2018年11月21日

食口たちに慕われる中心者となるためには?! 李ヨハネ先生の失敗談 《信仰サプリ》



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李ヨハネ先生のみ言です。


ここに集った皆さんは、先生のみ言を聞き、愛を受け、
先生お一人のゆえに信仰する決心をし、出発したと思います。

先生が韓国におられるときは、
全国の教会の総責任者が先生であられますから小まめに巡回されました。

事実、派遣された人に牧会者の資格がありませんから
心配されて回られるのですが、私たちはそのことが分かりませんでした。
私は自分が牧会者だから、資格があるのだと思いました。

ところが、先生が回っていかれたあとが問題でした。
食口たちが私を慕わず、言うことを聞きませんから、
統率するのも難しくなり、責任者としては顔色がなくなってしまいました。

それで私が先生に、「私は十ワットの電球であり、
先生は千ワットの電球ですから、先生が来られるならば、
ぱっと明るくなって、すっと去られるならば、
私の電気の明るさをもっては暗くて
食口たちの心霊の前に光になることができません。

教会を統率するのが難しいです。
ですから、しょっちゅう来ないでください」
と、このように分別のないことを申し上げました。


なぜならば、李牧師に会えなければ耐え難いと、
早朝から訪ねてきていた人たちが、
先生が約三日ほど来て行かれてからは私のところへ来ません。
それを回復させようとするならば非常に難しいのです。

回復させるためにさらに精誠を尽くすならばよいのですが、
精誠を尽くさずに不平だけを言っていました。

食口たちを見れば、責めたいのです。
事実、食口たちは私の言うことを聞きにくるのではなく、
先生のみ言を聞きにくるのです。

ですから、私が先生を一番に自慢し、
先生だけに尽くして奉るならば、
「李牧師は先生にあのように立派に侍るのだなあ。
実に私たちの牧師さんは信ずるに値する」
と、このようになったでしょう。

私が食口たちより先生をもっと信じようとする努力を見せてこそ、
食口たちも私を眺め、私を仲保者として
立てて先生に向かっていくのに、
先生に関係する話はせずに自分の話だけをしようとしますから、
食口たちの心が後ろ向きになるのが当然なのです。


おそらく、皆さんも牧会生活をしながら難しいことは、
このようなことだということを感じたはずです。
教会を訪れる人の心は、慕わしさの中心、
自分の相談の中心、み言の中心を探し求めるようになります。

子供たちが外から家に帰ってきて母親がいなければ、
家に入らずに外でずっと遊ぶのです。
そうして母親が帰ってくれば一緒に入ってきます。
家に父母がいないならば、子供たちは分散して孤児になり、
父母がいるならば子供たちが集まります。

教会も同じです。教会の責任者が父母らしく信仰の中心になり、
真の父母らしく手本になる信仰の人物になるならば、
食口たちの心も教会長に似て先生の前に
正しい姿勢をもつようになります。

このような教会に行ってみるならば何かしら温和であり、
熱い風が吹くと言いましょうか、春の園と言いましょうか、
そのような雰囲気を感じます。

ところがそのような心になっていないならば、
教会内で寂しい冷たい風が吹くのを感じるようになります。

李ヨハネ先生
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練院



李ヨハネ先生がお父様に、
「・・・来ないでください」
そのように言われたなんて驚きです。

ヨハネ先生のみ言によれば、
お父様と比較して、
愛の減少感を感じる者になるのではなく、
お父様を誇り、自慢する、
まさに侍る信仰を持つことが
重要なのだということを教えてくれます。

それは、私たちにも
日々の信仰生活のポイントが
何であるかを示唆してくれるものだと思います。






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posted by ten1ko2 at 09:55 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月20日

(証し)自叙伝書写を始めてから… 念願の祝福、氏族や両親も!



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自叙伝書写を通して、本人・家族・親族の方を
祝福結婚に導いたという証しを紹介します。


昨年8⽉に祝福を受けることができました。

書写を始めてから、夫との祝福を願って
毎晩の食事の後に夫の前で書写を続けてきました。

少しずつ夫が変わってきたことを感じたので、
「祝福を受けてください」とお願いしました。
すんなりとはいきませんでしたが、
祝福式に参加してくれました。


夫の兄の⻑男(甥)が40歳近くになり、
結婚ができなくて悩んでいました。

教会を通して出会いがあり、
昨年11⽉結婚し、今年9⽉10⽇に⻑男が誕⽣しました。


今年6⽉には、私の両親を祝福に導くことができ、
念願がかないました。

今まで何度となく、ビデオを⾒てもらったり、
祝福の意味を説明したりしましたが、困難でした。
⺟に書写だけは書いてくれるように頼みました。

そんな中、昨年5⽉から⺟の喘息がひどくなり⼊院しました。
⼤学病院に移され、肺ガンと診断されて治療が始まりました。

ベッドの上に⼀⽇中いるので、
「書写をして⼼を落ち着かせて治療していこう」
と⺟に提案しました。

⺟は以前とは違い、⼀⽇に何枚も書き、
「元気になりたい」、「⽗のめんどうを早く帰ってみてあげたい」
の⼀⼼で、真面目に続けました。

すると不思議なことに、治療のケロイドもなく肺の中はきれいになり、
病院の先⽣⽅やレントゲンの先⽣⽅もビックリする程で、
思ったより早く退院することができました。


2018年を迎え、1か⽉の間に何度となく両親を訪ねました。
夫は仕事で疲れていても⼀緒に⾏ってくれました。

私達夫婦が昨年8⽉に祝福を受けたことは伝えていたので、
夫婦仲を⾒て安⼼したように思います。

5⽉の⺟の⽇に、私は素直に「祝福を受けて欲しい」
と⼼から伝えることができました。いつもなら、
「お⽗さん、受けたくないよね、嫌だよね」とけしかける⺟でしたが、
その⽇は「受けてみようや、お⽗さん」と素直な⺟になっていました。

6⽉に祝福を受け、2か⽉経った頃には、
2人ともスッキリした顔色で健康にも恵まれ、
以前とは違って楽しそうな感じでした。


実は、私は親⼦関係が良いとは⾔えない家庭で育ちました。
しかし、み⾔を学ぶ中で、
「両親が私たちに何をくれたのか」を考えられるようになりました。

ただただ、私たちの⼦供のために働き、⾝を削り、
不便な⽣活を我慢して育ててくれた両親でした。

祝福を通して、今までにない親孝⾏をさせてもらえたことで、
私の中の負債感がなくなりました。
今では、私達夫婦が訪問しないと⼼配して、
逆に⺟が訪ねて来てくれるほどになりました。

これからも頑張って、⼼を込めて書写を続けていきたいと思います。
天の⽗⺟様と真の⽗⺟様に感謝いたします。
ありがとうございました。



素晴らしい証ですね。。。

書写というのが出発点でしたが、
何よりも、ご自身が祝福を受けたこと。
これが大きな契機となっていることを感じます。

ご主人に理解してもらって、
祝福を受けたので、
幸せな夫婦関係を築いておられるのだと思います。

また、祝福家庭となることは、
私たちがその価値をあまり実感できませんが、
とても大きな恩恵であり、それまでとは大きく変わったはずです。

それが、甥御さん、さらには、ご両親にも、
善なる波動として、伝わっているのでしょう。

私たちも幸せな夫婦、幸せな家族関係を築いて、
それを周りの人たちに波及させていく、
まさに、真の家庭づくり運動を推進していきたいと思うのです。





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2018年11月19日

毎日が上映会! 天国は、山河が歌い呼びかけるファンタジーの世界?! 《浅川先生の霊界シリーズ》



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一つの岩、一瞬の風にも
神様の息遣いが隠されている




浅川先生の講話。
先回は、犬や猫、動植物の話でしたが、
今回は、大自然、『天国の山や川』です。


では、山や川や海、それはどのようなものでしょうか。

山には山の心、海にも海の心、川にも川の心があります。
その山や川も、まるで人格があるように、
人間を喜ばせようと思うのです。

ですから、地上においては大自然に行くと、
CDプレーヤーやカセットテープレコーダーをもって
BGMを流しながら楽しもうとしますが、霊界ではその必要がありません。

山が歌を歌い、海が歌を歌い、川が音楽を奏でるのです。
様々な歌を川や山が歌いだすのです。

そうして、岩や石は何とか私の上に座ってほしい、
そして休んでほしい、ちょっとでも触れてほしいと思って、
様々に人間に呼び掛けてくれます。
座ってくれたならば、とても喜んで人間と会話をするのですが、
黙って通り過ぎたならば、本当にがっかりするというのです。

このように、山や川、海にも心があります。
川も何とか人間が来て足を洗ってほしい、
そうすれば精誠と真心を尽くしてその足をきれいにしてあげよう
と思いながら人を待っているのです。

そこに魚が寄ってきて、丸くなってダンスを踊ったり、
シンクロを踊ったりして人間を喜ばせるのです。
すべての自然が人間の大歓迎会をする世界が霊界における天国なのです。

まるで魔法の世界です。
ウォルト・ディズニーがこういう世界を様々に映画で表現していますが、
そのディズニーでさえ想像のつかない魔法の国、それが天国なのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
 


浅川先生のみ言を読んでいると、
天国における万物の様相を
お父様は地上で味わっておられたのだ、
そのように思いました。

「一つの岩、一瞬の風にも神様の息遣いが隠されている」
そのようなみ言がありますが、
お父様は、自然を通して、
神様の深い御心情を感じておられたのだ、と思います。

私たちも、自然を通して、神様の心情を感じることができる・・・
そのような訓練をしなければ、と感じます。






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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする