2019年04月18日

(証し)「世界で最も苦労している人に、心がいく」 日本を愛されたお父様



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「世界でいちばん苦労している人のところに、
心がいくのである。」


真のお父様は
涙をぽろぽろ流されました



以前、777双の阿部公子婦人が
本部での集会で証しをされました。
真の父母様の許、韓国で7年間
侍る生活をされましたが、
その時の証しです。


早朝、真のお父様が庭に出てこられて、
松の木や空を見上げて突然、
日本の責任者たちを呼びなさいとおっしゃることがありました。

そんな時は、お祈りをしながら
日本の食口のことを思ってくださっていると感じました。

何かあると決まって、
「すぐ、日本の責任者たちを呼びなさい。」
とおっしゃり、今おっしゃったばかりなのに、
「まだ来ないの、まだ来ないの?」
と何度も聞かれます。

到着してごあいさつに伺うメンバーに、
「来たの、来たの。」と、
何度もうれしそうにおっしゃるのです。


礼拝の時にも、

「世界でいちばん苦労している人のところに、
心がいくのである。」


と、真のお父様は礼拝堂の天井を見詰められて、
涙をぽろぽろ流され、言葉が詰まってしまったこともありました。

史吉子先生は、後で
「日本の食口たちのことを思ってくださっているのよ。
親である父母様といつも一緒にいられなくても、
苦労の道を先頭切って頑張っているので不憫に思ってくださるのですよ。」
と言われました。


新門路の館で、責任者会議が開かれることがありました。
あるとき、日本から百人近くが呼ばれたのです。
そのときは、今の教区長とその他の責任者なので、男性がほとんどでした。

ホテルを予約していたのですが、真のお父様は
「きょうはホテルをキャンセルしなさい。」と急に言われました。

どうしてそのように言われたのか、日本の責任者に聞かれましたが、
だれも答える人がいませんでした。
すると、真のお父様が次のようにおっしゃったのです。

親の家に来ているのに、お父さんの所に泊まりたいとだれも思わないのか?
親子は一緒の家に住んで、一緒に食事をし、一緒に寝たいと思うものなのに、
日本人は情が冷たくて寂しいね。
ろくにベッドもなく、トイレも少なく、シャワーも少ない。
ここよりホテルのほうがいいの?

親が一緒に暮らそうと言えば、そこが宮殿だよ。
それ以上のホテルはないよ。


そして、真のお父様は
韓国の食口は何もしなくても、
父母と一緒に暮らしたいという心情はいっぱいあるんだよ。

とおっしゃり諭してくださいました。
その晩は、わいわいがやがや、子供のようになって過ごしたのです。

みんなが寝静まったころ、わたしが忍び足で地下から食堂、
リビング、二階と全部の部屋を回っていると、
人の気配を感じたので息を殺して見てみると、
何と真のお父様でした。

一人ひとりの顔をごらんになりながら、
赤ん坊を寝かしつける母親のように見回っていらっしゃったのです。

翌朝の食事は、パンと牛乳とバナナの質素なものでした。
真のお父様は、
「みんなに本当は朝から、
おいしい肉でもお腹いっぱい食べさせてあげたかったのに、すまないね。」
と言ってくださいました。

真のお父様は、皆に
「親の家に一緒に寝た寝心地は、どうだったの?」
と尋ねられました。

皆は「はい。よく休むことができました。」と答えていましたが、
現実は蒸し暑く重なり合い、荷物と人間が入り交じって
寝心地は良かったはずはありません。
でも、貴重な一日であったことは、だれもが感じていました。

真のお父様は、
こんな機会は、これから持てると思うの?
だから、これから会議に来たらホテルに泊まるのが当たり前と思わないで、
親の家に泊まりたいと思いなさい。
場所がなかったら庭にテントを張ってでもいいではないか。

親と一分でも多く、一緒にいたいと思う、
その心情の因縁は何ものにも代え難い宝だよ


と言われました。



阿部婦人が、目に涙をためたまま、語られている
姿が、とても印象的でした。

「世界でいちばん苦労している人のところに、
心がいく」とおっしゃっていたお父様。
日本で苦労している子供の存在が、
お父様には感じられたのでしょう。

私たちが、天を思いご父母様を思いながら
精誠を積めば、そして苦労すれば
お父様は、誰よりも理解してくださるのです。

お父様は強烈にみ旨を推し進めていかれますから、
責任者たちの前では、強いアベルとしての姿を
示していかれます。

しかし、根本は『親』なのだと思います。
霊界におられる真のお父様は、
今の私たちに対しても、
み旨の最前線で勝利することを願われつつも、
親の姿を持っておられるに違いない。。。

そして、地上におられるお母様においても、
やはり日本の勝利を願ってくださっていることでしょう。
お母様の相対圏として、
世界の母の立場を歩んでいる、
そのことを何よりもご存知なお母様なのだと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 07:06 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

「気がついたら、人類が皆、私の家族に!」 神の愛の海を航海する大きな船=家庭



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カリフォルニア州 ガーデナ City of Refuge教会 4.6☆


堀正一副会長が九州の青年大会で、
講演をされました。
その時のみ言(要旨)を紹介します。


この会場に来る前に「宗像(むなかた)大社」を参拝させていただきました。
宗像大社は「海の神様」として、1300年以上もの間、
人々の信仰を集めてきたといいます。

きょうは多様なプログラムを通して、
「家族の力」について改めて振り返っています。
その家族は、大海原を航海する船のような存在です。
船は、皆が心を一つにして航海の無事を祈りつつ舵を切る中で、
目的地に安全にたどり着くことができます。

千数百年間、心を合わせ航海の無事を祈ってきた
宗像大社の信仰の在り方は、
私たちが立ち返るべき心の姿勢を示しているように思います。

家庭連合の創始者である文鮮明総裁は、
私たちに「愛天・愛人・愛国」という教えを下さいました。
家庭連合では、この精神をもって天を敬い、家族を愛し、
そこで培われた家族愛を世界まで広げようとしています。

家族の中でも、愛が成熟されていないがゆえに、
時には児童虐待や非行などの問題が生じますが、
それでも、私たちは家族であることをやめません。

相手の痛みや苦しみを自らのものとして受け入れ、
本当の家族≠ノなるための努力をします。
それが家族の力です。

人は、たとえ国が違っても、地球上で生きていることに変わりはありません。
文化が異なっても、夫婦が家庭を築いて子供を生み、
大切なものを家族に託して自らの人生を終えることは同じです。
このように共通することのほうが多いのです。

国と国とでは、プライドがぶつかって関係が難しくなることがあります。
しかし私たちが、あらゆる国の人々を「私の家族」として見詰め、
共通点を認め合うようになれば、その問題が解決され、
世界に平和をもたらすことができます。

ところで、船が海上を進むことができるのは膨大な海水があるからです。
同様に家族が暮らしていくためには、
人間の愛よりも大きくて深い愛が必要です。
それは神様の愛、自然の愛、さらにご先祖様の愛とも言えるでしょう。

私たちを生かしているそのような愛に気づき、
その愛に感謝しながら家庭生活を営むことが大切です。

そして気がついたら、「人類が皆、私の家族になっている」。
そのような大きな家族となることが、
家族の力の究極の到達点ではないかと思います。
若い青年・学生の皆様が、そこに向かって
チャレンジしてくれることを心から願います。

第5地区(九州)青年3000名大会「ファミリーパワーフェスティバル」
(主催・世界平和統一家庭連合第5地区、後援・世界平和青年学生連合)
天一国7年天暦3月3日(2019年陽暦4/7)午後1時
福岡県宗像(むなかた)市
(家庭連合Online より)



真の父母様のみ言は素晴らしいし、
そして、歩まれた道程もどれだけ素晴らしいでしょうか。

問題は、私たちです。
天聖経にこのようなみ言があります。

   統一教会の教団は氏族です。
  「私」の血が共に動くのです。
  私が涙すれば、氏族が涙しなければならず、
  私が喜べば、氏族が喜ばなければなりません。
  それは血族です。
  五色人種を越え、文化背景の異なる
  すべての国家基準を越え、
  壁を取り払って一つのまとまった、
  新しい天の国創建のための民族です。

(天聖経 968ページ)

すなわち、祝福家庭は、
同じ天の血統で結ばれた
『氏族』なのだ、というのです。

これを私たちが意識して生活したならば、
自然と人が集まってくるだろうし、
また、証しを立てることができると思います。

今、真の家庭づくり運動をしていますが、
「人類が家族になっている」
そのことをまずは、私たち祝福家庭が
先頭を切って実践すること、
これが一番の天の願いではないかと思うのです。





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2019年04月16日

心がうまく動かない! 「心の病」と心の健康体の違い 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生が書かれた、
「氏族伝道の心理学」より、
今回は、『心の問題、心の病気とは』をお伝えします。


まず、考えていかなければならないことは、
「心の病」とか「心の問題」というのは
どのような状態をいうのか、ということです。

心の病の定義は、学問的にはとても難しいものです。
米国精神医学界が定めた精神疾患の診断基準には
精神疾患は、大見出しだけで十七章、
さらに細かく分類していくと数百にわたって記されています。

有名な「統合失調症(旧・精神分裂病)」や「大鬱病」なども、
この診断基準の中で定義され、分類されています。


ところで、このように多岐にわたる心の病ですが、共通していることがあります。
それは何かというと、以下の二つの状態です。

・客観的に物事を見ることができない。
・合理的・合目的的に行動できない。


例えば、精神病の代名詞として挙げられる統合失調症ですが、
その代表的な症状に「妄想」という状態があります。
これは、実際にはあり得ないことを信じていることです。

例えば、血統妄想と呼ばれるものは、
「私は、実は天皇家の血を引いている」とか
「自分は、ロックフェラーの隠し子だ」などと信じている状態です。
もちろん、実際にはそんなことはありません。

こうした妄想という状態は、
物事を客観的に見ることができていない代表例です。


あるいは、心の風邪といわれる鬱病では、
「自分なんか、どうせ何をやってもうまくいかない」と思い込んで、
身動きが取れなくなっていることが少なくありません。

実際には、何をやってもうまくいかないということはありませんし、
百点が取れなくても、七十点は取れるかもしれません。

しかし、鬱病にかかると、物事を悲観的にしか
考えることができなくなってしまいます。
これも、物事を客観的に見ることができなくなっている一つの例です。


また、摂食障害の中で有名な拒食症というのがあります。

この病気にかかると、成人女性で
体重が40キロを切るぐらいやせてしまっていても、
「まだ太っているから、やせなければならない」と思ってしまいます。

この場合も、自分の体型を客観的に見ることができなくなっているのです。

このように、心の病にかかっている時には、
多くの場合、物事を客観的に見ることができなくなっているのです。
 

次に、合理的・合目的的に行動できない、
ということについて例を挙げてみます。

強迫性障害という病気があります。
有名なのは、洗浄脅迫という症状です。

この症状は、何か手が汚く思えて、石鹸(せっけん)をつけて
十分でも二十分でも手を洗い続けます。

本人もどこかで意味がないと思ってはいるのです。
でも、やめることができません。

 
また、先に挙げた摂食障害ですが、
例えばその一つである過食症になると、
食べてはいけないと思っていながらも、食べ続けてしまいます。

そして食べたのちに自己嫌悪に陥り、吐いてしまいます。
このときも、吐いてはいけないと思いながら、吐いてしまうのです。

この場合も、頭ではわかっていても、合理的に行動できないのです。

 
あるいは、鬱病の場合には、
やらなければならないと思っていても行動できなくなります。

例えば、会社に行かなければならないと思っていても
行けないといった状態です。

以上に例示したように、心の病にかかっている状態というのは、
先に挙げた、「物事が客観的に見ることができなくなる」、
「合理的・合目的的に行動できなくなる」という状態であり、
それが様々な症状として現れている、と考えることができるのです。

 
逆に言えば、心が健康な状態とは、
客観的に物事を見ることができ、
合理的・合目的的に行動することができる状態です。

自分自身にとって都合が悪い現実、見たくない事実に
きちんと向かい合って客観的に見ることができること。

そして、自分がやりたくない、嫌なことでも、
やらなければならないことは、きちんとやる。
また、やってはいけないことは、
どんな誘惑があってもやらずにいることができる。

こうした状態が、心が健康な状態です。

 
しかし、私たちにはみな、堕落性があるので、
どうしても自分の都合がいいように解釈しますし、
やらなくてはならないことでも後回しにしてしまいます。
また、やってはいけないことも、ついやってしまいます。

それが大きくなって、社会生活や日常生活に
支障をきたすようになると、
心の問題とか心の病気と呼ばれるようになるのです。


大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り

※一部省略しています
文責:ten1ko2


タイトルは「心がうまく動かない!」としましたが、
実際は、心では思っていたとしても
体が動かない、心と体が一つにならないというのが
より正確でしょうか。

み言の通りに歩めない、
愛さなければならない、越えなければならないのに
それがなかなか難しい。。。

堕落性を脱ぐためには、神の立場で愛すること、
つまり「ために生きる」実践だといえるでしょう。
まず動くこと、これが一番いいようです。

人間は、誰にも堕落性があるわけで、
それが心の病の誘因となるというなら、
誰しも、心の問題の種を抱えているのかもしれません。
それが、表に現れる時に、
『精神病』として、診断されるのでしょうか。

心の病の例が挙げられていますが、
こういう病気になる人が、
今までよりも増えているのではないかと感じます。

精神的に負担が大きい社会になり、
同時に、霊的な攻撃もありますので、
どちらにおいても、精神的病にならざるを得ないのかな、
そのようにも思います。

普通に生きることは、当たり前のようで、
その当たり前の生き方が難しい時代。
大知先生も、み言に基いてカウンセリングをされているとのこと。
そのアドバイスをもとに
よい歩みをしていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 07:32 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする