2018年01月09日

平壌からソウル、そして釜山へ! お父様のため昼夜祈り続ける 《池承道ハルモ二4》



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池承道ハルモ二の証し、続編です。



すべての苦難の蕩減を経て

1948年2月22日、先生は社会秩序びん乱の嫌疑で保安所に拘束されました。

既成教団の指導者たちがおよそ83通の投書をしたといいます。
相次いで十余名の食口が召喚されては、釈放されて出てきました。

私は行事の主導者として追われて逃げて回りながら、
先生の為に祈祷をしていました。

そのような中、ある日は保安所に訪ねてゆくことを決心したのですが、
その日の夜、天から「入って行かないで、先生の為に
昼夜祈祷をして差し上げなさい」と言われたので真心を込めて生活しました。

そんなある日の夜「お前は神聖な決意をしていなさい。
私が早く出るからそのときまで無事にいなさい」
という先生の声が聞こえてきました。


このときから更に一生懸命祈祷をしました。

(数年が過ぎ、韓国動乱の前になって)
けれどもどうしたことか刑事たちが私を逮捕しようと
以前と違い物々しい捜査網をしいたので心がとても不安でした。

そのような祈りに啓示が降りて「南韓に下って行け」というので
公民証はありませんでしたが、老婆のかっこうをして、
米商人たちの中に入り、無事ソウルに到着しました。

ソウルで暮らしながらも先生の身辺の為に熱心に祈祷しました。

一・四後退を経た後からは、明らかに先生は出獄なさって
南韓にいらっしゃっるような予感ばかりしました。

そのとき、私は大邱に避難して「先生を見つけ出してほしい」と
毎日のように神様にせがみました。

そうしたところある日は「お前の先生がいらっしゃる家を見せてやろう」
とおっしゃりながら、幻で見せてくださるのですが、
山の下のちっぽけな家を見せてくださいました。


ある日、私が田舎に外出して帰って来ると、息子のチャンソンが
金インシエ氏に会ったのですが、
先生にお目にかかってきたのだそうだと言いました。

私はすぐ凡一洞の穴蔵の家を訪ねていって
先生と感激の出会いをすることになりました。

先生にお目にかかって、大邱の家に帰って来てから、
先生のことばかり思い出されて、我慢できずまた釜山に訪ねていったところ、
先生が「承道さんが釜山に来ていなければならないんだが…… 」と言われました。

しかし私は大邱の家を捨てて、釜山に行く気待ちになれなかったので、
大変もどかしいばかりでした。

それで一生懸命祈祷したところ
「過去の体で生きた供え物を捧げろ(ローマ書十二章)と言わなかったのか。
早く行け」という啓示がおりました。

このような天の御言を聞いて私はすべての物を捨てて、
釜山へ下って行ったのです。

釜山には姜賢實(カンヒョンシル)氏を始めとし、
金シェサン勧士(キリスト教の教職の一つ。伝道の任務を持つ)
李ヨハネ牧師、呉ヨンチュン執事、金スンチョル氏、
文スンギュウ氏のような方々が先生に侍っていました。

「神様の導きのままに」池承道

分かりやすい日本語に直して
少し編集して掲載しました
文責:ten1ko2



初期のお父様は、多くの迫害を受けました。
お父様の良いところだけを信じ、それを見た方たちは、
お父様の十字架を共に背負うことなく、離れていきました。

しかし、池承道ハルモ二のように、
祈りの精誠を捧げながら、お父様に侍った方たちは、
どのような状況であってもお父様に従っていきました。

今は、多くの基盤ができ、勝利の光が差し込む、
そのような一歩手前まで来ています。

そういう時だからこそ、足元をすくわれないように、
今の天の願いを見つめ、祈りつつ歩んでいきたいと思うのです。

続きます。





*池承道(チスンド)ハルモ二
 1895.9  平安南道にて出生
 1947.11 統一教会入教
 1968.2  二十一年路程功労賞受賞



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posted by ten1ko2 at 10:33 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする