2019年09月12日

「信仰基台」が立てば、「実体基台」は自動的?! 「親心」に入る 《蝶野部長7》



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サントメ・プリンシペ 孝情真の家庭祝福式(2019.9.6)☆


蝶野部長の夫婦講座、
続編です。


(堕落したのちの復帰原理の信仰基台ではなく)
人間の本来の成長期間の信仰基台だったら、
(それだけで、すでに)愛になっています。

人は苦労すれば愛に転ずるのです。
信仰基台だけで、愛がからっからだとしたら、
(それは、本来の信仰基台ではありません)。

メシヤのための基台としては、
外的な象徴的、数理的な内容なので、
よしとすることもできるでしょう。

失ったものを取り戻すのが、信仰基台です。
しかし失ったものが何だったのか、
よく我々はわからなかったということになるかもしれません。


信仰基台とは親心に達することです。

間接主管圏は、神様を愛する喜びで成長していきます。

親心の中に入っていくと、
目の前にいる人、横にいる人を愛したくなるんです。
つまり信仰基台が立てば、実体基台は自動的なんですね、ほんとは。


ところが原理講論では、
「信仰基台は成功して実体基台は失敗した」と書くので、
私たちは、「信仰基台を立てたから、あとは実体基台ね」
(という言い方をしますが)
それは信仰基台の立て方が間違っているので
展開しないということなんです。

なぜ、「信仰基台」が成功したという風に表現されたかというと、
「メシヤを迎えるための条件」だったからです。


みなさん、本当は自分作りのことなんですよ。
自分を作る話なんですよ、信仰基台、実体基台は。
自分を作る条件なのにお百度参りのような感覚に日本人はなっている。

何かを起こすために立てる条件。
違います。

創造原理は、信仰基台は、「成長して完成」だから、
私を作る条件のことなんですよ。
(そういう意味では、統一原理から)
統一思想に切り替えていかなければなりません。

信仰基台の立て方が間違っている。
メシヤを迎えるための条件だから、
成功、失敗(という言い方が出てきます)。


ですから皆さん、
子供がお母さんをめちゃくちゃ愛して成長していたら
お母さんの情に立つでしょう。
そしたらブーブー言う兄貴を愛することができるわけなんですよね。

なぜかというと親心に入っているからです。
それが信仰基台、実体基台です。
だからめちゃくちゃ親を愛してるんだけど、兄貴は愛せません
というのは、絶対ないです。

ですから復帰原理においては、堕落性を脱ぐための蕩減条件というのが
ここに加わって来るんですね。
男性を立てるために信仰基台を立てるからです。


一連のことを考えてみた時、信仰というものがそれなりにあるならば、
必ず愛という形に展開しているはずです。

もし愛せないという思いがあるならば、信仰基台が弱い、
あるいは間違って立てている、
あるいは、立てることによって自分が強くなっている。
おれは昔このようなことをやってきたんだ
というのが強くなってきている。。。

これは信仰基台とは逆の立て方になっています。
自分がなくなっていくというのが、(本来の)信仰基台です。

親を愛する、親の気持ちに入っていくから、
困った兄弟がいれば親の気持ちで愛します。
(それが)原理です。

信仰基台というのはめちゃくちゃ簡単よ、
皆さん、親心の話です。

親を愛して愛して、親の心に入ったら困っている人を
親の気持ちで愛せる親の愛する兄弟を愛せるでしょう。

本当の親孝行というのは、親を愛する子ではなくて、
親が抱えて困ってる、
「お前はいい子で家にいてくれて教会にも行ってくれる。
だけど長男は家を出ていない」
そういうお兄ちゃんを、親の心がわかって訪ねていく子供が
実体基台を立てようとする子供の位置なんですね。


だから私たちは配偶者に対して、真のものが出てこないというときに、
神様を愛していないということがバレているということなんですね。

こういう話は、ぱっと初めて聞いてもわからないが、
原理を通してみれば、明白にわかるようになるのです。



信仰基台が一番重要である、ということ。

確かに復帰原理では、「信仰基台が成功した」
そのように講論では記述されているし、
私たちもそのように習ってきたし、
そのように教えてきてしまいました。

しかし、よくよく考えたら、
蝶野部長の語られるように、
メシヤを迎えるための基台造成のため、
あくまでも条件的、象徴的勝利であり、
本当に信仰基台が立っていたら、
(ほぼ自動的に)実体基台が立つのです。

そして、「親心に入る」ということ。
天一国時代に入り、
また、二世、三世、と信仰を相続するにおいて、
このことは、本当に重要だと思いますし、
今の日韓問題にしても、
お互いに親心があれば、解決できるのにと思わされます。
やはり、お母様の語られるように、
神様に対する信仰、心情圏を持つことが
重要であると思うのです。

続きます。







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posted by ten1ko2 at 12:00 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

お母様から頂いた赤の勝負服、日本語でスピーチ! 「サントメに負けないで」☆妍娥ニムin鳥取



190911-2010908.jpg
9.8☆


アフリカの小国、サントメ・プリンシペで
お母様が大きな勝利をされた後、
日本においても、
人口の最も少ない鳥取、その歴史を塗り替える
6000名大会が、文妍娥(ムン ヨナ)様を
お迎えして成功裏になされました。

そのあとの祝勝会の報告です。


大会終了のわずか1時間半後、鳥取教会に妍娥様をお迎えし、
鳥取大会祝勝会が行われました。

来賓として大会から引き続き、町長、県会議員など
現役政治家が5名参加しました。
総勢80名が参加する祝勝会となりました。

来賓挨拶は、一人の予定でしたが、
結局来賓皆が一言ずつ感想を述べることとなりました。

議員は皆、数の多さ、地方創生のテーマに合致する大会の趣旨、
韓日関係の重要性の再確認などについて各々話をされました。

大会感想を発表した大学生の祝福二世(女子)は、
真のご家庭である妍娥様を鳥取と自分の教会にお迎えできた感動と、
今日に至るまでに鳥取食口たちが、助け合いながら
精誠の限りを尽くして、毎日夜遅くまで準備をする姿に
本当に感動したと涙ながらに証をしました。

青年学生のエンターテーメント、
教区長の独唱のあと、
妍娥様がメッセージをくださいました。


日本一小さな県で大きな大会の勝利をしましたが、
56万よりももっと小さな、人口20万のサントメの
今回の勝利に負けないようにしてくださいと
更なる前進を期待すると語られるとともに、

一つの心、一つの目的でこの日を迎えたことの素晴らしさ、
またそれが素晴らしく尊く感じるのは
真の父母様へ捧げる苦労と努力だからだ、など、
短く簡潔に語ってくださいました。

そして、

「27年前に来られた真のお母様への感謝と慕わしさで
もう一度真のお母様をお迎えする思いで
精誠を尽くされた食口の皆様に、
今日大会で着た、真のお母様からいただいた
この赤い洋服を、皆様に捧げます。

サントメに行かれているお母様が、この衣装と一緒に
鳥取の地に来てくださったという
お母様の皆様への真の愛の証として、
贈呈しなければと思わされました。」


と言って教区長、教区婦人代表に
綺麗な箱に入れてプレゼントしてくださいました。

そして
「お母様が恋しくなったらこの服を見ながら頑張ってください。
今日まで本当にご苦労されました。」

とお話してくださいました。

さらにお母様のよく歌われる歌も1曲歌ってくださいました。

真のお母様に愛されていることを皆が実感する祝勝会となりました。

鳥取大会祝勝会の報告(速報板)


今回の行事は、6000名の集会でした。
参加したある県議がこんな話をされていたそうです。

「6000名の大会と聞いて、
本当にそうなのかな?
家庭連合さんはほらを吹くから(笑)
そんな思いにもなりました。
しかし、本日参加しまして、
見事に6000名が埋まっていました。
家庭連合さんの力を思い知りました」
(文責:ten1ko2)

これまで鳥取県内で最も大きな大会が、
3000名ということなのだそうです。
鳥取県史上、まさに歴史的な大会になりました。

今までの、地道な歩みと、
お母様をお迎えしたい、という
熱い思いの賜物だったと思います。

また、妍娥様もそんな精誠をご存じなのか、
今回の大会での25分間のスピーチを全て、日本語で語られたそうです。

当日まで、3日間、「誰も来ないように」
と語られて、ホテルに籠りっきりになり、
夜中の3時まで、ひたすら練習をされたとのこと。

先日、地区で徳野会長の集会があり参加したのですが、
そのとき、ちょうど妍娥様から連絡があり、
少しハングルでやり取りされていました。

徳野会長も、直接、現場にはいかれませんでしたが、
日本語が素晴らしかったという報告を聞いていたので、
そのことを讃美されたら、
妍娥様はこう答えられたそうです。

「少し前に原稿を準備してくだされば、
いつでも日本語でやりますよ」

お母様の代身として、
見事に勝利された妍娥様でした。





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posted by ten1ko2 at 10:13 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月10日

もっとも孤独だったのは、神様! 孤独は、怒りと不安に変わったのか 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」より、
続編をお伝えします。



縦的な解決方法

では、縦的な視点に立った、縦的な解決方法とは、
どのようなものなのでしょうか。
具体的にどのように解決をしていけばよいのでしょうか。

そのことを考える前に、不安と怒りについて、
歴史的な問題として、もう一つ考えておかなければならないことがあります。

不安と怒りの背景には「孤独」があると述べました。
不安と怒りは、私たちの中の自尊感情の低さから生まれてくるものであり、
自尊感情の低さは、小さい頃の、特に親からの否定的なメッセージから来ています。

そのため自尊感情が低い人は、孤独感を抱えており、
その孤独感が不安や怒りの背景にあるということです。


堕落を引き起こしたルーシェルは、
神様がアダムとエバを愛されるのを見て、孤独を感じたし、
カインも、アベルだけが神様に供え物を受け取られるのを見て、
孤独を感じていたということです。

その孤独感が、不安と怒りにつながっていったのです。

ところで、ルーシェルもカインも孤独であったと述べましたが、
歴史上、一番孤独だったのは誰でしょうか。

「統一原理」を学んだ者であれば誰でも知っているように、
それは神様です。

人類の堕落によって、家族も、万物も、すべてを失ってしまったのが神様です。

どんなに孤独でも、堕落人間には家族がいます。
慰めてくれる自然界があります。
ルーシェルも孤独であったとはいえ、人類の堕落により、
偽りの関係であったとしても、家族をもつこととなりました。

しかし、神様は、本然の相対関係を結ぶ家族も万物も、
何もかもなくなってしまったのです。
ですから、歴史上一番孤独だったのは、間違いなく神様なのです。

ところで、孤独は不安と怒りにつながると述べました。

では、神様はどうだったのでしょうか。
神様と人間は親子なので、同じ情の構造をもっているはずです。
ということは、神様も、孤独の中にあって、
孤独は不安と怒りに変わったのではないでしょうか。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第2章 心の問題と復帰歴史


神様は一番孤独であった。。。
このことを解き明かされたのが、真の御父様でした。
真の父母様が、同じような心情を通過してきたがゆえに
理解できたのかもしれません。

イエス様も神様の愛の種を受け継ぐ、
独り息子の立場ではありましたが、
神様が孤独であった、と聖書には記述されていません。

神様の心情は誰よりもご存知なイエス様でしたし、
おそらく、その思いも弟子たちに伝えた部分もあったでしょうが、
実際には、弟子たちもわからなかったのではないか、
そのように思います。

そして、今、真のお母様は、誰よりも
神様のご心情を御存じでしょう。

御父様への書信に
「お父様の聖和後は、言葉では言いようのない、
『私だけが残りました』という立場でした」
とあります。

これは、お父様のことを
そして神様のことを思い、
絶対に引き下がることはできない、
というご心情で、語られたみ言だと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:58 | Comment(2) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする