2018年03月28日

家族の「信頼残高」をアップするには?! 《多田部長の家庭力up↑講座》



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多田部長の家庭力アップ講座。
今回は、「信頼残高の預け入れ」その1です。


信用残高を預け入れる第一の方法は、親切にすることです。

絶えず気を配りながら小さな親切を続けることですが、
それは決して小さなことではなく、その積み重ねが
大きな残高となって貯蓄されていくのです。

私たちは誰もが、家族で楽しいだんらんの場を持ちたいと思っています。
しかし、なかなか思うようにいかず、どうしたらよいのか悩んだり、
あきらめてしまっている人もいるのではないでしょうか。


一家だんらんの場を持つためには、
家族の中に信頼関係が築かれている必要があります。
しかし実際は、思っているほどに信頼関係が築けていない場合が多いのです。

家族の中に信頼関係を築くには、
まず「自分から変わる」ことが欠かせません。

そこで、ここでは「自分から変わる」ことを学んでいきます。
「自分から変わる」方法を理解し、実生活で応用する方法を紹介します。


まず、家族の中に信頼関係を築く行為を、銀行や郵便局に
お金を預け入れる行為にたとえて考えてみましょう。
家族の一人ひとりの心に、お金の代わりに
信頼を預け入れると考えてみるのです。

ここで、「預け入れ」というのは、積極的に行動して、
信頼を築く行為のことをいいます。
また、「引き出し」というのは、信頼を低める感情的な行為のことを言います。

家族との間に、高い信頼残高が保たれていれば、
互いの授受の関係は良好なものになり、
ちょっとした間違いを犯したとしても信頼残高がそれを補ってくれます。


文鮮明先生の言葉に次のようなものがあります。

「為に生きよう!」と言うのは、
負債を負わせようということです。

文総裁が今日までこの統一教会を導きながら、
それを考えてきました。

最も恐ろしいことが負債を負うことです。
精誠を尽くした人が持ってきたものは、
この宇宙にそれ以上の精誠を尽くさずに受ければ、
それは毒薬よりもっと恐ろしいのです。



「負債」と言うのは、ここでいう「信頼残高の預け入れ」のことです。

「負債」は「毒薬」より恐ろしいというのです。
「毒薬」とはとてもきつい言葉ですが、それほど効果があるというのです。

たとえ今は心が通じなくて会話がうまくできなかったとしても、
子供の心に親に対する信頼の思いが蓄積されてくれば、
親子の会話が次第に始まるようになることでしょう。


それでは次に、「信頼残高の預け入れ」の
具体的な実践方法について説明します。

ここでは、5項目の内容を紹介しますが、当然それ以外のものもあります。
各家庭でいろいろと発見して試してみるのもよいでしょう。


信用残高を預け入れる第一の方法は、親切にすることです。

絶えず気を配りながら小さな親切を続けることですが、
それは決して小さなことではなく、
その積み重ねが大きな残高となって貯蓄されていくのです。


まず、「言葉」で親切にする事を考えてみましょう。

言葉の親切としては、
「ありがとう」
「すみませんでした」
「何かできることはある?」
「喜んで」などがあります。


親が素直に「ありがとう」と言えるならば、
家庭の雰囲気も素直な環境になっていきます。

親の方から、「何かできることはある?」と聞いてみましょう。
子供が「腰がこっているんだけど、ちょっともんでくれない?」
と言ってきたら、「喜んで」と言って、子供の腰をもんであげてください。

その時が子供との会話のチャンスです。
そして、親の方からも「今度は、私の腰もお願いね」と言えば、
また新たな会話が生まれます。


また、親から子供に「大好きだよ」「愛しているよ」と伝えてあげましょう。

先日、あるお父さんからこんな報告がありました。
なかなか息子に「大好きだよ」と言えなくて、
チャンスをうかがっていました。

電話で話している時に、やっと息子に「大好きだよ」と言えたそうです。
そうしたら、息子が電話の向こうで黙ってしまい、
泣いていたというのです。
子供に親の愛情が伝わり、親もまた感動したということです。



信頼残高の預け入れ。
わかってはいるのですが、心情が近ければ近いほど、
逆に要求の思いが出てしまいます。。。

また、子供たちもだんだん大きくなってくると、
面と向かって、「大好きだよ」「愛しているよ」
なかなか言いにくいものですね。。。

朝、子供が学校に行く時に、見送りを継続している、
そのようなことを以前書いたと思うのですが、
冬の寒い時期には、窓が曇りますので、
そこにハートマークを指で書いて、
それで見送ったりしていました。

ただ、長女と三男のみ。
長男と次男にはできませんでしたね。。。
何かの方法で表現することも必要かな、
今回の講話を通して、思わされました。





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2018年03月27日

次々に来る摂理、私たちはどう向かったらいいのか?! 《金元弼先生・摂理と信仰》1



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金元弼(ウォンピル)先生の説教、「摂理と私たちの信仰」より
今日は、「み言に対する絶対的信仰」です。


本来、不信する蕩減は人間が払わなければいけませんが、
人間が払うことは大変難しいので、神が代わりにその不信の蕩減を払い、
人間に祝福を与えようとせざるを得ないのです。

私は以前にも、避難路程の時のことを話したことがあります。

私たちが非常に難しい時に、
なかなか感謝の心をもてなかったことがありました。
そういう時、先生は
「きょう、私たちを歓迎してくれるいい人に会えるでしょう」と話してくれました。

それを聞いた時、私たちは非常に希望を得て、
その日熱心に先生に従っていきました。

ところが、先生はまずそのいい事が起こる前に、
大変な迫害を受けることになったのです。
人から殴られる目に遭ったのです。

しかしその日、先生がおっしゃったとおり、いい人に出会いました。
ひもじい時に、たくさんの良い食べ物を食べることができ、
眠る所のない時に、良い場所に眠ることができました。


もし私たちが、感謝の心で先生を慰めながらよくついて行ったとするならば、
先生は「私たちを迎えてくれるいい人に会うでしょう」
と話さなくてもよかったでしょう。

ところが私たちがそういう心をもっていなかったために、
先生が代わりに人から殴られて、その後に恵みが私たちに与えられたのです。

そのように、先生が不信仰な私たちに希望を与え、
力づけることをお話してくださる時には、先生ご自身が私たちのために
蕩減を負われたということを忘れてはなりません。


先生は、神の復帰摂理のプログラムに従って摂理を進めておられます。
それに私たちが忠実に従っていくとするならば、
先生が難しい蕩減を払う必要はないでしょう。

ですから、私たちが先生の言われることに忠実に従っていれば、
それによって同時に、私たち自身が蕩減を払い、
完成した人間となることができるのです。
つまり、個人の完成というものが成され、この摂理も共に成っていくのです。

ところがそうでない時には、摂理は進んでいくけれども、
自分という人間は、追いつけないままに残るというのです。


ですから「摂理が次々に来る」「また来る」と言うのではなく、
私たちがその摂理に忠実に従っていくということが非常に大事だというのです。

私たちはたとえそれを勝利し全うできなくても、
自分のすべてを尽くしてやっていくならば、
それは必ず次の摂理にどんどんつながっていくことができます。

神の大きな摂理が勝利していけば、それを通して、
私たちが同じ恵みを受けることができるのです。
しかしそれができない時には、恵みを与えようとしても
恵みを与えることができないということになります。


ですから私たちは「摂理が打ち出された時にそれをやった」
「それが全部できていない」
「次の摂理がまたやってきた」
「またできなかった」、そうであったとしても、
それに忠実に従っていった基準があれば、絶対に失われないということです。

つまり皆さんが先生から言われたことに対して、その時に忠実に
一体化するように自分を押し進めていくということが重要なのです。

例えば、「南の方に行きなさい」と言われたら南に行きます。
「東に行きなさい」と言われたら東に行きます。
その次に、「西に行きなさい」と言われたら西に行きます。
こういう姿勢が非常に大切なのです。


なぜならば私たちは堕落することによって、
サタンを中心とした堕落性というものがあるからです。

そのような堕落人間が真の父母に出会って、
これから神の新しい習慣、伝統というものを植え付けられる時に、
常に妨げになるのがサタンの伝統です。

ですから常に、私たちが先生のみ言に従うことによって、
失敗しながら神の伝統を身につけるようになります。

私たちは、今までの自分の考えと違ったものであるとしても、
先生のみ言の場合、絶対にそれに従っていくという姿勢を
もっていくことが非常に大切です。

「摂理と私たちの信仰」
  (生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼先生)
1987年1月25日(三拝敬礼式にて) 
ドイツ・フランクフルト本部教会


お父様が殴られたことに対して、
このような理由だから、こうなった、
そのようなことはお父様は言われなかったと思います。
おそらく、金元弼先生が悟られたのだと思います。

今、目の前の摂理に向かって行くことが
どれだけ貴いことなのかがわかりました。

そして、摂理の中心は、お父様から
お母様に引き継がれたということを
私たちははっきりと自覚して、
お母様の願いに応えることを
もう一度意識しなければと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:30 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月26日

(証し)私が海外宣教で知った神様! ドミニカ共和国で得た3つの宝



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公職者海外宣教の証し。
少し長いのですが、全文紹介します。


今回、私は天の導きを受けて「第1回公職者短期海外宣教プログラム」に
参加させて頂き、ドミニカ共和国に約3ヵ月間滞在、
伝道活動をさせていただきました。

そこで感じた天の父母様と真の父母様の心情・事情・願いは
今まで感じてきたものとは明らかに違う質のものでした。

私は現在24歳で、教区の成和学生部長を務めさせていただいております。
20歳の時に献身的に歩むようになってからずっと現場で
歩み続ける中で、3年目という一つの節目の年に
海外宣教という尊い経験をさせていただきました。
導いてくださった天地人真の父母様に心から感謝いたします。

今回は宣教前と宣教後で明らかに変わった自分の心情世界、
その変化の中で実感した天の父母様と真の父母様の
心情・事情・願いについて証しさせていただきたいと思います。


私は海外宣教に出る前まで、日本で二世圏の青年学生を指導し
導くことが真の父母様に対する最大の孝情であると確信して歩んできました。
なので、私の意識のほとんどは「日本の二世圏兄弟姉妹」
だけに向かっていました。

世界のことを考える余裕は全くなく、意識の片隅にもありませんでした。

そのような中で中心を通して急に与えられた天の導きであったため、
本当に事前の準備が大変でした。
現地の言葉など出来るはずもなく、事前の研修会は2日間。

3ヵ月という短い宣教期間で霊の子を3人立てるという
ミッションが与えられました。
くじ引きで任地国がドミニカ共和国に決定し、
スペイン語という全く触れたことがない世界に飛び込んでいきました。

外的には何も備えがない私の中にあったのは、
研修会の時に田中富広副会長から言われた
「母の国の公職者としての威信をかけた3カ月である」という言葉と、
なんとか実績を立てて父母様を安心させたいという気持ちだけがありました。


そのような多くの不安を抱える中で、研修会の最後、
出発の覚悟を固めるために祈った時、ふと孝進様が
「苦労される父母様を見ると心が痛い。
私の体が100も1000もあればいいのに」と涙ながらに
語られた姿が思い出され、急に涙が止まらなくなりました。

ドミニカ共和国1ヵ国しか愛せないことが急に申し訳なく感じられ、
世界の194ヵ国すべてを愛すことが出来たらいいのに
という気持ちで心が満たされました。

自分の中にあった多くの不安が消え去り、真の父母様に対する
孝情だけを抱いて出発することが出来た瞬間でした。


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Coat_of_arms_of_the_Dominican_Republic.svg.png


さて、ドミニカ共和国は国旗に「神・祖国・自由」という
揮毫と聖句が描かれており、聖句はヨハネによる福音書8:32
「そして真実は汝を自由にするであろう」
が書かれているようなキリスト教国家です。

そのような神様を慕う国ドミニカ共和国に私が向かったのは昨年10月でした。
その時のドミニカは先日に文妍娥様が来られて大会が行われ、
非常に神霊に満たされていました。

私は世界本部から派遣された青年特使のリーダーを中心とした
CARP.DOMINICAの一員として天一国青年宣教師5人と共に歩んでいきました。


私はドミニカ共和国における歩みの中で大きく3つのことを感じました。

1つ目は神様が歴史を通して堕落した人類をどれ程苦労しながら
導いてこられたかという天の父母様の復帰の心情です。

伝道活動を行いながら、対象者のために祈り、
対象者の背景を想い祈れば祈るほど、天の父母様が
どれほど苦労されてきたかを知るようになりました。

日本と違って神様の存在が当たり前であるのに、
その神様の心情世界を知らない姿、イエス様の再臨をいまだに
待ち望んでいる姿を見ながらすごく悲しく、
またもどかしく感じることが何度もありました。

同時にイエス様が教えてくださった教えを生活圏の中で
当たり前のように実践する現地メンバーの姿を見ながら、
天の父母様が一人ひとりの中で生きておられること、
良心を通して必死に導こうとされていることを感じ、
日本で歩んでいるときには感じることが出来なかった
天の父母様の苦労を想って涙する瞬間が多くありました。

天の父母様が非常に近く感じられる環境の中で、
同時に父母様が遠く感じるそのような中で、キリスト教に対する
天の父母様と真の父母様の複雑な心情を垣間見る期間でもありました。


2つ目に感じたことは日本がどれほど世界から愛され、
神様から祝福を受けているかということです。
今までは日本でしか歩んだことがなかったため、
日本を基準にしか物事を考えることが出来ませんでした。

しかし、世界に出て客観的に日本を見つめた時、
またドミニカ人のほとんどが日本に対して好感と尊敬心を
抱いている姿を見ながら、天の父母様が母の国に
子女国家を連結しよう働いていることを感じざるを得ませんでした。

今まで当たり前だと思っていたことが母の国として与えられた
国民性だったことに気づかれた時、初めて日本人であることに誇りを感じ、
母の国として祝福してくださった真の父母様に
ますます頭があがらない気持ちになりました。

真の父母様が日本の二世青年は世界をまたにかけるグローバルリーダーになるんだよと
願われるその心情、真の父母様の視点を悟ることができ、
世界のために精誠を尽くす日本の家庭連合が輝いて見えました。

私の両親は6000双で母親は南米に海外派遣で行っていましたが、
世界のためにという理由で家庭を犠牲にしてきた親に対して
抱いていた恨が消えていき、逆に誇らしく思うことが出来ました。


3つ目に感じたことは言語の重要性と人類一家族世界
という夢に対する希望と確信についてです。

私は今まで人類一家族世界という夢に向かいながらも
そのイメージを中々掴むことが出来ませんでした。

世界中から清平に人が集まっても
この輪が本当に世界に広がっているのだろうか、
広げることが本当に出来るのだろうかという不安が心の奥深くにありました。

しかし、ドミニカ共和国は白人と黒人の混血(ムラート)が
多くの割合を占めており、様々な人種との触れ合いがありました。

また、ドミニカ共和国家庭連合では、韓国人、フィリピン人、ロシア人、
日本人、ドミニカ人、ハイチ人が一堂に会して食事をする時があり、
日本語や韓国語やスペイン語に英語など4ヵ国語以上が当たり前に飛び交う、
まさに人類一家族世界の縮図のような環境でもありました。

共に暮らし、共に食事し、共に御父母様を慕い歩む中で築かれていった絆は、
私の中で人類一家族世界の夢に対する不安を打ち消し、
希望に転換する大きな機会となりました。


3ヵ月過ぎて振り返ってみると本当に一瞬の出来事でしたが、
その中身は神様の真の愛と導きに満ち溢れていて、
私の夢、人生に大きな影響を与える期間でした。

ドミニカ共和国が故郷のように恋しくなり、
帰国する時にはもっと愛したくてたまらないという思いが
止められなくて、車の中で涙を流しました。

自分のiPhoneが寝ている間に盗難に遭ったり、
教会に来た泥棒を現行犯で捕まえたり、
カルチャーショックを受けることもたくさんあり、
決して楽しいことばかり、喜びばかりの歩みだった訳ではありませんでしたが、
そんなことが気にならないほど
ドミニカ共和国には神様の真の愛が満ち溢れていました。

これから日本で二世青年圏を指導していくにあたって、
真のお母様が願われるように世界を抱いていく二世として育てていく決意と共に、
自分自身ナショナルリーダーとして世界をまたにかけて活躍できるように
より一層精誠を尽くして歩んでいく決意をして帰ってきました。

この期間導いてくださった天の父母様と真の父母様、
多くの祈りと共に孝情を抱いて歩んでくれた相対者と家族、
宣教を薦めてくださった中心に心から感謝いたします。



先回の方と同じように、海外宣教だからこそ、
より神様、真の父母様が近くなるんだろうな、
短期間の中で、神様が心情を復帰するような
そのような摂理を与えておられるんだろうな、
そんなことを感じさせていただきました。

また、私たちが日本にいるという立場が
どれほど素晴らしく、貴重なことなのか、
願いが大きいということは大変ではありますが、
それだけ、愛を受けているのだということを
改めて感じます。
もっともっと一瞬一瞬を貴重視して歩みたいと思わされます。




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