2019年05月19日

(証し)私たちが出発の動機に! 動きさえすれば、勝利できる 《奉献式のみ言》



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先日行われた、大役事(つつじ祭)の2日目、
「天運相続孝情奉献式」において
修錬苑広場で、1万名を前に語られた
真のお母様のみ言(抜粋)です。



愛する全世界から集まった
祝福家庭、各界指導者、平和大使の皆様。
きょう私たちは、この美しい万物が躍動する、
季節の女王である5月、
特に今月は子供の日と父母の日があるこの月に、
私たちはどのような心と精誠で
この場に臨むべきかを考える時間となればと思います。

世の中で父母の日という、
子女の愛と尊敬を受ける父母の立場から、
宇宙の主人であられ、私たち人類の
真の主人であられる天の父母様のために、
皆さんはどれほど感謝と頌栄をささげましたか。

人間を中心とした歴史であったので、
興亡盛衰、曲がりくねりは、
平坦であるはずがありませんでした。

しかし今日皆さんは真の父母に出会い
重生復活し生まれ変わった祝福家庭として、
皆さんは氏族を生かすメシヤの立場にいます。
そうですか。

皆さんの責任如何にかかっているのです。
真の父母と一つなって進んでいく道だけが、
この民族が願う真正なる
平和統一韓国になるということを悟らせなければなりません。

世界の報告を毎日聞いています。
台湾で新しい復興が起こっています。
9歳の少女が50歳になるレストランの社長を伝道しました。

父母様が環境圏を全てつくってあげたので、
皆さんが動きさえすれば良いという話です。

皆さんの精誠によって先祖解怨された善霊たちが、
皆さんを積極的に協助するでしょう。

地上で生きている人類、
霊界に行ったすべての人類が望む願いなのです。
その一つの目的に向かって進む皆さんを、
(先祖たちが)どれほど力強く応援しているでしょうか。

皆さんが動機とならなければなりません。
分かりましたか。

来年再びこの場に集まるときには、皆さんが天の父母様に、
大きくて誇れる結果をもってくることを祝願します。



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「2019天運相続春季孝情天寶特別大役事」2日目
2019天運相続孝情奉献式
天一国7年 天暦4月7日(陽5.11)HJ天宙天寶修錬苑広場
(HJグローバルニュースより)


今回、奉献式が行われた広場は、
かつてのお風呂(清水湯)が取り壊され、
天寶苑の地下に移ったこともあり、
とても広くなりました。
1万人が収容されるそうです。

3日間で延べ、4万3千名が参加したということですので、
それでも、広場で見れなくて、施設内で参加した人たちも
多かったかもしれません。

今は、HJ天宙天寶修練苑と呼ばれる清平ですが、
行くたびごとに施設が発展していて、
地上天国の縮図が拡大されていくようで、
とても希望を感じます。

HJカフェの建物も、さらに立派になったとか。。。
お母様も「良くやった。
これから、ここが名所になるでしょう」
そのように語られています。
早く行きたいですね!

み言を訓読させていただきながら、
お母様と一つになれば、天運が働き、
全てが導かれることを感じます。

与えられたみ旨に対して、
お母様と一つになって、
投入していきたいと思います!





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posted by ten1ko2 at 08:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月17日

ノエルジョーンズから学ぶこと 真の母から直接感じてほしい?! 《田中地区長2》



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田中地区長の「摂理的視点」
ノエル・ジョーンズ司教の証し、続編です。


ノエルジョーンズ(司教)が
「ママムーン(彼は、お母様をこう呼びます。)を迎えて、
祝福式をしたい」
そのように、言ってこられました。

どうしてしたいと思ったのでしょうか。

彼の教会の信徒は、礼拝参加者1万人、ネット参加者1万超と言われています。
彼が自分の信徒たちに祝福式をしたいと言ったとき、
長老幹部たちはじめ全てが大反対でした。
それを、彼が説得していきました。
その反対する様子を見て、うちの教会員たちが不安になりました。

彼は「心配するな。
新しいことをしようとする時には、必ず波紋がおきるものだ。
そして、お金のことも心配するな。
私には金がある。
私の不安は一つしかない、
それはママムーンが本当に来るか、それだけだ。
必ずママムーンを連れて来てくれ」
と言うくらい、強い信念をもってこの計画を打ち出しました。


それでも不安の波を消せない、そんな中で、
お母様を迎える3週間前、礼拝をしました。

その時の彼の説教は
「今度、韓鶴子総裁を私たちの教会に迎える。
それは、神学論争をするためではない。
神様論争をするためでもない。
あらゆる宗教は、平和を求め、愛による一体化を求めている。
そこに必ず共通点があると私は確信している。

そして時に神は大切な使者を遣わす。
それは教会レベルで遣わされることがあるし、国家レベルもある。
一番大切なのは、世界レベルで遣わされる使者、
この人物と出会うかどうかが大切なんだ。

私は韓鶴子総裁こそが、
世界レベルで神がここに送られた平和の使者であると確信している。
だから、ここに呼ぶのだ」

これが3週間前の礼拝です。


そして、2週間前の礼拝では

「私たちは往々にして自分の教会の神様を絶対だと思っている。
そして、ほかの宗教の神様が間違っていると捉えやすい。
でも、もしかしたら、お互いが神様の違った側面を見ているだけかもしれない。
そのことを私たちは意識しておかなければならない」

これは、盲人のゾウの話ですね。
ある者は長い鼻を、ある者は、壁のように広いお腹を
そこだけを見てゾウはこういうものだと語る。

また、例えていえば、長女に「お母さんってどういう人」と聞いたら「きびしい」
末っ子に聞いたら「やさしい」って言うかもしれない。
同じお母さんに対して見つめ方が違う、感じ方が違うと同じように、
もしかしたら同じ神様を違う側面だけ見て、
私たちはそれを絶対視しているのが、宗教のありがちな話である。


極めつけはなんと言ったかというと
みなさん、サーカスの空中ブランコが、真ん中まできたら、
その後は、向こうから来るブランコに飛び移るでしょう。
この話をしたんです。

「もし、ママムーンを迎えたら、もしかしたら、空中ブランコ時のように、
しっかり握っている手を放さないと、
向こう岸に行けないということに、直面するかもしれない。

自分が信じている、自分はこう思っている、自分の経験上こうだ…、
自分がしがみついているものを手放さないと、
私たちの行くべき所に行けないかもしれない」

こういう話をしたんですよ。


彼は、お母様を迎えたらどういう現象が起こるか、
どこに行ってもお母様が語られるみ言は同じなので、
何を語られるかわかってる、
そのメッセージを自分の教会で語られるという前提で心の整理をしながら、
お母様を迎えていった、これが今回の彼の取り組みです。

この礼拝を聞いていても、彼はお母様に触れて、
自分の神観が根幹から変わったということがよくわかります。
ですから、お母様に触れた以降、彼は何を説教しているかというと、

「もしかしたらイエス様は十字架にかかるべきではなかったかもしれない。
もしかしたら、洗礼ヨハネは失敗したのかもしれない」


この真のお母様に触れて、そこで出会った神様を、
自分の教会員たちにもママムーンから直接触れて感じてほしい。
自分が語ることは、もちろんできるが、そちらを優先して、
そして、今回の祝福式に臨んだのです。

だからおそらく私の直感ですが、
祝福の意義と価値はほとんど理解していないと思います。
祝福とは、天からの祝福、「アーメン、ハレルヤ」
という感覚でしか受けていないと思います。

祝福よりは、彼が出会った神様が衝撃だった、その神様をみんなと共有したい。
そして今回、このキリスト教会に真の父母を迎え入れて
祝福式を展開していきました。
それは、新しいうねりとなっています。

今年米国では、キリスト教の各教会において祝福式を展開する
というところに、大きな力点をおいて動き始めております。


私が言いたいのは、ノエルジョーンズがどうこうではなく、
彼の語った空中ブランコのように、
手放さなければならないかもしれないということです。

私なんかも教会に来て46年になります。
これだけ長く教会にいると、もう染まっていますよ。

そして、自分なりの体験があるでしょ。
こう決意したら、霊界はこう動くとか。
こう祈ったら神はこう働くとか、自分なりの経験したものをもっていますね。

そういう経験値、成功パターンが、意外と
我々の時代の流れ(に対する目を)を曇らせてしまうのかもしれません。

お母様は、「ここに来るまで6年かかってしまった」
昨年、そのように語られました。
簡単にいえば、お父様が聖和されてから今まで、
何もできなかったんだ、ということです。

6年たって、ようやくここまで来た、というのです。
では、何が来たのでしょうか。

ですから、私たちは、お母様がそのように語られる
その意味というものを見つめていかないと
今の摂理からずれてしまう、
そういった意味で、「摂理的視点」
お母様がどのように見つめておられるのか、
そのことを考えないといけないと思います。

(文責:ten1ko2)



ノエル・ジョーンズ司教は、
何より、真のお母様を信徒たちに会わせたかったのだ、
素晴らしいことだと思います。

空中ブランコの話は、
以前も何回か取り上げましたが、
私たちもハッとする内容です。

結論から言えば、時代が変わった、ということ。
すなわち、先天時代から後天時代に変わり、
成約時代から、天一国時代に変わりました。

目に見える形では、ハッキリと変わっていないかも知れないけれど、
神様の摂理が変わったのです。

そのことを認識していかなければ、
かつてクリスチャンたちが、ユダヤ人を批判したように、
また、私たちがクリスチャンたちに対して、
「真の父母様がわかっていない」と非難するように、
今、お母様が願われていることに対して、
受け止めることが出来なくなるのではないか、
そのように思うのです。





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2019年05月16日

たとえ殺されても、怒ってはいけない?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生 「氏族伝道の心理学」より
『不安と怒りの構造』後半です。


では、相手が悪い時は、どうしたらいいのでしょうか。

客観的に見て、合理的に行動していけばいいのです。
なぜ、こんなことになっているのか、ということを。

子供が勉強をしないとき、怒る前に冷静に考えてみてください。
勉強しない理由は、勉強が難しくて、
ついていけなくなっているからかもしれません。
あるいは学校の先生とうまくいかなくて、
勉強をする意欲をなくしているのかもしれません。

もしそうだとしたら、勉強を丁寧に教えてあげるとか、
子供と学校の先生の間に入って調整するということが必要になります。
怒る必要はありません。


ある講演でこうした怒りの話をしたときに、
「殺されても怒ってはいけないのですか?」
という質問を受けたことがあります。

答えは、「殺されても怒ってはいけません」ということです。

そのように、殺されても怒らなかった方が、イエス様です。


私は、以前、「パッション」(2004年、メル・ギブソン監督)という映画を見ました。
世界中で話題になった映画です。

ゲツセマネの祈りから、十字架にかかって復活するまでの
『聖書』の記録を再現したものです。

イエス様は、弟子に裏切られ、中傷罵倒され、不当な裁判にかけられ、
むち打たれ、嘲笑され、最後は十字架で亡くなられますが、
その間、イエス様は一度も怒りませんでした。

殺されても、怒りませんでした。
ただ、赦(ゆる)されました。

だから、霊的な救いの道が開かれたのです。
あの時、イエス様が、弟子たちに向かって、
群集に向かって、偽証する者に向かって、
もし怒りを発したならば、
イエス様は霊的な救いの道を開けなかったかもしれません……。

 
ですから相手が悪いときでも、怒ることなく、
客観的に物事を見つめ、
合理的に対応していくことが大切です。
それが問題解決の最善の方法です。

話が大きく広がってしまいましたが、
不安と怒りの構造について、理解していただけたのではないかと思います。

心の問題や心の病は、この怒りと不安が引き起こしていること。
そして、この怒りと不安は自分自身の中にある
ということを理解していただければと思います。


ちなみに付け加えると、不安が大きくなると、「恐怖」になります。

恐怖は、怒りには変わりません。
恐怖は、「パニック」を引き起こします。

恐怖がさらに大きくなると、「絶望」に変わります。
キルケゴールは絶望を、「死に至る病」と言いました。
ただ、無気力になって悪い状況を受け入れていくのみとなります。

では、私たちは、不安と怒りを
どのように克服していけばよいのでしょうか。

不安と怒りを克服していくためには、
なぜ私たちは、不安や怒りといった心の状況に
陥ってしまうのかを知る必要があります。



イエス様の偉大さを感じるみ言でした。
もちろん、それが真の父母様にも通じるのだと思います。

不安と怒りの正反対にある「赦し」。
ちょっとしたことで、すぐに感情を表してしまう、
そのような、自分の足らなさを反省していきたいです。

また、対象圏が問題なのではなく、
主体である、私自身の心の問題なのだと受け止める人生観、
これをすべての人たちが行えば、
どれだけ素晴らしい世界になるでしょうか。。。

まずは、「私」からですね。





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posted by ten1ko2 at 07:42 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする