2019年02月25日

「ありがとう」を言えば幸せがやってくる! 悪口を言うと……?! 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
人を愛する方法、笑顔の次はなんでしょうか。



言葉で愛する

神様は人間に言葉を与えてくださいました。

では、何のために言葉を語るのでしょうか。
それは、隣人と家族を幸福にするためです。
神様は、愛するために言葉を与えてくださったのです。

食べるためだけなら、口があればよく、言葉は必要ありません。
犬や猫は言葉が語れなくても食べて生きています。


それゆえ、愛ある言葉、美しい言葉のみを語るべきなのです。
人が聞いて幸福な気分になる言葉のみを語るべきなのです。

文鮮明先生は、

「愛の心、真実をもって接しなければなりません。
 話をするにしても、一日に良い言葉を
 三回ずつ継続して言ってみてください」


(『愛天愛人愛国』59ページ)
と言われています。

 
ところで、良い言葉を三回どころか、
何千回も唱えて幸福になったおばあさんがいました。

そのおばあさんは毎日、「自分ほど不幸な人はいない」と愚痴をこぼしていました。
「同じ町内に嫁と孫が住んでいながら、一度も
自分の家に訪ねてきてくれたことがない」と嘆いていたのです。
そのため、毎日、嫁の悪口を言い続けていたのです。

ところが、ある時、「こんなことをしていてもどうしょうもない。
むしろありがとう、と言い続けてみよう」と思ったそうです。
それで、朝起きてから「ありがとう、ありがとう」と言い続けたそうです。

すると、奇跡が起こったというのです。
一日千回言ったとき、一人の孫が訪ねて来たのです。

おばあさんは感動して、こう思ったそうです。
「ありがとう千回で孫一人。
そんならもっと回数を増やしたら、ひょっとして……」。

それから一日三千回以上唱えたそうです。
驚いたことに、孫三人と嫁まで訪ねてきて、しかも、
おばあさんへのお小遣いがベースアップしたそうです。

それで孫にプレゼントができるようになったそうです。
今では、何万回も唱えているそうです。


「ありがとう」という言葉は不幸な時ほど効き目(?)がありそうです。
不幸な時に感謝できる人は天国人というべきです。

しかし、なかには、言葉を使って不幸になる人もいます。
ひょっとすると、大半の人がそうかもしれません。

文鮮明先生は言葉の恐ろしさについて語られています。

 
「もし言葉を一言間違えれば、
 その言葉を言った人も苦痛を受け、
 その言葉を聞く人も苦痛を受けるのです」


(『愛天愛人愛国』61ページ)



ひとたび口から出た悪い言葉は、もはやその人の所有物ではなく、
悪魔の所有物となり、不幸のために活用されるのです。
そのため、悪い言葉や陰口を語った人がまず不幸になるというのです。

ゴミは市が回収してくれますが、悪口という見えないゴミは回収してくれません。
悪口の回収日などないのです。
生ゴミが悪臭を放つように、悪口は悪霊を解き放つのです。

悪口は不幸の種まきになるのです。
しかも、直ちに不幸な出来事を実らせます。
神様が幸福のために与えてくださった言葉で不幸になるほど
愚かなことはありません。



浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第四章】愛天愛人愛国
愛人─人を愛する生活


「ありがとう千回で孫一人」
興味深い証しですね。

反対に、「口は禍の元」、という言葉もありますね。

政治家もちょっとした言葉の表現で、
やり玉にあげられたりしています。
もちろん、言葉だけ取り上げて、
他の動機で言っているのに、
言質のみで判断されてしまうこともあります。

ただ、批判する人たちほど、
そういう言葉に敏感ですし、
表面のみの解釈で、内面まで見つめられないでしょうから、
気をつけないといけないのだと思わされます。

悪口のゴミは、回収不可能。
肝に銘じていかないといけないですね。
言ってしまったものは取り消せないのです。

「いつも笑顔でいなさい。
感謝していなさい」と言われるように、
それを習慣づけることで
「ありがとう」という言葉が
自然に口から出てくるのかもしれません。

さらに意識して讃美の言葉や
「ありがとう」などの
素晴らしい言葉を発していきたいと思います。







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posted by ten1ko2 at 09:40 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

真のお母様が、これまでのご心情を吐露! 基元節6周年を迎えて 《2.15、19のみ言》



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一連の基元節行事も終了しました。

今日は、その中から、天一国指導者総会・閉会式と、
小正月の朝、プロムを分かち合われた際の、
真のお母様のみ言を抜粋して紹介します。


お父様の聖和以後は本当に表現できない、私ひとりだけ
残ってしまったという、そのような立場でした。

多くの元老食口たちがいますが、摂理をすべて
知っていると思うことができなかったので、
議論の対象になることができませんでした。

真の父母の位相は天が望む位相、国家的な基盤で
世界のすべての国々の元首たちが参加した立場で、
聖和式が行われなければなりませんでした。

しかし、そうできなかった状態で摂理を導いて
行かなければならない私の立場は一人きりでした。

まるで荒亡とした砂漠に砂嵐が吹き荒れ、目を開く
ことのできない環境で、小さな針ひとつを探さなければ
ならない心情、皆さんは感じたことがありますか。

そのような心情で、想像することができない、
(涙を呑まれる)探さなければならない針を、
私一人で探し出しました。

過去統一教会、家庭連合の50年余りの歴史は
すべてが良かったとは考えることのできない、
多くの傷があります。

そのような傷跡をすべて縫い合わせ完全なものに
させていくことが容易なことではありませんでした。
誰も私がしようとすることを
信じることができませんでした。

「独り娘の私が真の母である」と宣布した時、皆さん、
皆さんは歓迎しましたか。(はい)
返事は簡単にしますが、簡単ではないと考えます。
そうですか。それでも、いまは確信していますか。

霊界の実質的な助けを借りることのできる
皆さんになればと思います。

私がアフリカに行く時も義人が助けたと言いました。
天が私たちのために準備した義人たちがたくさんいます。
彼らに知らせてあげなければならないのでは
ありませんか? 見せてあげなければなりません。

いまから私たちは一つの体制で、一つの声(主張)を
出さなければなりません。 特に、自己中心を離れ、
全体を考える立場で活動してくれたらよいのです。
真の母の訓示です。


天一国指導者総会
天一国7年 天暦1月10〜11日(陽2.14〜15)
HJ天宙天宝修練苑
閉会式のみ言



一年を始め、最も大きく、天と地に対して、
感謝の心を持ち、春を迎えるための準備をする、
長きに渡り伝えられてきた、韓国の風習です。

長い冬を過ごし、春を迎えるための準備をするにあたり
小正月には、「プロム」というものを、
家族が集まって食べました。

自然の脂肪とたんぱく質、
また、ビタミンが含まれており、
これらを摂取すれば、皮膚の吹き出物もなくなり、
健康になり、歯も丈夫になります。
実質的で、本当に科学的ではありませんか。

どれだけ、知恵深い韓民族の先祖たちだったでしょうか。
皆さんの前に多分置いてあるでしょう。
これは口で割るのです。
どうぞ食べて下さい。私も食べますね。



※プロム(부럼):その年一年、おできができないようにと、
小正月の夜明けに子供たちに栗、クルミ、落花生などを
食べさせる風習がある。その際の木の実のこと


天地人真の父母様主管 天一国指導者特別集会
天一国7年 天暦1月15日(陽2.19)天正宮博物館



真のお母様は、クルミを分かち合われながら、皆が健康で、
勝利する一年になることを祝福してくださったそうです。

今回の一連の行事に参加しておられた地区長は、
「結論だけ言えば、2020に向けて、
お母様の決死的覚悟を感じた」
と語られました。

お父様が聖和された時から、
どれだけの重圧を感じてこられたお母様だったでしょうか。
侍墓生活3年間の精誠を土台としながら、
一つ一つを積み上げていかれたお母様。

実りを刈り取るのは、残り1年しかないことを思うと、
本当に精誠を捧げて歩むときであることを感じるのです。








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posted by ten1ko2 at 08:43 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月23日

笑顔は「心の花」、幸運を引き寄せる!! 《浅川先生の自叙伝講話》



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浅川先生の自叙伝書写講話から、
愛天愛人愛国の愛人、
人を愛することについてです。



笑顔で愛する

人を愛することは笑顔を振り向けることです。

神様は人間だけに笑顔を与えてくださいました。
どんなにかわいい犬でも、笑うことはできません。

人間だけが笑えるのです。
笑うためには、眉毛が下がり、口が丸くならなければなりません。

犬は口が突き出ていて、おまけに歯は牙となっています。
到底笑うことはできません。
このハンディをしっぽでカバーしているのです。


なぜ、神様は人間だけに笑いを下さったのでしょうか。

それは、隣人や家族を幸福にするためです。

食べるためだけなら、笑いは必要ありません。
現に、犬や猫は笑えないのに食べているではありませんか。
人を幸福にし、自分が幸福になるために、笑顔があるのです。


文鮮明先生は、次のように語っています。

「ほほえみは幸福の根源であり、
 根となるものです」
(『愛天愛人愛国』55ページ)

「いつも笑顔でいなさい。
 笑顔は心の花です」
(同、54ページ)


「微笑が幸福の根である」ということは、笑わなければ幸福になれないということです。
まさに、幸福だから笑うのではなく、「笑う門には福来たる」なのです。


特に女性の笑顔は幸運を引き寄せます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名画に「モナリザの微笑み」があります。
絵画の中の絵画といってもいい名画です。
しかし、どんなに絵画技法が天才的であっても、
「モナリザのやぶにらみ」だったら名作にはならなかったでしょう。


さらに、文鮮明先生は女性が幸福になるために、不思議なことを語られています。


「女性は、十種類の笑いを分別して
 笑うことができなければなりません」
(同、55ページ)

「えっ、十種類の笑いってなあに……」と思わず叫んでしまいます。

ただ笑えばいいというものではなく、時と場所と相手によって
笑いを使い分けなくてはならないということなのです。
女性が、笑い時と笑い場所、そして笑う相手を使い分けたら幸せになれるというのです。


例えば、一日の中で、笑い時は何といっても朝です。

一日を四季に例えれば、朝は春に相当します。
春、花や果物の種をまくように、朝、幸福の種をまくのです。
朝の笑顔は幸せの種まき、といっていいでしょう。

では、どこにまくのでしょうか。

ベランダではありません。
玄関です。


夫が仕事に出掛けるときに飛び切りいい笑顔で送り出すのです。
この瞬間、奥さんは気立ての良い女神様になります。
妻の笑顔で、夫は気分良く出掛け、仕事も順調に進み、
お土産を買って帰ってくるかもしれません。

奥さんは笑っただけでプレゼントがもらえるのですから、
これほど投資効果があるものは他にありません。

ところが、ある奥さんは、朝、笑っているにもかかわらず幸福になれませんでした。
夫が玄関から出たあとで笑っていたからです。
夫が出たあと、気分が爽快になるからだそうです。

やはり、笑うにも時があるのです。
夫が転んだ時に笑えば、あざ笑うになります。
けんかの種まきになってしまいます。


あるご主人が家に帰ってみたら、家が冷蔵庫のように冷え切っていたそうです。
冷気が漂っています。

「ただいま」と何度言っても、奥さんから返事がありません。
しかし、玄関に靴があります。
家にいることは間違いありません。

食堂からトン、トンと大根を切る音だけが響いてきます。
食堂に行ってみると、キラリと光る包丁を片手に持って
奥さんがニヤリと笑ったそうです。

これは不気味な笑いです。
ぞっとして、恐ろしくなったご主人は、
体を温めるために家からどこかに出て行ったそうです。


また笑い方も相手によって変えなければなりません。

夫の前では、きゃっきゃと屈託なく笑ってもいいが、
同じ笑い方を姑(しゅうとめ) や舅(しゅうと)の前では
しないほうがいいと、文鮮明先生は教示しています。
品がないと思われかねないからです。

うまく使い分けた笑顔は「心の花」になるのです。

花には蝶(ちょう)が引き寄せられます。
幸運が引き寄せられるのです。
また、ミツバチが来ます。
財運も来るのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第四章】愛天愛人愛国
愛人─人を愛する生活



「笑う門には福来る」ということわざがあります。
悩んでいるから笑えないのではなく、
笑おうとしないだけなのかもしれません。

おかしいから笑うのでなく、
笑うことによって福の神が来る、というのです。

厳しいみ旨を歩んでいる私たちこそが、
そのような者にならなければいけないな。
そう思わされます。




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