2019年06月05日

神からの贈り物は、「苦痛」の風呂敷に包まれている?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生の説教、
「苦痛の価値性」の続編を紹介します。
  


苦痛は神の啓示であり祝福

苦痛は神の啓示であり、神の祝福です。

神の啓示というのは、
神のみ言がそこに内包されてくるということです。

また祝福が内包されてくるというのは、
神がサタン世界で嫌がる苦痛の包みの中に
神の宝物を詰めて投げてくれているということです。

そのときそれを抱き込んだ人が、
神の秘密である啓示を受けるということです。
サタンは偽りなので苦痛を嫌がり、死亡を恐れるのです。


さあ、もう一度よく聞いてください。
苦痛は神の啓示です。
苦痛は神の声です。
苦痛は神の贈り物です。

苦痛というふろしきに秘密を包んで
「受けなさい」と投げるので、
サタンに属するこの世の人は、「嫌です」と言っては
みんな倒れてしまいます。

しかし天の人は「はい、私が誤っているので
苦痛を受けなければ」というように肯定できます。

十字架上の右の強盗が、
「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、
こうなったのは当然だ。しかし、このかたは
何も悪いことをしたのではない」(ルカ二三・41)と言いましたが、
その心は主の十字架の中に
隠れたメシヤを探し出した心ではないですか。

それで「あなたは私と共に楽園にいるであろう」という
思いがけない祝福を受けたではありませんか。

 
この祝福の永遠なる秘密を、
苦痛というふろしきの中に入れて投げました。
そのふろしきをほどくのに、どのくらいかかりますか。

三数が必要です。
三か月かかるのか、三年かかるのか、
一生かかるのか分からない苦痛の包みです。

家庭的な祝福は、国家的な苦痛のふろしきに包んでくれます。
そのときその国がどれほどもつれており、
罪を犯した国なのかによって基準が変わります。
その包みが全部解かれる時まで、国家的な祝福を受けられないのです。


先生はどんな苦痛のふろしきを引き受けたかたなのかというと、
歴史と世界、そして天上に行った数多くの聖徒たちの
やるせない包みを、一人で引き受けて解かれるかたです。

今、一つそしてまた一つと解かれつつあります。
おびただしい苦労の包みを背負って、個人から宗教界まで
国家的、世界的にただ打たれておられます。

今は苦痛の包みを解いておられるのです。

それをすべて解いた日には、全世界が
「ああ、あのかたはあのような苦労をされたのだなあ」
と大声で慟哭する時が来るのです。

ですから先生の最後の日は、大声で働哭する日だと言われました。


神は、ご自分の貴いものを与えるために、
一生の間に解かなければならないものを、
苦労という包みの中に入れて下さいます。

一人で解くもの何年、二人で解くもの何年、家庭で解くもの何年、
そして氏族で解くもの何年、このようにくれます。

ですから、大部分の人たちは解いては疲れ、
その包みを投げ出して死んでいきます。

イエス様もその包みを解いている途中で亡くなったのです。
それゆえあなたがたが解かなければならない十字架は、
あなたがたが背負って従いなさいと言われました。


今からでも一人が全部解いておけば、早く解けるでしょう。
この地上に再臨主なるかたが来られてすべて解いておけば、
その後をついていく苦労の包みを任された人たちは、
早く解くことができるでしょう。

ところが、他の人が解かないでいるので、
おのおのが解いては途中でやめて、
「こんな苦労をするなら、かえって短いこの世の苦労のほうがましだ」
と言います。


一日苦労しても割りに合う苦労、すなわち現実の
目の前の苦労は、食べるという代償が返ってくるのです。

一か月働くと次の給料日までは暮らせるので、
そのような苦労だけしようとします。

ところが神の苦労の包みは解いても割りに合いません。
ひたすら犠牲と奉仕です。
損だけします。

しかしおかしなことは、損をしながら解いても、
さらに解きたく、さらに希望的になるのです。
この包みは何かしらそのような心を与えてくれます。

神の包みをつかんだあとは、心がおかしいのです。
人が見ると、あの人は失敗した、
無駄なことをしていると言いますが、
本人は意欲があり、価値のある何かが
ここにあるということを感じているのです。

正しく苦労した人は、その時その時に何かを味わっています。
しかし味わっているだけでは疲れるのです。

その中で、見えない力も一緒に得なければなりません。
それゆえ、神の贈り物は天から来る苦痛に包まれている
と言ったのです。

苦労しながら神と因縁を持った人たちを見てみなさい。
ヤコブは苦労の包みを二十一年間で解き、
ヨセフは三十年間で解いたといえます。
今やその理由を理解できるでしょ。

1977年7月24日(日)中央修練所
聖日の礼拝
「苦痛の価値性 」


苦痛は神の啓示です。
苦痛は神の声です。
苦痛は神の贈り物です。

ヨハネ先生からそのように言われると、
何だか励まされて、力が出ますよね。

苦痛を乗り越えた人は、
真の父母様を含めて、
聖人、義人、と言われています。

凡人である私たちは、
苦痛を神様からのプレゼント、
そのように思っていくことを通して、
真の父母様に近づくことができるんですよね。。。

私に課せられた苦痛を
天からのものであると、
常に受け止めていきたいです。

不定期に続きます。





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posted by ten1ko2 at 09:30 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする