金元弼(ウォンピル)先生の「続けることの大切さ」、
最終回になります。
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同じ時間に、同じ場所で、同じことを
同じ時間に、同じ場所で、同じことを
皆さんは、(昨日の記事の毎日教会を批判しにきた)その人は
先生のことを悪く言った人なのに、
どうしてそういうのか、理解できないかもしれません。
その当時は、先生がホーム・チャーチの摂理を打ち出して、
三年を越えていく年でした。
そこで先生は、自分のエリヤを毎日訪ねることを
常に教えていらっしゃいました。
先生は、毎週日曜日の早朝、何時間も私たちにみ言を語ってくださいました。
ところがメンバーたちは仕事が忙しい、あるいは仕事が終わって
ホーム・チャーチ・エリアに行くと遅くなる。
そして訪問先でも受け入れてくれない。
暗いから行くことができない。
犯罪の地区だから怖くて行くことができない、と
いろいろな理由で訪ねていけないころのことでした。
ですからそういう中にあって、彼を通して、訪ねるということが、
また常に迫害を受けても、受け入れてくれなくても、
続けて語るということがどのような働きをするか、ということを
私たちに直接見せてくれたのです。
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小鳥が同じ時に訪ねてきたように、またその人が同じ時に行ったように、
私たちが同じ時に続けて行くとするならば、
今お話ししたようなことが起こるというのです。
特に、私たちのように美しい神のみ言と愛をもって行くのに、
どうしてそうならないでしょうか。
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「続ける」ということが、どういうことか分かりましたか?
同じ時間に続けるということが大切です。
自分が嫌でも、やりたくなくても、
同じ時間を守ってやることによって、続けるのです。
自分がやりたい時にやるとするならば、
時間はまちまちになってしまうのです。
それは真に尽くすことができません。
それは自分のために尽くすことになるからです。
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ヨーロッパにおいても興進様を通して、
同じ時間に、同じ場所で、同じことを繰り返すことが、
霊界の協助を受けるに当たって霊界の人々に記憶させる、
引き付ける内容であるということを聞いたと思います。
そのことを考えて、街頭に出て私たちが話をする時にも、
相手の人が受け入れてくれなかったとしても、
私が言ったことは常にその人の心に残るということを
忘れないでいただきたいのです。
特にその人のために尽くして話してあげた言葉は、
心に残るものなのです。
「続けることの大切さ」
1986年7月14日 ドイツ・フランクフルト本部教会
1986年7月14日 ドイツ・フランクフルト本部教会
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この講話では、30回以上も反対する牧師を訪問した日本の姉妹の話を
皮切りに、分かりやすいたとえなどで話してくださいました。
『同じ時間に続けるということが大切』
これは本当に重要な秘訣だと思います。
徳野会長は、『絶対精誠』と語られ、
大阪の婦人の証しを「世界家庭」でもしておられます。
27年間、雨の日も風の日も雪の日も欠かさず、
早朝の聖地祈祷を続けてきた婦人のことです。
お母様もこの婦人の証しにとても感動され、
「今回、名古屋大会、大阪大会が勝利したのは、
日本の中にそういう精誠を尽くす人がいたからです」
そのように語られたということでした。
神様に侍る神日本、そして「神〇〇」になることは
こういう基準なのかと思わされます。
精誠の基準を立てて、霊界の協助を受けるような
そういう歩みを捧げていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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