2018年02月05日

環境も出会いも、すべては、神様の深い心情を知るためにある?! 《金元弼先生》2



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「神と真の父母の心情」を
どのようにして知ることができるでしょうか。
金元弼(ウォンピル)先生の講話の続きです。



神の心情を知るために与えられる環境

私たちが活動する中で、なかなか思いどおりにならないことが
常に起こってくるでしょう。

そういう時に、神がいるのかな、
真の父母は私の心情を分かっているのかなと、
神の前に、また真の父母の前に心を込めてお祈りすることがあります。


だれも不幸を願う人はいません。
病気にかかりたいと願う人はいません。
人々と合わないこと、難しいことが起こるのを願う人は一人もいません。
人を恨む心をもとうとする人はいません。

常に仲良く、愛し合い、何事も思いどおりになることをだれもが願っています。

ところが思いどおりにならないのです。
それをどうとらえたらいいのでしょうか。


今まで私たちは、神について栄光の神、
全知全能の神としてとらえてきました。
ところが原理を学んで、そうではない神の側面を知ることができました。

私たちは神について、頭では理解することができるようになったので、
そういった神を実感したい、神の心情を知りたいという願いをもつのです。

そして、「神の心情が分かるならば、
自分のすべてを犠牲にしても喜んでささげます」と祈ります。
そこで神は、人類の真の親であるがゆえに愛する子女の祈りを聞き、
願いにこたえてあげたいと思われます。


神は見えない存在であり、人は見える存在としてあります。
そういう人に、どうしたら神の心を教えることができるでしょうか。

神はご自身の心を知らせるために、
まずもって人をして神と同じような立場に立てざるを得ません。
ということは、神は親なる神ですから、
私たちを親の立場に導かざるを得ないのです。

親になってみなければ、親をよく理解することはできません。
医者のことは、医者の立場に立たないと分からないのと同じです。


子供が幼いころには、親は難しいことがあっても何事もないように、
喜ばしい希望の窓のごとく見せかけます。
ですから子供は親が全知全能だと考えています。

ところが子供が成長してくると、今度はこの親が
昔のように全知全能だとは考えなくなります。

親にもできないことがあり、病気にかかることもあれば、
涙を流すこともあるという世界を見つけるようになるのです。
親の苦労や弱さも理解するようになってきます。


神も人間に対して、人間が霊的に幼い時は
全知全能の神、絶対者、栄光の神として現れますが、
人間の心霊が成長してくると、寂しく悲しいご自身のお姿をも見せられるのです。

霊的体験をしている人々の中でも、深い境地に入ると、
神の寂しい心情を見つけるようになります。

では、私たちはどのようにして神を知ることができるでしようか。

私たちは神の心情を幻や夢で知りたいと思っていますが、
それだけで理解することは難しいのです。


ある人が他の人の皮膚をつまみながら、
「あなたはどれだけ痛いか?」と聞いたとき、
その痛みをどのように教えるでしょうか。

このように痛い、あのように痛い、と言ってもはっきりしませんから、
つまみ返して教えるしかありません。

ですから神の心が分かりたいという場合、夢や幻では実感しませんから、
神は私たちをご自身と同じような立場に導かれるのです。


伝道は、その神の心情を知るためにあるのです。

伝道をして、霊の子女をつくるということを通して、
私たちが親の立場に立つことになるのです。

どんなに心を込めてやっても神を信じない、そのようなことを通して、
この堕落した人間を再創造する神の心がどんなものか分かるわけです。

心を込めてやっと伝道し、霊の子女をつくったというのは、
再創造したのと同じです。

神が人間を創造された心情を、そのとき理解できるようになります。
そしてアダムとエバをご覧になった神の心情が
どんなに喜ばしいものであったかが分かるというのです。


ところがその霊の子女が教会を離れてしまうということがありますが、
そういう時、私たちの心は非常に痛いのです。

そういうことを通して、人間が堕落したときの神の痛みが
どういうものであったかが分かるというのです。


神は私たちを神と同じような親の立場に導いて、
ご自身の心情を教えておられるということを忘れてはいけません。

ですから私たちの一生の生活の中の喜ばしいこと、悲しいことはすべて、
神が私たちにご自身の心情を教えるために起こしている
というようにとらえてほしいものです。


例えば、信頼している人から裏切られたとしましょう。
そういう時は、もう寂しくて、恨みまで湧いてくるでしょう。

その時、「神が信頼していた天使長から、
そしてアダムとエバから裏切られたときの心情は、
今私が受けている心のようだったのだろうか」と思えばいいのです。

私たちの周囲で起こっているすべてのことを神の心情とし、
また神の心情を受け継いで苦労なさっている
真の父母の心情としてとらえるのです。

「神と真の父母の心情で生きる」
1986年8月10日 
ドイツ・カンベルグ修練所(信徒大会)



私の苦労・苦痛は、神様の心情を共有するための道である。。。
これは、金元弼先生も通過して越えてこられたので、
そのように語られるのだと思います。

さらには、真のお父様が、神様が親であると。。。
さらには、心情の神様であり、悲しみの、
恨を抱えた神様であると。。。
そのように出会われたということは、
神様もご自身のすべてをさらけ出され、
そして、それを受け止められたお父様であるということ。

本当に真のお父様に感謝しなければならないし、
私たちも苦痛の道を与えられたとしても、
神様に近づく道を与えられているのだ。。。
そのように捉えていきたいと思うのです。

続きます。




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posted by ten1ko2 at 10:05 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする