2018年04月27日

お父様は川へサケ釣りに、お母様は…?! アラスカ物語 《補佐官の見たお母様》3



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鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長の証し。
続編です。



アラスカ・コディアックの摂理

私がコディアックに初めて行ったときは、
まだご父母様の公館がありませんでした。
ISA(International Seafood Alaska)の工場の建物と事務所の横に
小さな社宅が一つありましたが、とても狭かったことを記憶しています。

1986年、ついにコディアック教会の建物とご父母様の公館が新しくでき、
お父様がノースガーデン(North Garden)と命名されました。


6月からサケ釣りが本格的に始まりましたが、
キング・サーモン、7月にはレッド・サーモン、
8月と9月にはシルバー・サーモンの順に釣りが続きます。

毎年、少しずつ日は変わりますが、遠く海に出ていたサケたちが、
産卵期になると自分が生まれた故郷に戻ってきて
生命を繁殖し、そこで死んでいくのです。

キング・サーモンを釣るためには、
コディアックではなく他の場所に移らなければなりません。


1988年5月頃、お父様が突然、キング・サーモンを釣られるために
キーナイ川のあるキーナイに行かれました。

キーナイはアラスカ州の首都であるアンカレッジからもかなり行った所にあります。

アメリカ人たちもそこに行くには、一年前から
宿泊場所と釣船などを予約しておかなければなりません。
ところが私たちは突然行くことになったので、
行って泊まる所がないのではないかと思いました。

お父様とお母様、金孝律補佐官、私、そして尹基炳補佐官と
釣りを助ける二人がさらにいました。
お父様は到着されるとすぐに川に出られ、お母様と私と尹補佐官は、
お泊まりになる場所を探してまわりました。


かろうじて一か所見つけたものの、明日には出ないといけないとのこと。
簡単に準備してきた物を下ろして、家の中に入り
掃除して整理したのですが、夕食の支度に悩みました。
米もなく唐辛子みそもないのに。

アラスカやブラジルの奥地は暮らす環境がどれほど汚いか分かりません。
私はあまりに汚くて鳥肌が立つのですが、お母様は表情一つ変えないで、
染みついた垢を取り、きれいにお拭きになるのです。

一夜だけお過ごしになる家の中をきれいに整理しておき、
お母様と私たちはスーパーマーケットに行きました。

そこでお母様と私は、何も持ってきていないので、
あれこれ研究しながら買う物を選びました。

その買ってきた材料を利用して、キムチチゲに似た野菜スープを作りました。
玉ネギ、ジャガイモ、牛肉、メキシカン唐辛子、ケチャップを入れて煮た鍋が、
風雨を受けて帰ってこられたお父様ご一行には
とてもおいしくて人気満点のメニューになるなんて! 


その日の夜、お父様は日本の幹部たち数名と
韓国の幹部たち数名をさらに呼ばれました。

翌日の明け方、お父様ご一行は夜が明ける前に暗闇をかきわけ、
サケが待つキーナイ川に向かわれました。

お母様と私は洗濯を済ませておいて、
お母様はお父様の洗濯物をすべてなされる。
もう引っ越すために荷物をまとめなければなりませんでした。

「私がやりますので少し休んでください」と申し上げたのですが、
お母様はご父母様の荷物をすべてまとめて、
台所の荷物まで手伝ってくださいました。

4日ほどずっと泊まる所に移っていかなければならず、
それからは約1週間、泊まり続けることのできる場所を
幸いに尹補佐官が探しあてました。

昨日と同様に新たに入った家の整理をきれいにしておいて、
再びお母様にお供してスーパーマーケットに行きました。


私は21年間、お母様に侍りながらとても多くのことを学びました。
その一つが節約です。

すべてを科学的に整理して考えられるかたなので、常によく整理整頓されており、
浪費というものはありえないのです。
お母様の整理整頓と節約精神は、私たちの常識を超越するほどです。

私はご父母様のためのものは、いつも純なものを買わなければならず、
値切ってはいけないと思っていました。
かえって多めに支払って買うのが良いと思っていました。

ところがイーストガーデンに来てみると、それがすべてではありませんでした。
例えばマクドナルドのハンバーガーを食べに行かれて、
ケチャップが余ったら包んで後で召し上がるのです。

そして、外食をする場合、足りなかったらいけないので、
いつも人数より多めに注文をすることになります。
ところが、多めに注文するたびに
「残ったらどうするの? 節約しないと」と言って諭されるのです。


私たちは家内整理を済ませ、昼食のお弁当を作って、
お父様がいらっしゃるキーナイ川に向かいました。

朝出られるときにそのように約束されたのです。
時間になると約束場所にお父様の船が近づいてきました。

お二人は数日間会っていなかったかのように、
どれほど喜んでお互いを迎えられたことか、本当に美しいシーンでした。

船から降りられてから小さな食堂に入られ、
私たちが作ってきた弁当と食堂の食事を頼んで召しあがりながら、
キーナイ川周辺の美しさを語られると、
お母様に一緒に釣りに行きましょうと言われました。



マックのハンバーガーについているケチャップを
包んで持って帰られる真のお母様。。。。
お父様もトイレットペーパーを少しだけ使われるというのは、
有名なエピソードですが、
お母様も本当に倹約家なんですね。

今回の証しを読ませていただきながら、
どんな環境も感謝して、倹約と整理整頓を通して、
物事が導かれていくのだな、と感じました。

真の父母様の日常生活を知ることができて、
私たちも相続しなければと思わされます。







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posted by ten1ko2 at 05:00 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

父母様を信じる < 知る < 共に暮らす?! 《私が目撃した真の父母 文妍娥様》2



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文妍娥(ムン ヨナ)様のみ言。
続編です。


真のお母様は、このように語られました。


「目をあければ、今日一日、
自分が真の父母様とどのように
基準を合わせて生活できるかを考え、
昼食時間になれば、おいしく召し上がったのか、
喜ばれたのかを、まず考えなければなりません。

また、一日が終われば、
『今日はこのように生きましたが、
一生懸命努力したことはこれで、
努力できなかったことはこれです』
と振り返り、
『明日、新たに出発します』
と報告するのです。

自分はこうだった、なぜこうなのだろうと、
『私』が主語になり、
『私』に対する思いで終わるのではなく、
まず天の父母様と真の父母様に報告し、
その基準に合わせていく生活をしなければなりません」




しかし、いつも真の父母様のことを思い、
努力して、真の父母様がどのように生きられたか
ということに関心を持って生活するとしても、
真の父母様について知る機会がなければ、
うまくいかないでしょう。

知らずにいながら、
「このような食事をされただろう」
などという思いが沸きますか?
テレパシーでメッセージでも来ない限り、難しいでしょう。

私たちが真の父母様の子女として生きていこうとすれば、
ただ真の父母様を信じるだけでは
十分でないというのです。


最初、真の父母様と私たちの関係の始まりは、
信じるところからです。

真の父母様の生きざまを見て、
これまで成し遂げてこられた業績、
教えてくださった内容を見て、
「信じるに値する」と判断し、信じるのです。

そして、それで終わってはならず、
次は真の父母様について知らなければなりません。
真のお父様は、
「信じることと知ることは違う」
と説明されました。


さらに知っているだけではだめなのです。
ともに暮らさなければなりません。

そうしてこそ、真の父母様と
愛の一体圏をなすことができるのです。

そうすれば、真の父母様と、
心情と愛において一つになり、
ともに暮らしながら、
「これが天国だ」
と感嘆しつつ過ごすことのできる
生活になるというのです。

これは、霊界に行ってからではなく、
地上でそのように感じながら
暮らさなければならないという話です。



真の父母様に侍る、ということは、
信じ、知っているということではなく、
共に暮らすということなのですね。。。

最前線の時には、真の父母様を思いながら歩んだりしますが、
日々の生活の中においても、
常に真の父母様を意識した生活、
四六時中、思いをはせていかなければならないと思います。

1分1秒の誤差もなく真の父母様と一つとなる。。。
ご自分がないというご父母様。
ちょっと難しいですが、私たちも
自分がない真っ白な状態になることが必要かもしれません。

また、マイナスの感情や堕落性の思いが沸き上がる時ほど、
真の父母様に報告するくせをつけないといけないと思うのです。








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posted by ten1ko2 at 09:24 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月25日

泣いてはならない! ダンベリーにお母様が立たれた?! 《補佐官が見た真の母》2



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ダンベリー収監の朝☆


鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長の証しの続編。

お父様がダンベリーに収監されることとなり、
残された真のお母様はどのようにされたのか
1984当時のエピソードです。



ダンベリー法廷問題

1982年からお父様の法廷問題が始まりました。
最善の努力にもかかわらず結局、
1984年5月14日にダンベリー行きが確定してしまいました。

ご父母様のお部屋で、ご家族全体の手を取って祈祷しているときに、
お母様が泣かれたのですが、お父様は泣いてはならないと言われ、
摂理的に説明してくださいました。


お父様がダンベリーヘ行かれる前に、
お母様はイーストガーデンのスタッフを2階の寝室に呼ばれました。

お母様がお持ちになっていた宝石を
きれいに包装して、それをさっとお出しになり、
「一つずつ取りなさい。
各自がこれを身につけて、お父様のために熱心に共に祈祷しよう」
と言われて、お母様の寝室で共に決意の祈りを捧げました。


1984年7月20日、お父様をダンベリーにお供して
一人で帰ってこられ、食口たちを集めてみ言を語られました。

お父様は旅行に行かれるかたのように、
「行って来るよ」と言い、笑いながら出発なさいました。
本当に立派であられました。

それは情進様が満2歳になられたときのことでした。
お母様は毎日、情進様を連れてダンベリーに出退勤なさるのです。


1984年9月にワシントンで宗教人大会がありました。
そこでお母様は基調演説を代読なさいました。
開会演説をもの静かに語られて、ダンベリーのお父様に会いに行き、
再び閉会式に来て、お父様のご様子とみ言をお伝えになりました。

紺色のジャケットを着て、目頭を濡らしながら、
学者たちの前で堂々とお父様の代わりに英語で演説をされました。


そのとき、お母様はご子女様たちと共にとても熱心に聖地で徹夜祈祷をされました。
孝進様もろうそく祈祷を熱心にされました。
お母様はそれこそこの上ない精誠を捧げられたのです。

そのときから始まったイーストガーデンのろうそく聖地祈祷は、
スタッフたちによって一日も欠かすことなく今まで続いています。



このダンベリーに関しての話は、
多くの方がご存知かと思います。

この裁判は、お父様が韓国に帰国中に
起訴されたものでありました。
要するに、お父様に批判的な人たちが、
「もうアメリカに戻って来るな」
という宣戦布告であったといいます。

実際にお父様はアメリカに戻らなければ、
起訴されずに済んだのです。
しかし、お父様は翌日に、
再度アメリカに入国されました。

のちに、お父様は、
「先生は刑務所が好きなんだ」と言われたとか。

「アメリカの統一教会本部をダンベリーに移す」
と語られたというのは、有名なエピソードです。

アメリカが先生を入れたのではない、
先生自らが入っていったのだ。。。
世界の救いを考えたら、アメリカが重要な国なので、
アメリカの罪を赦していかれたお父様でした。

真の愛を貫かれたお父様。
そのお父様に侍っていかれたお母様。
ただじっと待っておられたのではありません。
この時に、私たちの矢面に登場し始めたお母様でした。
心から感謝いたします。








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posted by ten1ko2 at 09:50 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする