2019年08月13日

南と北が一つになって、アダムとエバが和解できる?! 《日韓和合 子女集会》



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最新のU-ONE NEWSで
第一地区 韓日・日韓和合のための
「日韓和合子女特別集会」の様子が流れていました。

そこにおいて、田中副会長(兼第1地区長)が
お話しされているので、紹介します。


南北が一つになって、正しくアダム国家になってから
アダムとエバが結婚しなければならない。
これが摂理なんだ。

日本と韓国が一つになった基台を作らないと
南北統一に対しては、天の願い方向と逆行してしまう。

日韓の問題においては、例えば、兄弟関係において、
兄弟が喧嘩した時、どっちが正しいか、
そのように言い合っている限り、
最後は殺しあって終わりです。
これが歴史です。

でも、兄弟が喧嘩をする姿を見る、
父母の心の痛みを知った方が先に引くんです。
兄弟げんかが治まるのは、これしかない。
父母の心情に入らないと正しく越えられない。

我々には嬉しいことに父母がいるということです。
共通の父母を持っている。

この父母の心情から見つめる視点を持ちながら、
取り組みをしていく。
どちらかの視点の軸足だけでは越えていけないんです。

(文責:ten1ko2)


今、日韓の問題が収拾されずにいます。
お母様もこの問題に憂慮されて、
先日、在韓の日本婦人たちを集めて、
「日本宣教師会、特別集会」があったそうです。

前にもお伝えしたと思いますが、
韓国に住んでいる日本人の中で、
最も多いのが家庭連合の婦人たちです。

とても難しく、大きい使命があると思います。
彼女たちも韓国での生活で、
肩身の狭い立場であると聞きました。

実際には、韓国の人たちも日本文化を愛するし、
日本の人たちも、K‐POPが好きだったりします。
しかし、政治の分野、経済の分野では、収拾できず、
スポーツにまでも影響が及んでいます。

やはり、お母様が語られるごとく、
さらには、田中地区長が語っておられるように
この問題は、人間的な力では解決できません。

神様、真の父母様を通して、
さらには父母の心情に立ち返ることなくして、
解決できないことをハッキリと
知らなければならないし、
そのことを訴えていきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 11:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月12日

怨霊に対抗する3つの技、よい思い、よい言葉、そして・・・ 《浅川先生霊界シリーズ》



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浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、『怨みの霊による不幸をどう解決するか』です。


それでは、このような怨みの霊からもたらされる不幸に、
どのように対応し、それをどのように受け入れ、
解決していったらよいのでしょうか。

私たちの体の中に、先祖に対する非常に強い怨みをもった霊がいた場合、
ちょっとした言葉で傷ついたり、激しい怨みをもったり、
強い嫉妬(しっと)心がわいてきます。
とりわけ血気怒気という激しい情念がわいてきます。

これは自分の性格のようにも見えますが、
怨みの霊の働きである場合があるのです。
とんでもない不幸に追い込もうとする、
体内にいる強い霊の働きがあるのです。


それに対して、どのようにすれば打ち勝つことができるのでしょうか。

第一は強い精神力、意志をもつことです。

善と悪のはっきりとした分別力をもち、強い精神力と意志力をもって、
自分の中からわいてくる様々な不義なる情念に打ち勝たなくてはなりません。
意志薄弱な人は、体の中にいる怨みの霊の働きに勝つことができず、
結局は怨みの霊に翻弄されることが多いのです。

このために、真理を学び、善悪の判断を明確にして、
不義なる情念に負けない強い意志力をもって生きなければなりません。
体内の怨みの霊の挑発に乗らないという強い意志が必要なのです。

したがって、腹が立ったときは、「これは私の体の中にある怨みの霊の挑発だ。
その手には乗らない」と、自分で自分を律しなければなりません。


第二は、言葉遣いを管理するということです。

いったん吐いてしまった言葉を、回収することはできません。
良い言葉は薬になりますが、悪い言葉は人と私に対する毒薬になってしまいます。

いったん悪い言葉を発してしまえば、それは他人の心で膨れ上がり、
うわさとなり、最後は自分の首を絞めることになります。

実は、人にとっても自分にとっても
都合の悪い言葉を吐かせようというのが、怨みの霊の策謀です。
怨みの霊は言葉の力をよく知っています。
ですから、何とかして悪い言葉を口から出させようと働くのです。

つらい思い、嫉妬心、怨み、血気怒気を言葉にして出させてしまえば、
怨みの霊の勝ちなのです。
言葉を抑えてしまえば、私の勝利です。
言葉にして出すか出さないかが勝利の一線となってきます。

そのために、言葉をよく吟味して、
良い言葉だけを口から出すよう心掛けなければなりません。

 
第三は、体内にいる怨みの霊を分離することです。

このことが最も根本的な怨みの霊に対する対応です。
強い意志力をもち、言葉遣いを管理するということは、
怨みの霊の働きに打ち勝つという精神力を必要とし、
葛藤(かっとう)の伴う内容です。

禁酒禁煙を誓った人が、
「お酒が飲みたい、たばこが吸いたい」という思いを抑えているようなものです。

しかし、これは根本的な解決ではありません。
お酒を飲みたいという思いそのものがなくなってしまい、
たばこを吸いたいという思いそのものがなくなってしまえば、
完全に解放されるわけです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第六章 怨みの霊と人間の幸・不幸
怨みの霊による不幸をどう解決するか


1、強い精神力、意志を持つこと。
2、言葉遣いを管理すること。
3、体内にいる怨みの霊を分離すること。

1と2に関しては、自分の努力で成せるものだと思います。
私自身もこの道に来なければ、
自分の行く道はどうなっていただろう。。。
そう思うと空恐ろしくなります。

まだまだ足りないな、とは思いますが、
み旨で訓練されてきたからこそ、
怨みの霊の誘惑を克服できたものがあると思わされます。

そして、3番目のアドバイスに関してですが、
浅川先生は言及されてはいませんが、
やはり、『清平』という、天から与えられた恩恵、
この恩恵にあずかることができる、ということが、
本当に感謝でなりません。

怨みの霊に関しての記事は、次回が最後になります。




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2019年08月11日

3人いれば、私たちに神の運勢が降りてくる?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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久々に李ヨハネ先生のみ言を紹介します。
今回は、『天が臨在される教会』です。


私たちという共同の集まりに、
神の運勢が降りてくることができなければなりません。

イエス様のときもそうです。
イエス様個人を見ると、それこそ驚くようなかたですが、
ユダヤ民族が、自分たちと共同の運命にある主を
個人的な十字架の運命に押し出してしまったので、
神が働くことができませんでした。

同じように先生のみ旨を見るとき、
皆さんも私も共同責任を負っています。
あなたが間違えば私も間違え、私が間違えばあなたも間違える
という共同運命圏内にいるということです。

共同運命圏内つまり共同摂理圏内にいるのですから、
中心がなければなりません。
神が臨まれる基台を立てることのできる中心がなければなりません。

今日、教会にそのような人が何人いますか。
せめて三家庭だけでもいなければなりません。

お互いの心配が同じで、無言で通じ、
お互いに心を合わせることのできる三人がいれば、
神は「私があなたたちの願いをかなえよう」と言うことができます。

もう一度いうと、この地上に二、三人でも、基準が高かろうと低かろうと、
情的にさえ心を一つにするようになれば、
神が共にいることができ、責任を持つことができるというのです。

例を挙げれば、病気を治そうと祈祷するとき、三人が心を合わせれば、
病気が治るようにしてくださるということです。
その病気がお酒を飲んだためのものであったとしても、
何をしたから病気になったのかと問いただす必要もなく、
二、三人が心を合わせた祈りに神はこたえてくださるというのです。

これが原理です。
このように神のみ旨のために二、三人でも心を合わせれば、
神が共にいることができるということです。
それは原理的な数字です。

ゆえに家庭時代に入ってきた統一教会に、
お互いを貴重に思い、切なく思い、
夫婦の間に無言のうちに情が行き来しうる家庭が
最小限三家庭だけでもあれば、どれほど貴重なことでしょうか。
そのようになれば、その家庭は宝の中の宝です。

1977年7月24日(日)中央修練所
聖日の礼拝
苦痛の価値性


「三人」というと、三位基台を思い出しますね。
私たち3万双は、印刷された名簿を渡されて、
「この人たちが三位基台です」と言われまして。。。
しばらくは、電話や年賀状をやり取りしていましたが、
向こうも事情があったのでしょうか。
返事がなくなり、住所が変わったのか送り返されたり、
どうされているのか、音信不通です。

三位基台もヨハネ先生が語られるような内容が、
本来の願いだったのではないか、と思います。

形は違いますが、
お互いのために本音で授受し、祈りあう、
そんな教会が発展しています。
天の願いが実っているというのは、
神様も喜んでおられるのではないか、
そのように思わされてなりません。

縁あって出会った私たちですので、
本当に深い関係を築いていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:06 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする