を解決する為に一週間の間、一番勝負の祈祷をしました。
そうしたところ「将来来られる再臨主は韓国にいらっしゃる」
と天の返答があったのです。
その次の聖日、再び「景昌里」に行って、その青年を訪ねたとき、
「家に帰って祈祷をたくさんしなければなりません。
今度は神様イエス様とこの先生と誰をもっと愛していらっしゃるのか。
それを尋ねてこ覧なさい。」とおっしゃるのでした。
普通の人だったらあまりにも僭越(せんえつ:身分などわきまえず、出過ぎた真似をすること)な
言葉なので驚いて転倒したでしょうが、
私にはその言葉が少しも変に感じられませんでした。
私はまた、神様に特別祈祷をしました。
神様が答えてくださるには
「イエスは仕事を全部し終えることができなかったので、今楽園に来ている。
勿論、私がそこにいろと言った。
だからイエスはそのまま置いておいてもいい。
しかしお前の先生はこれからすることが多い。
それ故に今はお前の先生をもっと愛している」と言われました。
このような神様の返答によって私はその青年がどういう方なのかを
明らかに知ることができるようになったのです。
☆
このときから私は「先生をどう侍らなければならないのか」
という問題を中心に昼夜祈祷をしました。
そうしたところ、先生が親しく私に顕れて
「今からは私が承道を直接主管して愛する」とおっしゃるのでした。
このような役事によって私は確固不動の決意で先生を訪ねて行ったとき、
先生は「承道さんは今からここに来ているのがいいだろう……」と言われて
「そうすればこれから三ヵ月以内に
大きな霊的な体験をするようになるだろう」
と私の将来について予言をしてくださるのでした。
しかし私はその集会所で生活しませんでした。
もともと人の家に行って迷惑をかけるのが嫌な性格だった為です。
☆
けれども毎日のように集会所に一生懸命通いはじめたのですが、
このときから不思議なことが起こりました。
私が外出する度、右側の二、三メートル前に先生が霊的に顕れて、
私を導いてくださるのでした。
私はとても嬉しく不思議で何度も先生のそばについていって、
一緒に行こうと試してみましたが、そうするたびに先生も歩みを速められて、
先生と私との距離はいつも二、三メートルの間隔がありました。
「神様の導きのままに」池承道
分かりやすい日本語に
直して掲載しました
文責:ten1ko2
分かりやすい日本語に
直して掲載しました
文責:ten1ko2
☆
お父様と李承道ハルモニとの会話を見ても、
お父様は「私は再臨主です」とは証ししていません。
祈って悟るように、悟ったら従ってくるように、
そのことを求めておられるのだと思います。
神様がハルモニに語られているように、
イエス様以上に愛しておられるお父様であります。
さらに言うならば、その相対として立っておられる
真のお母様であることを思うと、
真の父母様に侍るということがどれだけ貴いかしれません。
続きます。
*池承道(チスンド)ハルモ二
1895.9 平安南道にて出生
1947.11 統一教会入教
1968.2 二十一年路程功労賞受賞
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)