2018年02月10日

(証し)お父様はすごい! 祝福2世、ハラハラドキドキのマッチング!!



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祝福二世の証し、続編です。


私が中高生の時は、とても小さな教会でしたので、
中高生礼拝といったら、6人しかいませんでした。

3名がうちの家、他の2名が兄弟。
ですから、3家庭しかいなかったんです。
まぁ、そのころは、習慣的に礼拝を参加していただけですね。。。 

そして、祝福は2005年(22歳)に受けました。
祝福のことを初めて意識したのは、16歳の時です。

姉がその時19歳だったのですが、祝福を受けて、
旦那さんを家に連れてきたんですね。
二人の雰囲気を見て、とてもいいなぁ。
祝福受けてみたいな、そう思いました。


私が祝福を受けた2005年は天一国マッチング、
要するにお父様がマッチングしてくださったんです。
2005年、天一国マッチング第2回目に、候補者として参加しました。
この時、お父様って凄いと思ったんです。

実は、この時の予定はこうでした。
初日、入国して、次の日は、教育。
そして、3日目にお父様のマッチングがあり、
4日目に準備をして、
祝福式は5日目、というスケジュールでした。

しかし実際はどうだったのか、というと。。。
入国して、宿泊先に着いたのですが、
お父様はすぐに私たちを集めてくださいました。
そして、1時間半み言を語ってくださったんですね。

そのあと、急に男性を立たせて、
「あなた歌を歌いなさい」と言われました。
その人は、歌を歌いましたが、下手でした(笑)。
そうしたら、お父様は、「座りなさい」
その人は座りました。

そしてお父様は、もう一人を立たせて、
「歌いなさい」と言われたんです。
その方は、孝進様の歌を歌われました。
とても上手でした。

座らせるかと思ったら、「そのまま立っていなさい」
そして、女性の方に歩かれて、
一人を指名し、「あなた立ちなさい」 

みんな、ざわざわし始めました。
そうです。
マッチングが始まったんです。


この天一国マッチングを受けるにあたって、
一つ、思っていたことがありました。
それは、韓国の方と受けたい、ということです。

祝福を受ける前に、準備修練会に参加したのですが、
その時の講師が、「祝福は希望を言うものでない、
感謝して受けるものだ」
と言われました。

そのあと、「委ねることも大事だが、積極的な祈りも重要だ。
『私は、神様の願いに応えるために、こういう家庭を築きたいです。
そのためにこういう人と出会わせてください』
そんな祈りを捧げたらいい」

それで私は、「天の伝統を受け継いでいる韓国の方と受けたい、
南北統一のためにも、韓国の人がいいです。。」
そのように思っていましたし、マッチング当日も
そう祈って準備していました。

すぐ、となりの集団には、女性たちがいるわけです。
そっちを見ると、雑念が湧いてきます(笑)
だから、女性のほうは見ないでいました。

祈って備えていたら、お父様は私を指名されました。
そして、相手の方は、韓国の方だったのです。


お父様のマッチングは、本当に神懸かっています。。。

しかし、こんなところからしても、
スケジュールをきっちりこなされるお母様とは、正反対です。
真の父母様ですが、正確・タイプは同じではないということですよね。。。

やはり、祈って備える、ということは、大切です。
精誠を捧げていくべきでしょう。

もうお父様がマッチングされることは、二度とありません。
父母マッチング、推薦プログラム・・・
形式は異なってはいますが、
それでも天の配慮の中で行われるものであり、
人間的なものではないと思うのです。

あと、一、二回続きます。




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posted by ten1ko2 at 10:18 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

責任を取るのが神様流?! 嬉しい時も悲しい時も、アベルもカインも《金元弼先生》3



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嬉しい時、悲しい時、
人が話を聞いてくれない時、
神様ならどうされるでしょうか──

金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
続編です。



神と真の父母と共にある生活

私たちの中にはリーダーの立場、つまりアベルの立場に立っている人と、
カインの立場に立っている人がいます。

カインの立場に立っているメンバーの中には
リーダーの話を聞かない人がいますが、
そういう時、リーダーは、
どうとらえなければならないでしょうか。


では、神はどういう心で、人間に対してこられたでしょうか。

人間が自分で悟って帰るまで継続して、
永遠なる変わらない愛を注いでくださったのです。

そして、言うことを聞かないのは人間の責任分担だと考えないで、
神が人間を造ったからこういうことが起きたと、
創造の責任を取ってこられました。


ですから私たちもそういうメンバーに対して、
「私がまだ心を尽くしていないからだ、足りないからだ」と考えて、
また尽くしていくようにしなければいけません。

私の話は聞いてくれないけれど、その人は神や真の父母を信じて愛している、
それを見ながら許していくのです。


先生をご覧なさい。

アメリカが、またキリスト教が
先生を国から追い出そうとするばかりか、
生命まで取ろうとしていますが、
それに対して先生は、こうとらえたというのです。

「もし私が1945年にアメリカに来ることが
できたなら迎えることができたのに、
遅れて来たので反対するようになった」
ととらえ、

「遅れて来た分までも、
もっと心を尽くしていかなければならない」
という心懸けで、もっと熱心に
キリスト教に、また国に尽くしておられるのです。

さらに、アメリカに先生が来るまでに、
神に侍ることができたのはだれだろうかと考えたとき、
先生はキリスト教を許すことができたのです。


そのように、私たちも難しいメンバーがいるとき、
神と真の父母はこのメンバーを導くために心を尽くし、
愛して導いてくださったと考え、神のような、
真の父母のような心で見てあげなければなりません。

このようにして、私たちは難しいことや
喜ばしいことがあるときには必ず、
自分の喜び、悲しみとしてとらえる前に、
神と真の父母の悲しみ、喜びとしてとらえることが重要なのです。


ところが、私たちは自分の喜び、自分の悲しみとして
とらえてしまうのです。

ですから神の心情を、真の父母の心情を、
知ろうとしても知ることができなかったのです。
それを理解できますか?

喜ばしいことがあれば、
まず神や真の父母の喜びとしてとらえて、
その次に自分の喜びとしてとらえるということです。

悲しいことがあるとするならば、
それは自分の悲しみである前に、
神の、真の父母の悲しみとしてとらえるのです。

それを通して初めて神と共に、
真の父母と共に悲しむことになるのです。

これが、神と真の父母と共にある生活です。
そこに、神と共に泣き、
神と共に喜ぶということが初めて成立するのです。

「神と真の父母の心情で生きる」
1986年8月10日 ドイツ・カンベルグ修練所(信徒大会)
 


誰もがお父様のような心情圏を持っていれば、
私たちの団体に対する認識も変わっていたのだと思います。

もちろん、草創期の道というのは、簡単な道ではありません。
多くの先輩方が苦労した土台で、
今の家庭連合があるということも忘れてはいけません。

しかし、真の父母様の傘に隠れて、
真の父母様の指示通りに、願い通りに
歩んでいたかというならば、足りない私たちであった。。。
そのことを率直に認めざるを得ません。

摂理の根幹は、神氏族メシヤの勝利である、
そのことを通して、真の父母様に通じる道があたえられ、
アベルだとかカインだとか、そういった世界を超えるのだ、
そのことを深く心に刻んでいかなければと思うのです。

続きます。





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posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

(証し)信仰の原点 自信がなかった祝福2世が、どのように神に出会ったのか?!



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先日、教区で行われた親子セミナー。
そこで、講師(祝福二世)の証しがあり、
参加したメンバーや、司会をした成和青年部長も
「とても良かった!」ということでしたので、
ビデオをお借りして、まとめてみました。


私は1800双家庭に生まれました。
だから、皆さんと世代が違いますけど、
今日は、祝福に関して話します。

最初に、皆さんと同じ中高生の頃のことを話します。

実は、自分に自信がなかったんですね。
極度の人見知りでした。
友人はいたのですが、それ以外のクラスメートに対して、
自分から声をかけることができなかったんですね。。。

また、宗教に対して、友達がいろいろと言ってくるわけです。
何か挙動不審な行動をしていると、
「それって、宗教じゃない?」
そんな風に言われてしまうので、
自分が統一教会の二世であると、とても言えませんでした。

友達が家に遊びに来ると、
祈祷室で使っている部屋に入り、
お写真をパタッと下にして、ドアを閉めたり。。。


そして、高校卒業後に進学をするのですが、
韓国留学の話が出ました。
私は三人兄弟で、姉と兄も韓国に留学しています。
ですから、流れの中で韓国に行くことが決まりました。

語学院に入ったのですが、生活環境に馴染めず、
挫折感を味わいました。
日本に帰ってやりたいことやるか。。。
そんなことも思ったりしました。

そんな時に、事件が起こりました。

その事件のことを「財布失くし事件」と言っているのですが、
自分の寄宿舎の部屋に、一日財布を置き忘れていたら、
その財布が盗まれてしまったのです。
ただ、財布だけだったらいいのですが、
その中に、お金が入っていました。
いくらだと思いますか?
24万円です。

実は、語学院の2学期目で使う授業料
そして、この期間の生活費、すべてが入っていたんです。
わが家は、決して裕福でありません。
すぐに親にも話すこともできず、
1週間探したのですが、結局見つかりませんでした。

帰りのチケット代はあるので、帰るしかないかな。。。
そんなことを思っていました。

親に話したら、
「お前はどうしたいんだ」
「残れるなら残りたいけれど、
でも、お金もないだろうし、
帰るしかないと思ってるんだ」
「でもお前が居たいのなら、残りなさい。
お金のことなんて、なんとでもなるんだから」

本当に両親には、感謝以外の何もありません。
申し訳なかったです。


そして、信仰的にしっかりとしないといけないな。
この時から訓読をしよう、そう思いました。

そして、訓読会を始めました。
ある日、み言に出会ったんです。

実際には、お父様のみ言でなく、祈祷文でした。
どんな内容だったか、出典先が見つからないので、
はっきりした文章ではありませんが、
だいたいこんな内容です。

「愛する子女を苦労の道に送る、
その道に行く子女は苦しいし、辛いし泣きたくなる。
しかし、行けと言わざるを得ない親なる神様なのだ。
神様は、もっと苦しい。
そのことを私たちは思わなければならない」

このみ言を訓読した時に、
感動して涙が止まらなくなりました。


語学院が終わると、大学に行くかどうか、進路を決めなければなりません。

このことを通して、
神様は、神学科に行くことを願われていると思いました。
そして、みんなに受からないと言われましたが、
無事に合格しました。 

ですから、私の信仰の原点は、
ここにあるのかな、そう思います。



やはり、時というのはあるんだな、そう思います。
また、禍を転じて福と為す、ですね。
お金を失くしたことで、真剣に信仰生活を送ることで、
信仰の原点を持つことができました。

一人一人に神様が、生きて働いていることを感じます。
不定期に続きます。






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