2019年05月28日

不安は環境のせいではない?! まず自分を肯定し、尊重する 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」より
『自己評価と自尊感情』です。


不安や怒りは、否定的な環境やメッセージによって
大きくなることを理解していただけたかと思います。

しかし、ここで考えなければならない問題があります。
確かに多くの人は、否定的な環境やメッセージと出合うと、
自己評価が下がり不安や怒りが増大し、
肯定的な環境やメッセージと出合うと自己評価が上がり
不安や怒りは減少します。

ところが、一部の人たちは、
否定的な環境やメッセージと出合っても、
自己評価が下がりません。

それどころか、否定的な環境の中でも、
「よし、ここが力の見せどころ」とばかりに、
困難な環境も乗り越えて、
見事に問題を解決していく人がいます。

また、否定的なメッセージ、
怒られたり、罵倒されたりしても、
「自分のためを思って言ってくれているのだ」と考えて、
逆に自分の成長の糧にしていきます。
俗におめでたい人と言われたりしますが……。


その一方で、肯定的な環境やメッセージと出合っても、
自己評価の上がらない人がいます。

人から褒められても、
「いえ、私はそんなに立派じゃないんです」と卑下してみたり、
うまく物事が進んでも、「私がうまくやったのではなく、
たまたま運が良かっただけだ」と考えてしまいます。

謙虚であることは重要ですが、卑下することは良くありません。
こうした人たちは、物事の悪い面ばかりを見てしまいがちで、
いつも不安を感じています。

心の問題や病を抱えてしまいがちな人たちは、
このような肯定的な環境やメッセージによっても
自己評価が上がらずに、いつも不安を感じている人たちなのです。


否定的な環境やメッセージによっても自己評価を下げない人がいる一方で、
肯定的な環境やメッセージと出合っても
自己評価が上がらない人がいる、
こうした違いはどこから来るのでしょうか。

それは、自己評価の背後にある「自尊感情」に違いがあるためです。
自尊感情とは、文字どおり、自分自身を尊重する感情です。

能力や何か魅力があるから自分に価値があるというわけではなく、
何もできなくても、何をしたとしても、
私はそこに存在していていいという確信をもてる感情のことです。
つまり、あるがままの自分を受け入れる感覚なのです。


自己評価は、周囲の状況により変化します。
例えば、勉強はできるが運動は苦手だと自覚している人の場合、
学校で国語や数学の時間は自己評価は上がりますが、
体育の時間は自己評価が下がるでしょう。

しかし、自尊感情は周囲の状況をあまり受けません。

自尊感情の低い人は、得意な国語や英語の時間でも、
もしわからないことがあると簡単に自己評価を下げてしまいますし、
居心地の悪さを感じてしまいます。
まして、体育の時間は、そこにいるだけでも
苦痛になってしまうかもしれません。

一方で自尊感情の高い人は、周囲の評価に関係なく、
国語の時間や数学の時間を楽しみ、
体育の時間も下手なりにみんなと楽しく過ごすでしょう。

つまり、自尊感情は、その場の状況や評価といった
外部からの要因によって決まるのではなく、
自己の存在の確信として、自分自身を内側から支えているものなのです。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
自己評価と自尊感情


世界一の自尊感情の持ち主は誰か。。。
皆様もご存知のことと思いますが、
言わずと知れた、真の父母様だと思います。

神様を誰よりも愛される真の父母様は、
ご自身も神様から愛されている、
そのことを痛切に感じておられるお方です。

ですから、否定的な環境でも
絶対にマイナス的に受け止めないし、
肯定的な環境では、
神様に感謝し、自己評価を上げていかれます。

私たちも真の父母様の子女であるとするなら、
真の父母様と同じように、
自尊感情を高めていかなければ。。。
そのように思わされました。





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posted by ten1ko2 at 09:07 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月27日

「新生と再生と重生は違う」?! 祝福=血統転換の意味 《小山田先生》



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小山田秀生先生のみ言、
「777双、1800双の祝福と『血統転換』」
から、抜粋して、紹介します。


「血統転換」に関するポイントについて触れてみたいと思います。

神様の天地創造の始まりについて科学的に見ると、
宇宙誕生の始まりは137億年前に遡ります。

天地創造の最後に神様は、息子、娘として、
アダムとエバを創造なさいました。
聖書の歴史観では6000年前となります。

しかし、「統一原理」にあるように、
天使長ルーシェルの誘惑を受けてエバが堕落しました。

アダムとエバの堕落の動機について、お父様は
「自己中心的な欲心による」とおっしゃっています。

堕落することでアダムとエバは、天運に背くことになり、
そこから悪の血統が始まったのです。

 
「神様は人間始祖の堕落に責任をもつ。
 親としての責任をもつ。
 父母として責任をもつ。
 子女として責任をもつ」


というみ言があります。


1993年9月から16万人女性修練会が始まるのですが、
その際、お父様は女性リーダーたちに対して
「重生」に関する内容を語られました。

周藤健先生と共に、その女性修練会にずっと参加していた私は、
それに関するみ言を90回以上聞きました。

お父様が語られる時、お父様の右側に周藤先生が座り、
私は左側に座って聞いたのです。

お父様は私に対して、「おまえ、(み言を)まとめなさい」
と指示なさいました。

その後、私が南米に行ったとき、宣教師たちに語ってきた内容がそれです。

 
お父様は、「重生」という言葉を使われます。
その言葉は日本語にはありません。
そして、「新生と再生と重生は意味が違う」とおっしゃいます。

「新生」は「新しく生まれる」、
「再生」は「生まれ変わる」という意味です。
「重生」は、最初の誕生が過ったので、
「真の父母によって新しく生まれ変わる」という意味があります。

したがって「重生」には、
絶対に真の父母様が必要であることになります。


神様は、アダムとエバという
1つのカップルしかおつくりになっていません。
本来、そのアダムとエバが真の父母となるべきでした。
ですから、真の父母は1カップルしかないのです。

それは未来永劫、変わることがありません。
そのような意味において、アダムとエバから始まった、
「個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様」
までの8段階があります。

その失った8段階を取り戻すために、
聖書的歴史観で6000年の時が流れてきたのです。


アダムとエバの堕落によって、偽りの父母を中心に
サタンの血統が個人から天宙まで広がってしまいました。

その全てを蕩減復帰するために、
偽りの父母とは全く正反対の地点から現れたのが、
真の父母様なのです。

真の父母様は生涯をかけて、その内容を整理なさらなければなりません。
過った6000年の歴史を40年かけて蕩減復帰されてきたのが、
真の父母様の道でした。

サタンに支配されてきた方向性を転換し、
「個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様」
までの8段階をつくり直したという意味です。

天宙的に勝利された真の父母様に接ぎ木≠ウれる、
すなわち重生されない限り、
地上天国、神の国は出発できないのです。
これが血統転換の基本的な意味です。

『祝福家庭』92号(2019年春季号)読みどころ紹介C
小山田秀生先生の自叙伝7
「777双、1800双の祝福と『血統転換』」


日本には、「重生」という言葉がなく、
原理講論にも、「新生」「新生論」とありました。
しかし、小山田先生のみ言を見ると、
「真の父母によって新しく生まれ変わる」
そのような意味がある、というのですね。

講義をしている立場なのに、
恥ずかしながら、そういう意味だと初めて知りました。
ただ単に韓国語原文に忠実に、
そういう問題ではない、のですね。

真の父母様に接ぎ木される道、
それが祝福結婚です。
そのような立場にあずかっていることに感謝しつつ、
もっと多くの人たちに、
祝福の素晴らしさを述べ伝えていきたいと思うのです。







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posted by ten1ko2 at 09:08 | Comment(1) | 祝福の価値 祝福の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月26日

日韓の架け橋になった人たち 寄り添って共に生きる 《田中地区長6》



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日韓問題を解き、歴史を越えていくためには
どうしたらいいでしょうか。

田中地区長の『摂理的視点』、
日韓問題の結論です。


浅川巧(あさかわたくみ)という人をご存知ですか。

「道〜白磁の人〜」(1912年)という映画があります。

山口出身、1914年に韓国に渡り、山に松を植樹、
現在ある韓国の松の34%は、彼が作り出したものだといいます。
また、白磁を世界に発信した人。

40歳で亡くなったが、韓国式の葬儀をしてほしい
韓国の土に葬ってほしいという
遺言どおり、韓国の人たちに今も守られながら
韓国の共同墓地に葬られています。

墓碑には
「韓国の大和文芸を愛し、
韓国人の心に生きて逝った日本人、
韓国の大地の土となる」とあります。

独立運動を目の前で見て、日本の悲惨な統治を見て、
その後日本人でありながら、韓服を着て過ごし、
逆に日本人から批判を受けながらも、
日本人として、韓国人と共に生きました。


さて、今回、お母様が、
韓国の女性連合の代表を、日本人にしてしまいました。
大反対。側近がみな反対しました。

お母様は、「何が問題なのか。
(日本人女性たちは)
7000名のうち4000名は前線をバリバリ頑張っている。
500人も孝子賞を受けている。
難しい問題があるのに韓国にお嫁に来て、尽くして尽くしているじゃないか」

このように説得すると、「イエー」とは言われるのですが
やはり、なかなか収まりません。
そこで、彼女に韓国名を与え、帰化するようにと言われました。


お母様は、彼女(日本人のお嫁さん)たちに
全国200か所で柳寛順大会をさせながら、
そこでスピーチしている内容が何かというと、
柳寛順らを日帝の犠牲者ではなく、
摂理の殉教者としているのです。

さらに、真の父母が来ているのに、
灯台下暗しになるな、という視点。

南北が反日で一つになることは、絶対に避けなければなりません。
反日を接着剤とすれば、
真の父母が入る余地がないというのです。

1千万の離散家族がいるので、
南北統一を反対する人はいないが、
どのように統一するかが問題です。

神統一韓国時代、真の父母と、天の父母様を中心とした統一。
その準備が、この独立運動でした。

柳寛順は、「私の国のために捧げる生命が
一つしかないのが悔しい」
と言った人です。

文化と歴史を理解しなければ、
共に生きたいという思いにならないのです。
これを見せてくれているのが、日本の女性たちです。


韓国でテレビ報道がありましたが、見られましたか。

柳寛順記念館を掃除し続けている3人の日本人たちに
インタビューしていました。
その近辺に住む、お嫁に来たうちの教会の食口たちです。

毎週2年間通い続け、
掃除をさせてくださいとお願いした。
もちろん、うんとは言われない。

その後、毎週水曜日掃除を許され、
朝から夕方まで、心をこめて奉仕し、10年間経った。
その精誠にスタッフが感銘を受けた。

彼女たちは、つたなさが残る韓国語ながら
柳寛順に対する思いを、自分の言葉で話していました。


日韓が一つになる道は、共に生きることです。
その心情はどこからくるかというと、
父母の心情に入らなければならないのです。

父母というのは、誕生日にプレゼントをくれるより、
子供たちが、兄弟喧嘩しないで仲良くしてくれる方がいい。

父母の心情に入らないと、日韓の問題は
越えられないのです。
真の父母によらずしては、越えることができません。

私たちとしては、寄り添う姿勢が必要なんだと思います。


アカデミーでのお父様のスピーチ「北と南が共に生きる道」(1975か82)
でこのように語られています。

「北の住民と一緒に生きることを決意していないのに、
南北統一を叫ぶのなら、偽善者だ」


当時20倍の経済格差。
東西ドイツは8倍だったが大変だった。
本当に受け入れる勇気があるか。
共に生きるということは、そういうことなんだ。。。

言葉を使う時、よく理想的な言葉を使うが
本当に共に生きるというのは、簡単なことではありません。

今、お母様を通してしか直接学べません。
どういう視点で、「日韓統一」「歴史を越える」
「まだ罪があるんだよ」
という言葉を、お母様が使っておられるのか、
よく受け止めていかなければなりません。

田中富広 副会長(地区長)
2019.4.28 松戸家庭教会「摂理的視点」
(文責:ten1ko2)


韓国にお嫁に行った日本人女性たち、
お母様は彼女たちを日本人宣教師と呼び、
ご自分の分身のように見ておられます。

その女性たちが、韓国で精誠を尽くしています。
実践活動も熱心にするし、
実際に地域の人たちからも歓迎され、
『孝子賞』をたくさん受けている、というのです。

彼女たちの存在、というのは、
日本と韓国をつなぐ重要なパイプ役の立場なのだと思います。
精誠を尽くしているその歩みが、
日韓問題に大きな功績となるに違いないです。

そして、その背後には、天の父母様、
そして真の父母様の親なる父母の心情があるから、
恨が解かれていくのだと思うのです。

日韓の問題は、父母の心情に通じなければ、
決して解決することができない、
というのは、本当にその通りだと思います。

今回、地区長のみ言を書き起こしたのは、
実は、私ではなく、妻でした。
この1週間、あまりにも忙しかったのですが、
皆様に早くお伝えしたいのと、
また、先日行われた『希望前進大会』に
直結される内容もあり、作ってくれました。

韓国にいる日本のお姉さんたちとともに、
妻にも感謝です。

(地区長の説教は、最後の〆が残っているのですが、
またいつか機会があればお伝えします。)




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