2018年08月13日

(証し) お父様への尽くし方! お母様のおそばに仕えて 《池生蓮先生》6・終



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池生蓮(チ センニョン 지생련)先生のお母様の証し、
今回が最終回になります。



お父様に対する内助

お母様の関心は、何よりもお父様を
どのように内助するかに常に焦点を合わせておられます。
例えば散髪をしてさしあげるのはもちろん(お母様の散髪の腕前はプロ並みである)、
自らお父様の手と足の爪を切ってあげられます。

外出して帰ってこられるときは、お父様の召し上がるものを
少しでも自ら買ってもってこられるのです。

どんなに忙しくても、ご父母様の旅行かばんは、自ら準備されるのですが、
かばんの構造や大きさに従ってお母様の服は左か下に入れられ、
お父様の服は必ず右か上に入れられます。

またお父様の体に傷ができたら、看護学校を出られたお母様は、
傷跡を消毒されて包帯で巻く応急処置を自らされます。

私の目を引いたのは、お母様はお父様が一度貼って剥がされた
ばんそうこうのようなものを捨てずに、別に取っておかれることです。
お父様と関連したものなら何一つとしてぞんざいに扱われない
お母様の繊細で注意深い侍る生活なのです。

私たちがお父様に公職の成果について報告を申しあげるように、
お母様もお父様に報告する生活をされるのは同じです。
いつも横におられるので、報告して決裁を受けられるのが
生活そのものになっておられます。

お母様のファッション感覚が優れていらっしゃるのは周知の事実ですが、
それでもお父様が他のファッション感覚で新しいものを提案なされたら、
少しもためらわずにそれに従われます。

お母様には最近、母としての慈しみ深さと
お父様のような指導者の威厳を兼ね備えられるようになりました。

ご聖婚初期からもっておられた一様な威厳は、常にもっておられましたが、
これに加えて対話している相手を見通す直観と、
集めた情報とを総合して結論を下す判断力がきわめて鋭敏で速いのです。

指導者としての威厳と能力を兼ね備えておられながら、
やたらに触れることのできない高貴さが強く培われているのを感じます。



この命が尽きる瞬間まで

17歳で真のお母様として選ばれた後、
お母様はその困難な歴史的な摂理路程において、
神様とお父様に認められて、人類の真のお母様の位置に上られました。
真のお母様のこのような歴史的勝利に永遠に栄光が共にあることでしょう。

不肖で愚かな姿でもっておそれ多くも
高くて聖なる真のお母様のみ意を推し量ることができるでしょうか。

お母様がなされることを横で見るばかりで、
深い内情を汲み取ることのできない私の足りない証は、
あまりにも皮相的な(うわべだけの)ものに過ぎません。
かえってお母様に迷惑をかけるのではと、心配が先立つばかりです。

この証の文をまとめていたアメリカの収穫祭(11月28日)の夕方、
お母様に少しの間、お目にかかりましたが、
私の健康を案じられて、貴い薬を下さいました。

70歳を越えてもお母様の親の愛だけ受けて、
何もお返しできない私自身の足りなさがいつも申し訳ないばかりです。

私はこの命が尽きる瞬間まで、
そして永遠の世界で先に昇華(聖和)した夫の李起錫とともに、
ご父母様に対する絶対服従・絶対信仰・絶対愛により
このみ旨の道に従おうと思います。  

2002年12月1日

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)

日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


そういえば、お母様は看護学校を出ておられたのですね。。。
女性食口の中で、看護師の方が多いのも意味があるような気がしました。

それにしても、絆創膏まで取っておかれるとは。
そういう遺品も残っているのかも知れませんね。

17歳の時から、お父様に侍っていかれたお母様。
一片丹心の心情で今も神様、お父様を慕って歩まれるお母様。。。

池先生の決意と同じように、
私たちも絶対信仰・絶対愛・絶対服従の心情で、
このみ旨の道に従っていきたいと思うのです。

池先生、貴重な証しありがとうございました。





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<池生蓮(チ センニョン)지생련先生プロフィール>
1931年9月25日(陰)慶尚南道金海出生、
2018年4月15日(天暦2月30日)、アメリカで聖和(ソンファ)。享年88歳。
真の父母様より「祝・祖国光復必勝奉身代表」の揮毫を受ける。

1955年1月10日、入教。同年11月、
梨花女子大学法学政治学科4年在学中、統一教会の信仰か学校かを選択せよ
との学校側の不当な措置に、信仰を選択し退学。
1961年、李起錫氏と36家庭として祝福を受け、
1977年、アメリカ・サンフランシスコに渡る。
全国特別巡回師として活動し、アメリカで進児韓国学校、
理事長兼校長としてアメリカの子供たちに韓国語と文化を教育。



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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(2) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする