2018年02月27日

原理を一言でいうと何か? ──幸せになるためのポイント  《金元弼先生》3



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
続編です。



原理の中心は良き授受作用

皆さん、原理とは何でしょうか?
もし、「一言で原理とは何ですか」と聞かれたら、何と答えますか?

原理にはいろいろな部分があります。
創造原理もあれば、堕落論もあれば、復帰原理もあります。

では、このすべての原理の中心は何でしょうか。
もちろん神を中心とするものですが、それは良き授受作用です。

この原理は受けて与えるのではなく、授けて受けるものです。
私たちはそれを忘れてはいけません。

それができなかったから堕落したし、
それを立て直すために復帰原理があるのです。

私たちの幸せは主体と対象の授受作用からといいますが、
主体の幸せはだれがもっているのでしょうか。
対象の幸せはだれがもっているのでしょうか。

それでは神と人間とはどうでしょうか。
神は主体で、人間は対象の立場です。

それでは神の幸せはだれがもっているのでしょうか。
神ご自身がもっておられるのではなく、人間です。
そして、人間の幸せは神がもっておられます。
私たちは、これをはっきりと分かっていなくてはなりません。


人々はまず第一に、自分の幸せを要求するのです。

「私を先に分かってくれ」「先に尽くしてくれ」「私に与えてくれ」
とお互いが要求しますから、なかなか与えることができず、
また受けることができません。

ところが相手の幸せは私がもっており、私の幸せは彼がもっているのです。

「私に先に尽くしてくれ」「私を分かってくれ」と言うのは、
「私に幸せを下さい」ということです。
では、「下さい」と言われて、この人はあげたいと思うでしょうか?
あげたくなければ、あげることはできなくなります。

「あなたは私の幸せをもっているではないか。
私のものだから、私が要求する時に、あなたはくれるべきではないか?」
こう考えて「私のものをくれ」となるわけです。

そうすればますますあげまいとするでしょう。
そうしたら殴ってでもこれをもってこようとするでしょう。

しかしそれで幸せになるでしょうか?
そうではありません。

ですから自分の幸せを得たいとするならば、
先にその人に幸せをあげることです。
つまり先にその人を分かってあげることです。
そしてその人に尽くしてあげることです。
その人に与えることです。


いくら醜い人であっても、その人が自分の心を分かってくれる人、
自分に尽くしてくれる人、何もかも私に与えようとする人だとしましょう。

そういう時、皆さんは「私は嫌です」と言いますか?
「あなたの顔が醜いから、醜い人に尽くしてもらうのは嫌だ。
自分のことを分かってもらうのも嫌だ」となりますか?
そうではないのです。

いくらハンサムな人であっても常に、「私を分かってくれ」
「私に侍ってくれ」「私の言うことを何でもやってくれ」
という人があるとするならば、
「あなたはハンサムだから何をしてもいい」となりますか?
そうではないのです。


ですから、その人の幸せを私が先にあげるとしたら
「私の幸せをくれ」と言わなくても、
「いやー、あげます」とすぐ与えてくれるのです。

皆さんも「人は私に尽くしてくれない」
「人に理解されない」ということがたくさんあるでしょう。
そのように寂しい人は大勢います。

しかし私たちはそれに対して、
「私はどれくらいの人に幸せをあげたのだろうか?」と考えるべきです。
あげると必ず返ってくるのです。
なぜならば、原理でいう善なる授受作用だからです。


では皆さん、この息を考えてみてください。
与えられて、どんどん吸い込んでいきます。
いっぱい入れてみてください。
受けてみてください。

この受けるということは、幸せを、
あるいは愛を受け、尽くされるということです。
たくさん受けて、いくらでも入るでしょうか?

ところがそれは限界があるというのです。
苦しいでしょう。
苦しいけれどももっと受けていけば、死んでしまうのです。
しかし、死にたくないでしょう。

ですから受けたくらいにあげなければならないのです。
与えて与えていけば、黙っていたとしてもこの人は返してくれるというのです。
苦しいからです。


皆さんも、どんどんいつまでもいつまでも尽くされると、最初は感動します。
「尽くしたこともないのに、こんなに尽くされたことは初めてだ」
と非常に喜ぶでしょう。

ところが二回、三回尽くされて、どんどん、どんどん尽くされると、
皆さんは心情の負債を感じるようになります。
そうしたら苦しくなります。

この苦しい心から私が抜け出すためには、それをあげなければならないのです。


私たちは常に、自分の幸せを要求するから問題になったのです。
私たちは先にあげるようにしましょう。

「私はあの人にとても尽くしてあげた。しかしあの人は私を分かってくれなかった」
こういう体験をした人もいるでしょう。
しかし本当に心を尽くして一度、二度、三度と尽くしていきますと、
人間には良心というものがあり、
返さなければならないという転換点に必ず来るのです。

そして、この宇宙の力はこの授受作用の原理に従って存在しますから、
受けたけれどもあげないなら非原理的です。
非原理状態のものを原理の力、宇宙の力が押し出します。

それが良心の呵責として現れるというのです。
そうして「あげなければいけない」「返さなければいけない」
というようになるのです。

幸せについて  
1986年11月30日 
ドイツ・フランクフルト本部教会


元弼先生のおっしゃられることは
本当にその通りです。
宇宙の法則は、ために生きるようになっていて、
与えることが大前提です。

真の父母様は、
まさにそのように実践してこられました。

しかし、私たちはみ言を聞いて、
知っているにもかかわらず、
受けること、与えられること、
そのことを考えてしまうのです。

ために生きる愛の実践・・・
今日も路傍伝道をしていきますが、
そんな思いを持ちつつ、歩んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 06:56 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする