2019年05月07日

「怒り」は、堕落したから生まれたのか?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」、
「不安」と「怒り」の続きです。


「怒りは『破壊衝動』です」と説明します、と述べました。
では怒りは、神様と無関係で、
堕落によって生まれたものなのでしょうか。

「神の喜怒哀楽」という言葉は、
「統一原理」にも「統一思想」にも出てきます。

この言葉から考えれば、人間は怒りも
創造本性として持っていたのではないか、とも考えられます。

しかし、かつて大母様は、
「天国に行くための条件生活」を十一項目発表しましたが、
いろいろある項目の中の一番目に
「絶対に怒ってはいけない」を挙げています。

果たしてどう考えたらいいのでしょうか。


怒りは、もともとは
本然の自己防御反応であると考えられます。

「『怒り』は本来、自分よりも強い、もしくは同等の敵と戦って、
怪我をしても生き延びるようになるよう、
脳から全身に下された命令として生まれたものです。
全身の血管が収縮し、血が脳に集められ、
胃腸などの代謝機能は停止され、痛覚が麻痺し、
臨戦体勢になるわけです」。
『病んだ心から健康な心への道─怒りのない人生へ』
(島野隆著、文芸社)



この説明からもわかるように、
怒りは創造本然の世界においてもあり、
冒険などで大きな自然に立ち向かうときなどに、
自分自身を守るために、もともと神様から与えられていた
生理的・心理的反応なのだろうと思います。

火事場の馬鹿力のような
瞬発力を発揮するための心身の状態と言えるでしょう。

 
しかし、堕落により、人間は神様から離れてしまったため、
いつも情的に満たされないものを抱えるようになりました。

また霊肉共に無知に陥り、本来の知恵を使って状況を把握し、
問題を乗り越えていくことができなくなりました。

さらに、情と知が未熟なため、
状況に積極的に向かっていく意欲を失ってしまいました。

また環境が悪なるものとなったことにより、
様々な不安に脅かされるようになりました。

これらの要因が重なって、創造本性としてもっていた
心身の機能が、本然の安定したバランスの取れた状態から
大きく離れ、コントロールを失った
「情の暴走」による破壊衝動になってしまったのだと考えられます。

 
創造本然の世界でも、知情意が未熟な子供たちは、
怒りをもつことがあったかもしれません。

友達同士でけんかしたり、相手を傷つけることもするのかもしれません。
しかし、心身の成長の中で、知情意が成熟してくれば、
友人とのトラブルも、怒りではなく、
相手を思いやったり、合理的な解決方法を見つけたりして
対応していけるようになり、怒りをもつ必要がなくなるのでしょう。

つまり、今もっている私たちの怒りのほとんどは、
私たちの知情意の未成熟さと、
堕落世界の悪なる環境の中で起こってきているものだと考えられるのです。

そして、私たちは、自分自身の知情意を成熟させていくために、
悪なる環境の中にいるとしても、
怒りをもって対するのではなく、
愛することによって越えていく努力が必要だということです。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り

(編集、文責:ten1ko2)


「喜怒哀楽」は神様の持っている情の世界である、ということは、
怒りの思いも、創造本然の情だったのですね。

喜怒哀楽、どの思いも、人間が堕落したので、
本然の情になっているとは言えませんが、
特に、怒りの思いに関しては、
よりコントロールできなくなってしまったのではないか、
そのようにも思わされます。

私たちがもつべき怒りは、
「自分の邪心に対する敵愾心(てきがいしん)
そのように表現してもいいかも知れません。

また、お父様はかつて
「堕落観念に徹せよ」
そのようなみ言を語られましたが、
そういうことに通じるのかもしれません。

いずれにしても、
情の未熟さと悪なる環境によって、
怒りも破壊衝動になってしまうことを思うと、
情の成長と善なる環境づくりに、
より働きかけていかなければ、と感じます。





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posted by ten1ko2 at 06:53 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月06日

「恨み」+「怒り」=?! 「恨み」と「怨み」って 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」、
「不安」と「怒り」の3回目です。


(さて、)「怨み」とは何でしょうか。
また、「恨み」と「怨み」の違いはどこにあるのでしょうか。

日本では一般的に、この二つの「うらみ」を区別なく使っています。
しかし、教会員は、この二つの言葉を区別して使います。

「恨み」は、「恨(ハン)の心情」と言ったりしますが、
「理想や希望が達成されないときの悲しみ、つらさ」を意味します。

そして、「恨みを晴らす」ためには、
達成されていない理想や希望をその本人自身が達成するか、
あるいは本人に代わって、誰かがその理想や希望を達成する必要があります。

神様の心情や真(まこと)の父母様の心情、
韓民族の歴史的な心情は「恨の心情」であると言われます。

真の父母様は、神様の創造理想を完成することによって、
神様の恨を解かれたのです。


それに対して、怨みは、「恨み+怒り」です。

「恨み」は悲しみであるために、
誰かを責めるということはありませんが、
怨みは怒りがあるため、誰かを責めます。

「このうらみ、晴らさでおくべきか〜」というときには、
誰かを不幸にする、呪い殺すということを意味します。

これは、「怨み」の中に破壊衝動である怒りがあるためです。

不安や怒りが、いかに
大きな問題であるかが理解していただけたかと思います。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り


恨みと怨みというのは、
明確な違いがあることを
私たちはみ言を通して学び、
そして実践しようとしています。

神様が『恨(ハン)の神様』であり、
真の父母様も、神様を解放するために、
恨の心情を持って歩んでこられました。

ということは、何というのか、
喜怒哀楽を持たれる神様には、
「恨み」というのは、本然の思いなのだろうな、
そのように思います。

昔、お世話になったある教会長が、
恨とは、「聖なる憤り」だ、
そんな風に表現していたことを思い出します。

マイナス的なことも
プラスに転換させられるように、
そういう時ほど、神様、真の父母様に、
心を合わせられるようにしたいと思うのです。





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2019年05月05日

神様ってどんな方? お孫様の質問への答えは・・・ 《真のお母様のみ言5.1》



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先日、5月1日に「HJ天苑公職者特別集会」で語られた
真のお母様のみ言(抜粋)を紹介します。


何日か前に、孫たちと時間を過ごしたのですが、
孫娘が質問があると言いました。
それで質問してみなさいと言いました。

すると、「天の父母様はどのような方か」
ということを知りたいというのです。

ですが、私が最初の一言を、
「愛の神様、天の父母様だ」
と言うことができませんでした。

天の父母様の夢は、人類の真の父母となることでした。
真の父母です。

皆さんも祝福家庭として、子女がいることでしょう。
子女に対する愛は、限定的な愛ですか。
無条件的ですね。

父母が子女を愛し、子女のために心配し、
子女が未来において、幸せに生きることを願う、
そのような心が天の父母様の心ではないでしょうか。

そのような天の父母様に対し、人間は6000年間、
つらく、寂しく、ご苦労だけさせました。

来年は、聖婚60周年となりますが、
いまだに76億人類を思えば、
・・・あまりにも申し訳ありません。

6000年を経て、ご自身が探し立てられた真の父母、
息子娘を抱き、愛し、幸せな歴史というよりは、
苦労され、備えておかれた環境圏が、
迎え、侍ることができなかったことによって、
再びどん底から、苦労、苦労の路程を
経てこられなければならなかった、その長い歳月・・・。

真の父母も天の父母様の前に孝道(ヒョド:孝行)
をして差し上げることができませんでした。

愛の天の父母様。「すべてなした」とおっしゃられる
天の父母様、その立場で…。
今までご苦労してこられた天の父母様が、
もうこれ以上、涙を流すことがないように、
笑顔にして差し上げる孝子、孝女、忠臣になりますか。

創造主、神様、天の父母様は、愛である。
そのように全世界の万民が、山川草木が皆、
体恤することができるよう、
そのような環境圏をつくりますね?

2020まで、あまり残っていません。
本当に今度こそは天の前に孝道(孝行)しましょう。



天地人真の父母様主管 HJ天苑公職者特別集会
天一国7年 天暦3月27日(陽5.1)
天正宮博物館
(HJグローバルニュース (2019年 5月 4日)より)
下にみ言の詳細を掲載しました


お母様はお孫様に対して、
神様がどんな方なのか、と質問された時、
神様の心情を強く感じたがゆえに
すぐに答えを伝えることができなかったのだと思います。

そして、神様に対する『孝情』の思いがあるので、
親孝行して差し上げたい・・・
その思いで一杯なのがお母様なのだと思いました。

今日はこどもの日ですね。
連休明けのことを思うと、
様々なスケジュールに思いが詰まりそうでしたが、
お母様のように、
天の父母様をいつも思えるような、
そんな子女の姿になることを意識して、
大変な時ほど、孝情の心情を持って歩んでいきたい、
そう思うことができたことが感謝です。。。




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何日か前に、孫たちと時間を過ごしたのですが、孫娘が質問があると言いました。それで質問してみなさいと言いました。すると、「天の父母様はどのような方か」ということを知りたいというのです。ですが、私が最初の一言を、「愛の神様、天の父母様だ」と言うことができませんでした。

人類始祖の堕落以降、蕩減復帰・救援摂理歴史を通して、聖書に現れた神様は、恐れの神様、審判の神様でした。ソドムとゴモラが滅びる時にも、そしてノアの洪水審判の時にもです。ご自身の創造は永遠性をもって創造されました。唯一、生命体が生きることのできる地球です。地球が生きるためには、火山の爆発もなければなりません。ところが堕落することによって、人間は無能になりました。無知になりました。万物は未来に近づく危機に対して、備えているのに、人間を分からずにいます。

しかし、人間が堕落しなかったならば、天の父母様の夢は、人類の真の父母となることでした。真の父母です。皆さんも祝福家庭として、子女がいることでしょう。子女に対する愛は、限定的な愛ですか。無条件的ですね。そのような天の父母様となりたかったのですが、それを台無しにした人間です。

父母が子女を愛し、子女のために心配し、子女が未来において、幸せに生きることを願う、そのような心が天の父母様の心ではないでしょうか。そのような天の父母様を、人間は、六千年の間、つらく、寂しく、ご苦労だけさせました。

勝利した人間始祖、地上の真の父母。真の父母を探し立てるまで、天の父母様は、到底、言い表すことのできない、一言で、幸せな天の父母様ではありませんでした。そのような中、六千年を経て、真の父母を探し立てられ、摂理を進めてこられる過程においても、前もって備えられたキリスト教圏が、民主世界が、真の父母の環境圏となって差し上げることができませんでした。

来年は、聖婚60周年となりますが、いまだに76億人類を思えば、・・・あまりにも申し訳ありません。六千年を経て、ご自身が探し立てられた真の父母、息子娘を抱き、愛し、幸せな歴史というよりは、苦労され、備えておかれた環境圏が、迎え、侍ることができなかったことによって、再びどん底から、苦労、苦労の路程を経てこられなければならなかった、その長い歳月・・・。真の父母も天の父母様の前に孝道(孝行)をして差し上げることができませんでした。

真の父母の登場は、国家的な基盤から始まらなければなりませんでした。二千年前、イスラエル民族を通して、独り子・イエス・キリストを送って下さった当時、イスラエル民族が受け入れていたならば、国家的な基盤の上で、イエス様は、真の父母の位置に進んで行くことができたはずでした。しかし、また、無念にも、恨の苦労の歴史を天の前に見せざるを得ませんでした。「また、来る」とおっしゃられ、そして、「小羊の婚宴」の行うとおっしゃられたのですが、その真意を知り得ませんでした。キリスト教の二千年の歴史は、イエス様の師弟たちが皆、新婦であるといいます。結論的に、神様が分からなかったのです。それゆえ、天の摂理も知らず、イエス様に対して、まともに知ることができませんでした。そのため、今日のキリスト教は、新しく出発することのできる突破口を探し出さなければなりません。過去に行っていた習慣のままでは、いけないということを、すでに知っていなければなりませんでした。
皆さんは、本当にラッキーです。幸せな人たちです。代価なしに受けたのです。皆さんは半信半疑でした。私は、四年前に「私が独り娘である」、「私と一つにならなければならない」と言ったとき、皆さんは自分勝手に考えましたね。聖書に出てくる比喩と象徴、皆、話しました。私がです。ですが、今はしっかりと心を正しましたか。愛の天の父母様。「すべてなした」とおっしゃられる天の父母様、その位置まで…。今までご苦労してこられた天の父母様が、もうこれ以上、涙を流すことがなく、笑顔にして差し上げる孝子、孝女、忠臣になりますか。創造主、神様、天の父母様は、愛である。そのよう全世界の万民が、山川草木が皆、体恤することができるよう、そのような環境圏をつくって差し上げますね。2020まで、あまり残っていません。本当に今度こそは天の前に孝道(孝行)しましょう。

そして世に見せてあげなければなりません。この国が責任を果たさなければなりません。この民族が真の父母様に侍らなければなりません。そうでなければ、困難になります。皆さんは、見ていますね。政治の力で南北統一が可能ですか。自分たちが恐るべき位置に立っているということを知るべきです。そのように知らしめて下さい。UPF、分かりましたか。神統一韓国、その日を引き寄せる、「HJ天苑団地の公職者」と言えば、中心人物たちですね。責任を果たしますか。ありがとうございました。


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posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする