2018年08月24日

信仰生活で、なぜ病気になるのか?! 《李ヨハネ先生のベスト・アンサーH》原因と克服法3



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『み旨をやりながら病気を治すべきか、
それとも治してからみ旨に励むべきでしょうか?』
という質問に対する、李ヨハネ先生のベスト・アンサー。

今日は〆になります。
昨日の最後の部分からどうぞ。


私たちは、死んでもどうでもいい人間、つまらない人間なのです。

結局、信仰者というのは、自殺しそうだった最後の立場で、
よみがえった人のことをいうのです。
死亡線を乗り越えているのです。

その時、み言に触れ、「原理」に触れたのですが、
それだけでなく、それを受肉しなくてはいけないのです。
もう一度受肉しなければいけない。

こういう時には、こう勝利すべきだと知りながらも、それをしなかった。
だから、「原理」を応用して体恤しなければいけないのです。


それが自分の情になって、失うことがないのです。
そういう信仰は失わないのです。
体験した情は、常に自分の心に生きているのです。

観念的な信仰よりも、受肉した信仰を積み重ねていく人は、
絶対に信仰生活で疲れないのです。
絶対に疲れない!

だから年は取っても、若くなるのです。
魂が生き、霊人体は成長し、完成していくのです。
霊人体は絶対に年を取らないのです。


そういう信仰をしていないから、すぐ疲れが出てきて、病気になるのです。
体力でもって一時的には力を与えられても、
それがなくなると、訳が分からなくなってしまうのです。

それをどのように指導して味わわせるか。
経験した人がいなければ、全体の問題となってくるのです。

いわば、「こういう時にはこうして、生活の中で刺激を受けるのですよ」
と教えるのです。

だれのために私は信仰しているのか。
神の命令に従ってやっているのだという信仰をもてば、
みな刺激を受けるようになるはずです。

外的に苦労しても、苦労の中に恵みがあるはずです。
苦労させないから、外的に打たれてしまうのです。

そういう信仰路程において、信仰を味わわせようとすると、
その人は自ら「原理」の生活化を知るようになってくるのです。
そういう経験をさせなければなりません。
そうすれば、捨てられても、けっとばしても離れなくなるのです。


先生は、そういう人がたくさんいてほしいのです。
三年くらいで、その価値を知らなければならない。
つかむべきです。

それを味わわせるために、三年間は苦労させるのです。
三年間というものをみ言で体験したら、
その人と環境は発展するようになってくるのです。



こんなことを言っておられた人がいます。
「ストレスになった時、
自分で解決しようと努力したけれど、
結局病気になってしまった。
困難な時ほど、神様に祈りを捧げ、
神様に求めるべきだと思う」

どんな時にも神様を求める、
そのような信仰姿勢が重要だと思います。

ヨハネ先生によると、
お父様は、「三年間」と言っておられますが、
自分を振り返ってみると、信仰の深みを味わえるのは、
3年よりもっとかかったような。。。
いや、本当の意味で、まだわかっていないかも知れませんが。

生涯、神様と真の父母様に侍っていけるように、
これからもみ言を受肉できるように
努力していきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(3) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする