2018年07月26日

霊人体を自殺させる人、活かす人?! ──信仰が長くなった人に2 《李ヨハネ先生のベスト・アンサーD》再び



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もう一度刺激を受けて復活(復興)するためには、
どうしたらいいかという質問に対する、
李ヨハネ先生のベスト・アンサー
昨日の続きです。


お父様も初め、多くのアメリカ人たちが話を聞いて、
涙を流す姿を見て自信をもたれた。
「人間は同じだな!」
笑わせてみると、みな笑う。
「よっしゃ」とそこに勇気が出るのです。

人のために暮らした人は、何となく勇気がある。
これが永遠の生命の価値として、
自分の霊人体の糧として残っているのです。


「私は何でもない」
「私はどうでもいい」という人は、
霊人体を自殺させる人です。

神に所有されたなら、誇りながら暮らせるのです。
なぜ? 
自分は自分だけではないからです。

神を誇れということは、自分も共に誇らなくてはならないのです。
神と自分は一つであり、
全体と自分も一つであると考えなくてはなりません。

いつも力が抜けるのは、自分を一人と考えるからです。
全体と関係ない者と考えるからです。

しかし私たちは、原理的に全体のために必要のない者でしたが、
神が必要として今ここに暮らしているのです。
本当は自殺すべき者だったのです。

「今までのお前は、ここに存在すべき価値のない者だ。
それを知っているか」
「知りません」
「それでは生きていくべき何ものがあるか」
「何もありません」

神に「従うか」と言われて、
生かされるのが本当なのです。


私を必要だという人が、私を復活させる。
その人の価値を悟りながら、神を誇るなら、自分は神のものだ。
そのように暮らすのです。

けれども環境に疲れて、自分は自分のものだとすると、力が抜けるのです。
サタンが「お前のような者が神の息子か、何の資格があるのか」と讒訴するのです。




ヨハネ先生のみ言を通して、
イエス様が語られた聖句を思い出しました。

『わたしを見た者は、父を見たのである』
  (ヨハネによる福音書 第14章9節)

公的な私、神と共にある私であるならば、
私を誇ることが神様を誇ることになるわけです。

お母様も何度となく、
『堂々と、真の父母様を誇り、証して』
いくことを願われています。

神と父母と共にある私。。。
もっと意識していきたいです。

もう一日続きます。





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posted by ten1ko2 at 06:05 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする