2018年07月28日

現役東大生、2つの大きな夢とは ── 世界平和と… 《岡山大会2世スピーチ》



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先日行われた岡山大会において、
2名の大学生が、感動的なスピーチをしました。
今日は、今年東大に合格した男子学生のスピーチを紹介します。


僕は家庭連合の二世としてここ岡山で生まれ、
幼い頃から真の御父母様のみ言を聞きながら育ってきました。

小学校の頃までは、み言の理解も浅く、
教会の友達と楽しく遊んで過ごすことが僕の考えの中心でした。

ただ、中学生、高校生となるにつれて、み言をより深く学び、その価値を知り、
「自分のためだけで なく人のために生きる」
そんな人生を送りたいと思うようになりました。

そして高校2年生の時、僕は志望校を東大に定めました。

東京大学には 様々な分野の国家的世界的なリーダーが集まっています。
僕は世界を幸せにするリーダーを志す者として、
そういった環境に身を置いて自分を磨き実力をつけることが必要だと思い
東京大学を受験することを決意しました。

高校二年生の時に初めて受けた東大模試、
返ってきた判定はE判定でした。

ただ、「この世界を、全人類を幸せにしたい!」
というその願いだけを原動力に「何が何でも東大に入ってやる」
という思いでがむしゃらに東大合格の目標へ向かっていきました。

そしてその結果、今年2018年の3月に東大合格を果たすことができました。


そして今、僕には大きな夢が2つあります!

1つ目は「国家的影響力をもつ人物となって
日本を世界平和の中心となる国にすること」です。

僕には、 天文学の研究者や国会議員など
進みたい道がたくさんありますが、
どの道であってもその分野の第一人者となって
世の中に本当の幸せを伝えていける者となります。


2つ目の夢は「幸せに溢れた家庭を築くこと」です。

僕は中学1年生の時に父親を亡くしました。
それからは母と自分の二人で暮らしてきましたが、
仕事と両立させながら僕をここまで育ててくれた母には
感謝しても仕切れません。

また、早く亡くなった父ですが、父が亡くなった後、
僕はたくさんの人から父にお世話になったという話を聞き、
今はそんな父を心から尊敬し慕っています。

まさに今の自分があるのはそんな素晴らしい両親がいたからだと
つくづく思います。

今日はそんな僕の父母へ手紙を書きましたので、
この場で読ませて頂きます。


「愛する父母へ」

今僕は東京大学に入学して、楽しくさせて頂いていますが、
今のこの与 えられた環境は、誰よりもお父さんとお母さんが
僕の為に精誠を尽くして投入してくれたからなんだと常々感じます。

幼いころから、僕の勉強への興味を植え付けてくれたお父さんがいなければ、
今僕がこうして学問で世界平和を志すことは無かったでしょうし、
僕が生きてから今まで、 どれだけ苦労が多く忙しい日々であったとしても、
絶えず僕を支えて愛してくれたお母さんがいなければ、
今こうして幸せに過ごしていることも無かったことでしょう。

改めて、今の自分とこれまでの自分の人生を振り返ってみると、
本当に自分は愛されているんだと強く感じます。

普段は口にする機会も中々ないですが、
自分にこんなに幸せな人生を与えてくれたことに、心から感謝しています。
ありがとうございます。

そんなお母さんに、僕からお願いがあります。
それは、僕の子供の成⻑を見届けてもらうことです。
三世代の幸せな家庭を築くことができたら、 僕にそれ以上の喜びはありません。

なので、いつも言っていることですが、日々の運動を怠らず、
お父さんの分までも生きるんだと言う気概を持っていつまでも健康でいてください。

お父さんも、霊界からいつまでも僕たちが
天の父母様のもとで幸せでいれるように協助してください。

足らない息子ですが、今後もよろしくお願いします。
ご静聴ありがとうございました。



お母様もよく「夢」という言葉を使われます。
お母様ご自身も「神様の夢、真のお父様の夢」
その夢をなんとしても果たしていきたい。。。
そのような思いで、休みなくみ旨の道を歩んでおられます。

この兄弟も二つの夢をしっかりと持ちながら、
東大生として、学生生活を謳歌していることは、本当に素晴らしいと思います。

このような兄弟がいるということを
真の父母様がどれほど喜んでおられるでしょうか。
彼の今後の活躍に期待しつつ、
今、清平でもGTGYが行われています。
二世、三世たちが世界に羽ばたくことを願っていきたいと思います。







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2018年07月27日

どうして力が抜けるのか?! ──信仰が長くなった人に3 《李ヨハネ先生のベスト・アンサーD》再び



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李ヨハネ先生のみ言、
質問五の回答の〆です。


私たちが最初に伝道に行った時、
法科四年生、卒業クラスの人ですが、
その人が原理を聞いて学校をやめ、
聖書も讃美歌も知らないで、開拓に行ったのです。

江原道の春川という所で、学生たちを指導したところ、
既成教会の高校生たちが集まってきたので、原理講義をしたのです。
ある日、牧師が統一教会の伝道師は素晴らしい
といううわさを聞き、会いに来たのです。

彼は、マタイ福音書が新約にあるかどうかも知らないのです。
そこへ質問されたので、「文先生が巡回に来る時に来なさい」と言ったのです。

自分が知らないということは、絶対に言わない。
自分は文先生から派遣されていて、
文先生が全部知っているのですから、
文先生が巡回に来た時に来なさいというのです。
こう勇気を出して語り、牧師たちを帰したのです。


あなたはどうですか。
困ったな、聖書も知らないしと、力が抜ける人がいるかもしれない。

そういう時に、この人は文先生を中心として答えて勇気を得た人です。
全然知らないのですが、知らないという立場に立たなかったのです。

そうすると牧師たちも、その人が何も知らないことを知らずに、帰ったのです。
統一教会式とはこんなものかなといって。
最初開拓に行った人はみな、そうです。


おばあさんたちも伝道して、大学生たちを連れてきたのです。

「原理」をただ耳で聞いただけで出掛けていった。
印刷したものも何もない時です。
その時の伝道が最も力強かったのです。


皆さんは、信仰者として、
自分一人だけで存在しているのではないのです。
自分の位置を守れというのです。

それを知らずに、自分を勝手に取り扱うと、
力が抜けてしまうのです。


信仰者は、結婚したのと同じです。
結婚すると主体者の位置によって、その人の位置も決まるのです。

例えば、大統領の奥さんなら、その身分になる。
私たちもそうです。

世界の中で、何ものとも比べられないお父様の命令で、
お父様と共に摂理の参加者として現れたという心でないと、
勇気が出ないというのは当然なのです。

その位置から離れると、力が抜けます。


だからお父様は、「日に三遍誇れ」と言われます。

日に三回御飯を食べておきながら、日に三回神の前に誇らないで、
君たちの魂は生きていかれると思うのか。

兄弟同士でも、勝利を誇れ。
私たちの位置を誇れ。
私たちの方向や使命を誇れ。

ところが希望がないから、誇るものがないのです。



皆様もそうかも知れませんが、
何か、李ヨハネ先生のみ言を読むだけで、
力が湧いてきますね。

うまい表現ではないのですが、
『私って凄いんだな!』
そんな思いです。

信仰をもつことによって私は父母様と結婚したんだ。
だからもっとお父様、お母様を誇ろう!
もっと頑張らないといけないな。
そう思わされました。

ご父母様を証して行けば
私たちは『何も知らない』のではなく、
真の父母様の息子・娘であり、
『すべてを知っている』んですね。。。

李ヨハネ先生のみ言は、
これからも不定期で送りたいと思います。
ご期待ください!




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2018年07月26日

霊人体を自殺させる人、活かす人?! ──信仰が長くなった人に2 《李ヨハネ先生のベスト・アンサーD》再び



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もう一度刺激を受けて復活(復興)するためには、
どうしたらいいかという質問に対する、
李ヨハネ先生のベスト・アンサー
昨日の続きです。


お父様も初め、多くのアメリカ人たちが話を聞いて、
涙を流す姿を見て自信をもたれた。
「人間は同じだな!」
笑わせてみると、みな笑う。
「よっしゃ」とそこに勇気が出るのです。

人のために暮らした人は、何となく勇気がある。
これが永遠の生命の価値として、
自分の霊人体の糧として残っているのです。


「私は何でもない」
「私はどうでもいい」という人は、
霊人体を自殺させる人です。

神に所有されたなら、誇りながら暮らせるのです。
なぜ? 
自分は自分だけではないからです。

神を誇れということは、自分も共に誇らなくてはならないのです。
神と自分は一つであり、
全体と自分も一つであると考えなくてはなりません。

いつも力が抜けるのは、自分を一人と考えるからです。
全体と関係ない者と考えるからです。

しかし私たちは、原理的に全体のために必要のない者でしたが、
神が必要として今ここに暮らしているのです。
本当は自殺すべき者だったのです。

「今までのお前は、ここに存在すべき価値のない者だ。
それを知っているか」
「知りません」
「それでは生きていくべき何ものがあるか」
「何もありません」

神に「従うか」と言われて、
生かされるのが本当なのです。


私を必要だという人が、私を復活させる。
その人の価値を悟りながら、神を誇るなら、自分は神のものだ。
そのように暮らすのです。

けれども環境に疲れて、自分は自分のものだとすると、力が抜けるのです。
サタンが「お前のような者が神の息子か、何の資格があるのか」と讒訴するのです。




ヨハネ先生のみ言を通して、
イエス様が語られた聖句を思い出しました。

『わたしを見た者は、父を見たのである』
  (ヨハネによる福音書 第14章9節)

公的な私、神と共にある私であるならば、
私を誇ることが神様を誇ることになるわけです。

お母様も何度となく、
『堂々と、真の父母様を誇り、証して』
いくことを願われています。

神と父母と共にある私。。。
もっと意識していきたいです。

もう一日続きます。





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