2018年02月22日

雑念100%カット!! 「思いの電車」に乗らない方法?! 《家庭力up↑講座》



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御聖誕日敬礼式☆


多田部長の家庭力アップ講座から、
「『思いの電車』をやり過ごしましょう」
を紹介します。


一つの事に集中しようとしても、様々な雑念が入ってきて、
集中できなくなることがよくあると思います。

雑念がつぎつぎと心の中に入ってきて集中できなくなる様子は、
まるで駅に停まってすべての乗客を乗せる電車のようです。
乗客でいっぱいになった電車のように、
私たちの心も雑念でいっぱいになります。


たとえば、学校で勉強に集中しないといけないのに、
昨日先生に怒られたことを思い出して、
勉強に集中できなくなることがあります。

子供から暴言を吐かれた母親がそれを忘れることができず、
その過去の「思いの電車」に乗ったままでいるために、
目の前にいる子供を愛せずにいることもそうです。

明日の試験に向けて勉強しないといけないのに、
試験のことを考えて不安になり、
未来の「思いの電車」に乗ったまま、
なかなか今集中できなくなることもあります。

私たちは普段からそのような「過去」や「未来」という
“思いの電車”に乗り続けていて、
今すべきことに集中できなくなってしまうのです。

今すべきことに集中する代わりに、過去の経験や
未来に対する空想と恐れ、そして不安に
しっかりととらわれて生きているのです。


これでは、過去を克服することもできず、
よりよい未来を創造することもできません。

問題は、私たちが知らず知らずのうちに
このような“思いの電車”に乗っていることです。

過去というのは、「今」生きていることを後で見れば
「過去」となります。

ですから、今をどのように生きたかが、
私たちの過去を作り上げるのです。
「今」を一生懸命生きていれば、
私の過去は有意義なものになるでしょう。

また「未来」も、
今をどのように生きているかによって決定されます。
今一生懸命生きていれば、
私の未来は希望ある未来として映ることでしょう。


過去や未来の、どちらの“思いの電車”に乗ったとしても、
最も重要な場所である「現在」にいないことになります。

「現在」という瞬間こそが、
私たちには実際的なものなのです。
時間は常に「今」があるだけです。

もし、このまま“思いの電車”に乗り続けていくならば、
その終着駅は幸福ではなく、
不幸という駅に着いてしまうかもしれません。


“思いの電車”は過去や未来に対して、
恐れ、ねたみ、怒り、憎しみなど、様々な思いをたくさん乗せています。

それが、今集中しなければならない現在を
見えなくしてしまっているのです。
不幸にも、このような考え方こそが
私たちの未来を決定しています。

しかし私たちは、そのことに気づくこともないまま、
過去や未来の“思いの電車”に乗り続けているのです。


しかし、絶望する必要はありません。
その騒音はすぐに静かになるでしょう。

“思いの電車”に乗らない方法があるのです。

まず、自分が過去や未来の“思いの電車”に乗っていることに
気づいて、自覚する必要があります。
なかなか集中できないのは、
私が“思いの電車”に乗ってしまっているからなのだと
気づく必要があります。


自分の問題点が“思いの電車”にあることが自覚できれば、
今度はその“思いの電車”に名前をつけてみましょう。

たとえば、「葛藤の電車」
「怒りが湧く電車」
「自信がなくなる電車」などと名前をつけるのです。

心の中ではっきりとその名前を言ってみてください。

あまりにも“思いの電車”が多い場合や
次々とやってくる場合には、
まとめて「思いの電車」と言ってみてもいいでしょう。


そして、「思いの電車よ!
私は乗らないから、早く過ぎ去れ!」と
はっきりと意思表示するのです。

それを何度も何度も言ってみましょう。
そうすれば、自分の意志で“思いの電車”に乗ることなく、
やり過ごすことができるようになるのです。

過去にいろんな事件があって恨んでいる人がおり、
その人のことを思えば
「恨み」と言う“思いの電車”に乗ってしまうことがあれば、
心の中ではっきりと「“恨みの電車”よ!
私は乗らないよ。早く行ってしまいなさい!」と
言ってみてください。

一度だけでなく、何度も何度も言ってみるのです。

それを繰り返しているうちに、
しだいに自分の心に中の雑念をコントロールできるようになり、
「今」という大切な時間に、今やるべきことに、
集中することができるようなるのです。

そうすれば、自由に“思いの電車”から降りて、
今を大切にできるようなります。


さあ、まず“思いの電車”とは
一体何なのかを話し合ってみてください。

そしてあなたが、どんな“思いの電車”に
よく乗るのかを考えてみてください。

そして今日から7日ほど、
“思いの電車”を強く意識して自覚するようにしてみてください。

そしてはっきりと、
「私は乗らないから早く過ぎ去れ!」と
心に言い聞かせてみてください。

そうすれば、見違えるほど
今に集中できるようになるでしょう。
そして、素晴らしい過去と未来を
手に入れることができるはずです。



「思いの電車よ過ぎ去れ!」
その場で叫ぶ、というのはいいですね。

雑念にとらわれて、今成すべきこと、
重要なことに力を入れることができないことほど、
虚しいことはありません。

本然の私、本当に素晴らしい私を発揮するためにも、
思いの電車に乗らない努力をしようと思いました。





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2018年02月21日

幸せになりたいなら、神様と人を幸せにしなければならない?! 《金元弼先生》1



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天の父母様の日2018.2.16☆


真の父母様御聖誕日おめでとうございます。

金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
新シリーズ「幸せについて」を紹介します。



幸せは相手を通してくるもの

私たちが成長し、完成していくことは、
だれかが私たちにしてくれるものではなく、
自分が成長し、完成していかなければならないのです。

このことについては、私たちがよく知っていることです。
神も真の父母もだれも私たちを成長させ、完成させてくれません。
私たちが成長するように、また完成するように助けることはできますけれど、
これを成すのは、私たち一人一人です。

もし神が人間を完成させることができるのであったとすれば、
人間の堕落はなかったでしょう。


ですから私たちが教会につながって、み旨につながった時には
「私がもっと幸せになりたい」ということよりも、
神のみ旨が分かったその時点で、神と真の父母、
そして人類を幸せにしてあげようという心で、この道を出発しました。

私たちは、だれかから尽くされるためにこの道に入ったのではなく、
「人類と神に尽くすために」という動機で入ったのです。

すべての宗教というものは、その宗教に入信することにより
「私は幸せになりたい」「尽くされたい」というような心で出発していますけれど、
私たち統一教会の食口は正反対に神に尽くし、人々に尽くすために入信したのです。


このみ旨を私たちが分かった時点で、幸せというものは神から来るものではなく、
ためにあることによって相手を通して私に来るということが分かったのです。

その幸せの根本は神です。
しかし、その幸せは私に直接来ることはできません。
相手を通して来るものです。

ゆえに私の幸せはもともと神にありますけれど、
その幸せは常に相手を通して訪ねてくるというのです。


ですから私の幸せは彼がもっているということです。
そして、私の幸せは皆さんがもっています。

それでは皆さんの幸せはだれがもっているのでしょうか?
自分以外のすべての人が皆さんの幸せをもっているのです。

人々は今までその幸せは神から来る、そして自分から来るものだと思っていました。
しかし、そう思って幸せを求めたけれど、
その幸せを見つけることはできませんでした。


だれでも父母がいるでしょう。

父親の幸せはだれがもっていたでしょうか?
それは母親がもっていたし、母親の幸せは父親がもっていました。
そしてこの親の幸せは子供がもっており、その子供の幸せは親にあったのです。


祝福を受けた人たちがいますが、
この夫婦の幸せはだれがもっているのでしょうか?
皆さんの幸せはだれがもっているのでしょうか?

「私の幸せは私がもっている」と考えるでしょう。
そうであれば、皆さんは幸せであるはずです。
しかし幸せではありませんね。

その自分の幸せは相手がもっているのです。
すなわち妻なら妻の幸せはその夫がもっているのです。


なぜ私がこういう話をするかというと、私たちが原理を分かってみると、
今まで幸せは自分にあると思っていたのですがそうではないのです。

自分の相手の幸せは自分がもっており、
私の幸せは相手の人がもっているのです。

ですから、先に私がその人の幸せをあげた時に、
その人たちが初めて私の幸せを返してくれるということが分かります。

私たちは人のために、神のために尽くし、愛することによって、
人々から愛され、神から愛されるということです。


私たちがこの道に入って来た時に「私が幸せになりたい」、
「私がこの人たちから尽くされたい」、
こういう考えをもっていたとするならば、
いつまでたっても愛され、尽くされることはないでしょう。

私は、皆さんが幸せを願い、尽くされることを願い、
愛されることを願う、これがだめだと言っているのではありません。
私たちは本来そのように造られているのです。

ところが私が人々から尽くされ、愛されるためには、
まず最初にその人に幸せを与えることによって
初めて愛されるということを言いたいのです。

幸せについて  
1986年11月30日 
ドイツ・フランクフルト本部教会


幸せは相手のために生きる人生。。。
この原理をお父様が解明され、
そして実践して来られました。

しかし、お父様は近い人を犠牲にし、
遠い人を愛してこられました。
そして、愛されたのが私たちです。

今は、真の父母様の勝利圏により、
近い人を愛することができる、
そのような時を迎えています。

ために生きる愛の実践を通して、
私の家庭を神様の宿る家庭づくりを目指して、
歩んでいきたいと思うのです。

不定期に続きます。





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posted by ten1ko2 at 14:33 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

教会長離任、路傍伝道が原動力でした!! 松戸家庭教会の楽しさと強さの秘密は?!



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毎年、基元節を前後にして大きな人事がありますが、
今年も全国的に多くの異動がありました。

そして、私たち松戸家庭教会においては、
4年5ヵ月の間、率先して最前線に出て、精誠を尽くしてくださった
小澤教会長が、東京の教区長として異動することになり、
日曜日、離任式が行われました。

その時に挨拶された内容を
少し紹介したいと思います。


私がこの松戸に来たのが、2013年9月です。
そして、その年の12月に路傍伝道を始めました。

なぜ、路傍伝道をする決意をしたのか、
そのきっかけは何かというと、悔い改めです。

基元節を迎え、お父様の聖和1周年が終わり、
こちらに来たのですが、
その時、お母様は「中段なき前進」と言われながら、
そのみ言通りに最前線で歩まれ、
さらには、様々な指示や方針を発表され、
また、組織を改革されていました。

「お父様が生きておられる時に、
堂々と神様・真の父母様を証し、
そして統一教会(当時)を証してきたか、
そう思うといつしか、証せないままきてしまった。。。」

このように本当に悔い改めさせられました。


ですから、私の口で、私の言葉で、私の姿で、
堂々と神様・真の父母様を証ししなければならない、
それで路傍に立って、証しするようになりました。

結果として、伝道の大きな実りがあったかというと、
それほどのものはなかったかもしれません。

しかし、この路傍伝道が、松戸家庭教会で4年半歩んできた、
一番大きな原動力になりました。

私たちは真の父母様から
祝福をいただいた祝福家庭です。
貴い血統を受け継いだ、真の父母様の子女の立場です。

それなのに、親である真の父母様を証していなかったのです。
本来ならば、私たちは真の父母様に似る実体にならないといけません。

かつて蕩減時代において、真の父母様を、
この方が、救世主、再臨のメシヤであり、真の父母です!
そのように堂々と証し出来ればよかったんです。


真のお父様は霊界にいかれ、何を残されたでしょうか。

「あなたたちは真のお父様とともに歩まれてどうだったんですか?」
真の父母様が見せたいのは、私たちではないでしょうか。
真の息子、娘の姿ではないでしょうか。

真の子女様を犠牲にされながら、
私たちを祝福家庭として、血統を繋いでくださり、
私たちを通して、理想世界を実現しようとされた、
そのような中で選ばれたのが私たちですよ。

その私たちが、真の父母様の子女になっているかどうか、
それが一番重要なことです。

この世の人たちは「真の父母様」と言ってもわかりません。
でも、私たちの姿を見たら、「やっぱり親は素晴らしいんだ」
子供を見たら、親がどんな親なのかわかるわけです。

子供が本当に素晴らしいとすれば、
みんなに希望を与えることができるとすれば、
産んで育てた親が、素晴らしい、ということを見せられるのです。



松戸家庭教会は決して大きな教会ではありません。
また、小澤教会長は、様々なところで、
教区長を歴任されてきた経験豊富な方でした。

そんな大きな器を持たれている方が、
私たちのような教会に4年半もいてくださったというのは、
それだけで、感謝以外の何物でもありません。

誰よりも朝早くから来られ、
お父様のダンベリーを思わせるように
掃除や教会の模様替えを率先してされ、
毎日伝道出発式で、み言を語って下さり、
先頭に立ち、模範を示してくださいました。

以前、李海玉サモニムから「小さくても強い教会」
そのように言われた松戸家庭教会。

教会長が残してくださった天の伝統、
最前線主義をこれからも継続し、
そして、さらに発展させて、天の父母様、
そして、真の父母様を証ししていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする