2018年02月28日

幸せになるためには、順序と方法がある?! 先に多く与える!! 《金元弼先生》4



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幸せになるためにはどうしたらいいでしょうか?
幸せは相手を通してくるので、
相手をまた神様を幸せにすることだといいます。

それでは、どのように相手を幸せにするのでしょうか?

金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
続編です。



まず与えてから受けよう

先生は、国のために、世界のために、天宙のためにどんどん、
どんどん尽くすことによって国家に負債を負わせるのです。
世界に負債をどんどん、どんどん負わせることを、私たちにやらせているのです。

そうすると私たちは国の幸せを、世界の幸せを、天宙の幸せを先にあげましたから、
私の幸せを、天宙的幸せを、世界的幸せを、
国家的幸せを私たちに返してくれるというのです。

個人の幸せをあげるよりも、国家の幸せを
あげることのほうがもっと素晴らしいのです。
私たちが個人であったとしてもそれを個人として見ないで、
国家として、世界として、私たちは尽くしていこうというのです。

このようにたくさんあげれば、たくさん返ってくるというのです。


今年、私たちは「天国創建」という年頭標語をもって、
この一年を越えようとしている真っ最中です。

そういう「天国創建」を成すに当たって、
まずもって個人の中に天国を創建、家庭の中に天国を創建しなくては、
国家そして世界的な天国創建というのは期待がもてないのです。


今私たちについて考えてみると、自分の中に何が築かれているでしょうか?
私たちはこういうことを顧みながら、一年をこの一カ月に縮小して、
この残った一カ月で、足らないすべてを埋めていくようにしましょう。

ある国ではこの一年を清算し、顧みるために
七日断食や三日断食をしている人たちもいるようです。
しかし私たちは、そういう条件も必要ですが、
そのような心情で十二月を送ることが最も大事だと思います。
七日断食、三日断食の心でやっていきましょう、ということです。


「先に私が幸せをあげただろうか?」
これを考えていきましょう。

夫婦の間においても、リーダーとメンバーの間においてもそうです。
私たちは幸せを先に与えているのか、ということが問題です。

たとえ国の中心者がその人を認めなくても、
その国のために尽くす人が愛国者です。

「皆が私に尽くしてくれたら、私は皆に尽くす」
と言うリーダーであったなら、普通のリーダーにしかなれません。
皆さんも、尽くされてからその人の幸せをあげるとするならば、
普通のメンバーにしかなれないでしょう。

それは、神の原理を体恤した人、原理の人ではありません。
受けてからあげたからです。
メンバーも受けて返すとするならば、それは非原理的です。

リーダーも受けて与えるとするならば、これもリーダーではありません。
それはリーダーでなく、リーダーの立場にいる人だというのです。
そういうメンバーをメンバーでなく、メンバーの立場にある者だというのです。


私も皆さんの幸せを先にあげるように努力するし、
皆さんも私の幸せを先にあげるように努力しましょう。
お互いがそのように努めましょう。

メンバーとメンバーとの間においても、夫婦の関係においても、
「お互いが先にやる」、このようにしましょう。


とにかく、その人に幸せを先にあげるようにしましょう。
いいものがあれば「あなたが先に」、
こちらの人は「あなたが先に」、このようになりましょう。

そうしたらどうなるでしょうか?
二つあって、一つずつ食べたらそういうことはないですね。
ところが一つしかないので、私は「あなたが」、
いや「あなたが」と、このようになるのです。
そうしたら、この一つはどこへ行くでしょうか?
行ったり来たりします。

そういう姿をご覧になる神は、どのようにお考えになるでしょうか。
「いやー、これ一つしかないから、これを持つ者がいない」
ですから神が持っていくでしょう。

そうしたら神は一つ受けたから、どういう心をもつでしょうか。
それは一つしかないから、神は、
この二つの家庭にたくさんの祝福をあげるでしょう。


そういうことを考えて、「お互いが先に先に」という、
こういう雰囲気をつくっていきましょう。

皆さん、心を尽くして、尽くして、
その人が私を分かってくれなくても、
何回も、何回も、心を尽くしてあげるのです。

どういうことが起こるでしょうか?
そういうことを通して皆さんが、ただ言うだけでなく、
そのように尽くしながら、どういう結果が起こるか
ということを見ながらしなさいというのです。

幸せについて  
1986年11月30日 
ドイツ・フランクフルト本部教会



幸せになるためには、相手を幸せにする。
そのためには、先にたくさん、よりよいものを与える。
そして、なにより神様に一番よいものを
真っ先にあふれるほどたくさん捧げていく。。。

神様の心情を思い、良心を研ぎ澄ませ、
神様を中心に本心のごとく生きるとすれば、
私たちは、為(ため)に生きる人生、
相手の幸せのために生きる人生を送ることができるでしょう。

真の父母様が生涯、その道を歩まれましたので、
今この時、
真の父母様と一つになることが何よりも重要であり、
その究極のメッセージが
「孝情」なのだと思います。

さらに、具体的な形に表すとするなら
「神氏族メシヤ勝利」
になるのではないかと思います。

誰もが、為に生きる人生を送れば、
天国に通じていくことでしょう。

私たちが為に生き合うことを
神様、真の父母様が何よりも願われています。
まずは、私自身が目指さないといけないと思うのです。

あと、一回続きます。






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2018年02月27日

原理を一言でいうと何か? ──幸せになるためのポイント  《金元弼先生》3



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
続編です。



原理の中心は良き授受作用

皆さん、原理とは何でしょうか?
もし、「一言で原理とは何ですか」と聞かれたら、何と答えますか?

原理にはいろいろな部分があります。
創造原理もあれば、堕落論もあれば、復帰原理もあります。

では、このすべての原理の中心は何でしょうか。
もちろん神を中心とするものですが、それは良き授受作用です。

この原理は受けて与えるのではなく、授けて受けるものです。
私たちはそれを忘れてはいけません。

それができなかったから堕落したし、
それを立て直すために復帰原理があるのです。

私たちの幸せは主体と対象の授受作用からといいますが、
主体の幸せはだれがもっているのでしょうか。
対象の幸せはだれがもっているのでしょうか。

それでは神と人間とはどうでしょうか。
神は主体で、人間は対象の立場です。

それでは神の幸せはだれがもっているのでしょうか。
神ご自身がもっておられるのではなく、人間です。
そして、人間の幸せは神がもっておられます。
私たちは、これをはっきりと分かっていなくてはなりません。


人々はまず第一に、自分の幸せを要求するのです。

「私を先に分かってくれ」「先に尽くしてくれ」「私に与えてくれ」
とお互いが要求しますから、なかなか与えることができず、
また受けることができません。

ところが相手の幸せは私がもっており、私の幸せは彼がもっているのです。

「私に先に尽くしてくれ」「私を分かってくれ」と言うのは、
「私に幸せを下さい」ということです。
では、「下さい」と言われて、この人はあげたいと思うでしょうか?
あげたくなければ、あげることはできなくなります。

「あなたは私の幸せをもっているではないか。
私のものだから、私が要求する時に、あなたはくれるべきではないか?」
こう考えて「私のものをくれ」となるわけです。

そうすればますますあげまいとするでしょう。
そうしたら殴ってでもこれをもってこようとするでしょう。

しかしそれで幸せになるでしょうか?
そうではありません。

ですから自分の幸せを得たいとするならば、
先にその人に幸せをあげることです。
つまり先にその人を分かってあげることです。
そしてその人に尽くしてあげることです。
その人に与えることです。


いくら醜い人であっても、その人が自分の心を分かってくれる人、
自分に尽くしてくれる人、何もかも私に与えようとする人だとしましょう。

そういう時、皆さんは「私は嫌です」と言いますか?
「あなたの顔が醜いから、醜い人に尽くしてもらうのは嫌だ。
自分のことを分かってもらうのも嫌だ」となりますか?
そうではないのです。

いくらハンサムな人であっても常に、「私を分かってくれ」
「私に侍ってくれ」「私の言うことを何でもやってくれ」
という人があるとするならば、
「あなたはハンサムだから何をしてもいい」となりますか?
そうではないのです。


ですから、その人の幸せを私が先にあげるとしたら
「私の幸せをくれ」と言わなくても、
「いやー、あげます」とすぐ与えてくれるのです。

皆さんも「人は私に尽くしてくれない」
「人に理解されない」ということがたくさんあるでしょう。
そのように寂しい人は大勢います。

しかし私たちはそれに対して、
「私はどれくらいの人に幸せをあげたのだろうか?」と考えるべきです。
あげると必ず返ってくるのです。
なぜならば、原理でいう善なる授受作用だからです。


では皆さん、この息を考えてみてください。
与えられて、どんどん吸い込んでいきます。
いっぱい入れてみてください。
受けてみてください。

この受けるということは、幸せを、
あるいは愛を受け、尽くされるということです。
たくさん受けて、いくらでも入るでしょうか?

ところがそれは限界があるというのです。
苦しいでしょう。
苦しいけれどももっと受けていけば、死んでしまうのです。
しかし、死にたくないでしょう。

ですから受けたくらいにあげなければならないのです。
与えて与えていけば、黙っていたとしてもこの人は返してくれるというのです。
苦しいからです。


皆さんも、どんどんいつまでもいつまでも尽くされると、最初は感動します。
「尽くしたこともないのに、こんなに尽くされたことは初めてだ」
と非常に喜ぶでしょう。

ところが二回、三回尽くされて、どんどん、どんどん尽くされると、
皆さんは心情の負債を感じるようになります。
そうしたら苦しくなります。

この苦しい心から私が抜け出すためには、それをあげなければならないのです。


私たちは常に、自分の幸せを要求するから問題になったのです。
私たちは先にあげるようにしましょう。

「私はあの人にとても尽くしてあげた。しかしあの人は私を分かってくれなかった」
こういう体験をした人もいるでしょう。
しかし本当に心を尽くして一度、二度、三度と尽くしていきますと、
人間には良心というものがあり、
返さなければならないという転換点に必ず来るのです。

そして、この宇宙の力はこの授受作用の原理に従って存在しますから、
受けたけれどもあげないなら非原理的です。
非原理状態のものを原理の力、宇宙の力が押し出します。

それが良心の呵責として現れるというのです。
そうして「あげなければいけない」「返さなければいけない」
というようになるのです。

幸せについて  
1986年11月30日 
ドイツ・フランクフルト本部教会


元弼先生のおっしゃられることは
本当にその通りです。
宇宙の法則は、ために生きるようになっていて、
与えることが大前提です。

真の父母様は、
まさにそのように実践してこられました。

しかし、私たちはみ言を聞いて、
知っているにもかかわらず、
受けること、与えられること、
そのことを考えてしまうのです。

ために生きる愛の実践・・・
今日も路傍伝道をしていきますが、
そんな思いを持ちつつ、歩んでいきたいと思うのです。





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2018年02月26日

簡単ではなかった! 原理講論・日本語版ができるまで 《小山田先生》



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小山田先生自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」より、
光言社HPに掲載された要約を紹介します。


1967年6月12日に真の父母様が来日された際、
韓国で発刊された『原理講論』を日本語に直訳した
分厚い資料を持ってこられました。

日本留学の経験があるなど、日本語の達者な韓国の先生方が
翻訳を担当されたものでした。

その内容について、劉孝元先生を中心として
一つ一つチェックしていきました。

韓国語から日本語への直訳だと繰り返しが多く、長くなります。
それを日本語に訳していくと、
今度は韓国語の元々の意味が失われることがあります。

すると、「それは日本語では通じません」ということになり、
侃々諤々の話し合いが続きました。

私は「翻訳とは、こんなにも難しいものか」と感じました。
「原著者が来ても、このぐらいかかるのだから、
普通の翻訳なら数割しか正確に伝わらない」
ということを強く感じたのです。

例を挙げると、前編・第一章「創造原理」の「神の二性性相」の中の
「神の本性相と本形状は、
各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化する」

との言葉は、元々ありませんでした。
それを劉孝元先生が、お父様に進言し、
「それでよい」と許可を頂いたわけです。

また、同第七章「キリスト論」には、
「重生論」とありますが、日本には「重生」という言葉がありません。

そのため、「最初の段階では『新生』としてよろしい。
しかし、版を重ねる際には『重生』にしなさい」となったわけです。

もう一つ重要な部分として、後編・第六章の「再臨論」では、
メシヤが来られる国、韓国について、いろいろと条件が記されていますが、
初版は簡潔にまとめられています。

これについても、お父様から
「再版のときは詳しく載せるように」とのご指示を頂きました。

天来のみ言ですから、聖書のごとく
「一言一句加えてはならない、削ってもならない」というのが原則ですが、
お父様はそれぞれの国の事情を考慮し、多少の手心を加えてくださいました。

日本がこのみ言を受け入れやすいよう、配慮してくださったのです。

小山田秀生先生の自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
第2回「真の父母様の御来日と原理講論」より
「祝福家庭」87号(2017年冬季号)にも掲載



原理講論の発刊にあたって、
多くのご苦労があったということ、
特に日本に対して、お父様が
様々な配慮をしてくださったということを
初めて知りました。

確かに日本には、「重生」という言葉はありません。
今では当たり前のように受け取られるみ言も
時代の恩恵圏、霊的勝利圏が土台になっているのだと思います。

多くの精誠が詰まった原理講論。
もう一度、貴く思いつつ、
み言を噛みしめていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:34 | Comment(2) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする