2019年09月09日

監獄に行くのも、「運がいい」?! お父様の半端ない自己否定 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生の「原理に関するみ言の証」より、
自己否定の意義と秘訣、続編です。


皆さん、統一教会に入教する時、喜んで入ってきましたよね?
原理が素晴らしく、神様のみ旨も素晴らしく、
希望を抱いて入教しましたよね?

ところで、入教してみたら、どうですか?
教会ではやりたくないこと、
できないことをしきりにやらせますよね?
なぜでしょうか?

それは、サタンが好きなことはどこまでも
サタンと一緒にいなければならないし、
私たちはそれとは反対に、やりたくないこと、
できないことをして自己否定をしなければならないからです。

献金することも大変ですよね?
でも、しなければなりません。
伝道も大変でしょう?
しかし、伝道しなければなりません。

祝福、皆さんも祝福を受けて、
また他人にも祝福を受けさせるのは
難しいでしょう?
しかし、祝福も受けさせなければなりません。

これがすべて自己否定の訓練、
神様へと帰るために訓練です。


ある日、お父様に、
「ある食口が熱心に活動していましたが、
教会を離れてしまいました」と報告すると、
「そうか、その人は原理がよくわからなかったんだね」
とおっしゃいました。

なぜなら、原理が願うことは、
まさしく自己否定であるからです。

私たちが原理をよくしらなければならない理由が
何であるかと言うと、
難しくてもやるべきことは
必ずやらなければならないためであるし、
それが神様に帰る道であるためです。

それで、私たちは原理を学んでいます。

それで原理を知れば、私たちは不平不満を言うことができません。
私たちがやるべきことは、必ずやらなければなりません。
ひたすら全力を尽くして、やらなければなりません。


お父様は、

「神様は私ができないことをしきりにさせたが、
 私はそのたびに、
 本当に死を覚悟して耐えながらここまで来た。
 私がどんなにたくさん泣いて、
 どんなにたくさん身もだえしたかわからない。
 楽に歩んできたら、
 統一教会がこんなにも発展することはできなかった。
 神様がムチ打って押し出しながら、
 やれと言われるので、ここまで来た」


と語られたこともありました。


お父様は監獄に行かれる時も、運が良いとおっしゃるそうです。

普通の囚人たちは、監獄に行くと
監房に入りたがらないので、
看守が背中を押してやっと入るのですが、
お父様は走るようにして行かれるそうです。

どこに行かれても、神様はいつも
12名の弟子たちを準備してくださるので、
そこに行けば、間違いなく誰かが
待っているだろうと期待をして、喜んで入られるのです。

「今回、神様が準備している人は誰なのか?」と言って、
懐かしい人に会いに行くようなワクワクする心情で、
飛び込むように行かれるそうです。

それは、お父様が蕩減法を知っているからです。



み旨の道は、自己否定の道。
確かにそうですよね。

私が献身したときは、
幼くて幼くて、何もわからない時でした。
「なんでこんなことしているんだろう」
み旨を歩みながら、我に返ると、
基準が下がっているときもありました。

しかし、神様は幼い者でありながらも、
み旨を通して、訓練してくださり、
少しずつ成長させてくださいました。

そして、限界にきたときには、
乗り越えて勝利してくださった、
真の父母様を見つめながら、
相続することを通して、
神様、父母様に近づくことができました。

「離れた人は原理をわかっていない」
お父様はそのように語られますが、
残った者たちも原理をどれくらいわかっているか、
そのように尋ねられたら、答えようがないですね。

しかし、神様、父母様に近づいていることは、
ハッキリと「アーヂュ!」と言えると思います。

これからも勝利された
真の父母様を慕いつつ、
歩んでいきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 07:48 | Comment(3) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月08日

祝!! 「サントメはお母様の国、いつでもお越しください」大統領 《サントメ・プリンシペ》



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アフリカの小さな小さな島国、
サントメ・プリンシペでは、歴史的な大会が行われています。

事務総長の現地リポートを要約してお伝えします。


サントメ・プリンシペでのサミット(Africa Summit 2019) の開会式は、
勝利的に奉献されました。

開会式の前の午前9時30分、大統領宮で
大統領の歓迎接見を受けて会談をされた後、
大統領とともに、サミット会場である国会議事堂に到着しました。

サントメ大統領、首相、副首相、国会議長、
サントメ・プリンシペの国会議員全員(55人)、大臣全員(15人)、
市長、政治指導者、宗教指導者 200人余りと、
海外から来られた前・現職大統領、大統領代行、国会議長・副議長、
国会議員、宗教指導者 200人等 800人余りが集まった中でサミットが進行されました。

プログラムとして、まずサントメの国家斉唱、超宗教の祈祷、
歓迎の辞(ケシー・リグニ UPF アフリカ議長)、開会辞(サントメ、首相)、
基調講演(ギニア、ビサウ前大統領、ニジェール前大統領)と、
サントメ大統領の紹介(サントメ副首相)、大統領基調演説(サントメ、カルバユ大統領)、
そしてグッドラックジョナサン前ナイジェリア大統領(ISPC アフリカ委員長)の
紹介を受けて、真のお母様の特別講演がありました。

多くの拍手と歓声でお母様の講演が何度も中断されるほどに、
素晴らしいみ言をくださいました。
神サントメ・プリンシペの祝福を祝福されながら、
真のお母様と一つになって天国のモデルを作ろうという貴い祝福をくださいました。
本当に涙が流れるほどの感動的な演説でした。

サントメ大統領は開会式後「今日はサントメの歴史において、
今後ずっと記憶される日になるでしょう。
サントメを神サントメとして祝福してくださった
真のお母様に本当に感謝申し上げます。
真のお母様をお迎えすることができ、本当に嬉しく有難いです。
サントメは天国のモデルになるでしょう。」という感想を残しました。

その晩には、サントメ大統領主管の真のお母様歓迎晩餐が
マリアナ船上レストランで、とても格調高い中で進行されました。
2019.9.5


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サントメ・プリンシペでの国家主管の祝福式が、
真のお母様の精誠の中で見事に勝利的に奉献されました。

今回の国家主管の祝福式のためにサントメプリンシペでは、
6000双の予備祝福(40日聖別、3日行事、原理修練など)がなされた中で、
各地域別(7ケ州)の政治、宗教、伝統族長など、
国家の推薦によって選抜された600カップル1,200名の指導者たちが、
真のお母様の祝福を受けるために国会議事堂に集まりました。

朝8時からすでに祝福候補家庭たちで満席になった祝福式の会場は、
まさにサントメの歴史上今まで一回も経験することのできなかった、
祝祭の場、祝福の場となりました。

真のお母様とサントメ・プリンシペ大統領が、
堵列したトゥロリ(付添い人)たちの間をとおり、
並んで入場されて国家主管の祝福式が始まりました。

サントメ・プリンシペ大統領とともにサントメ政府を代表する
首相、副首相、国会議長、長官(家族部、労動部、外交部、文化部の長官など)
と前大統領など、17名の代表団たちが真のお母様を中心に舞台下手の左側に、
また真のお母様を中心に舞台上手の右側には
今回の祝福式に祝福を受けるために参加したトーゴの総理夫婦、
ギニアビサウ前大統領夫婦など、15名の海外前現職首脳たちが
聖酒式の後祝福を受けるためにともに参加しました。

サントメ国歌斉唱、超宗教の祈祷(ハデベなど 3名の宗教指導者)、
歓迎の辞(サントメ労動部長官)に引き続き、
真のお母様が舞台の中央に登壇されて
聖水儀式、聖婚問答、祝祷、礼物交換、聖婚宣布の順序で祝福式が進行されました。

特別に聖水儀式では政界、宗教界を代表する60双のカップルたちが
12双ずつ5回にわたって真のお母様から直接聖水を受ける恩恵を受けました。

引き続きサントメの家族部長官がサントメ政府を代表して
真のお母様に感謝の花束を奉呈し、
国会議長がサントメ国民全体を代表して祝辞を語りました。

国会議長は「全世界によく知られている有名な国々は、
とてもよい暮らしをしているか、あるいは戦争が多いかの、ふたつの中の一つですが、
サントメはそのふたつともないので全世界に知られていない国です。
しかし真のお母様が来られたので、サントメは世界のサントメになりました。
真のお母様の祝福によって神サントメを成しましょう。」
という素晴らしい祝辞をして、参席者たちから大きな拍手を浴びました。

特別公演と誓約式の後、真のお母様はサントメ大統領にグッドガバナンス賞を、
首相と国会議長には感謝牌を伝達した後、
(私たちのグループである)シンジョン特装車で開発した消防車を
サントメに寄贈する寄贈式がありました。
皆が大きな拍手と歓呼で真のお母様に感謝の礼を捧げました。

そして今回のサミットの勝利と真の父母様御聖誕100周年、
ならびに天宙聖婚60周年を慶祝するケーキカッティングを
サントメ大統領と政府閣僚たち、そして海外の首相たちとともにして、
億万歳で終わりました。

国会議事堂を出て行かれる真のお母様にサントメ大統領は
「このサントメはお母様の家であり国ですから、
いつでも来られてください。」という挨拶をしました。

同時に今日の行事はサミットと同様に、国営放送で生中継され、
また同時に14個のメディアでも生中継されました。
そして海外言論社でも今回の祝福式を大々的に報道しました。
2019.9.6

(文責:ten1ko2)


サントメプリンシペは、人口20万(2017年)
世界最貧国のうちの一つです。

国会議長が話されているように、
名前を知らない人も多いのではないでしょうか。
それでも国連加盟国です。

今年、基元節のサミットにも
大統領が参加されましたが、
今回、国会議員全員がサミットに参加し、
また、大会も祝福式も、
「国会議事堂」が会場ということですね。

事務総長の報告を読ませていただきながら、
天の父母様、そして真のお父様が
霊界からどれほど喜ばれておられるか、
その思いが伝わってきて、感無量でした。

全てのVIPが参加された、というのは、
例え小国であろうと、前代未聞のことです。
それだけ、お母様にオールインした(すべてをかけた)
ということなのだ、と思います。

まさに、一点突破、全面展開です。
この国の発展を祈りつつ、
多くの国々で、このような奇跡が起きることを
切に願うばかりです。

お母様、おめでとうございます!
そして、ありがとうございます!!




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2019年09月07日

人を救うのは、自分を救うこと 力が出ないときは、為に生きよう! 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
感動的な実話を通して、真の父母様と
私たちの関係をわかりやすく紹介しておられます。

実話は少し長いのですが、どうぞ。



ある中学教師の忘れられない思い出

神様と人類と文鮮明先生の立場を想起させる感慨深い実話があるので紹介します。

市販の雑誌に掲載された、ある中学教師の忘れられない思い出です。
女性教師は、中学生の文集に、一つの俳句を見つけて衝撃を受けます。

 「母恋し夏の夜空となりにけり」

これを作ったのは中学二年生のA子でした。
病気のために母親が亡くなったのです。
残されたのは、中一の妹と四歳の弟、父親と七十を超えた祖母でした。
家事の一切はA子の肩にかかってきました。

最初は、弟の母親代わりとして努力をしましたが、
やがて耐えられなくなりました。
中三になり受験の重荷がかかると、心も生活も乱れ始めました。
マニキュアをつけ、パーマをかけて、
理由のない欠席をするようになりました。

女性教師は、A子の担任となりました。
ある日、欠席した彼女から電話がきたのです。

あまりにも苦しそうな声だったので、
昼食のおかずを買って家に飛んでいきました。
布団を被ってA子は涙をぽろぽろ流しながら訴えました。

「こんな家、おもしろくない。みんな幸せそうなのに、
なんで私だけこんな苦労せんといかんの。
成績も下がる一方、高校は行きたいのに──
でも、この家に居おったんではあかん。
先生、わたし、家出したい……」。

教師は泣きじゃくるA子を励ましながらも、
どうすることもできない空しさに襲われました。
クラスの子たちは、自分のことで精いっぱいで、
派手な振る舞いをするA子に近づく者はほとんどいませんでした。

教師はA子のことを考えるたびに落ち込むばかりでした。
教師の顔から明るさと笑顔が消えていきました。


そんな日々が続いているときのことです。
教師が廊下を歩いていると、同じクラスの香織という子が、声をかけてきました。

「先生、私にA子さんを誘わせてください。
明日から毎日A子さんを誘って歩いてきます。
私の家より向こうだけど誘いに行きます。
先生がA子さんのこと、とても心配している気持ちよくわかるんです。
今、私にできることは、A子さんを毎朝誘いに行って、
せめて欠席のないようにすることだけです」。

教師は驚きながらも、喜んで頼みました。

それからの出来事は教師が一生忘れられない感動を
呼び起こすことになったのです。
教師は語っています。


 A子は最初の日びっくりしたという。
 しかし感激の方が大きかった。
 私のことなんか誰も……と思っていた時に香織の朝の誘い、
 そしてそれは三月の卒業までずっと続いたのだから。

 歩く仲間は増えた。
 一人増え、二人増え、三月には五人の友に囲まれて、
 嘘(うそ)のように元気な明るいA子の姿が見られるようになったのである。

(香織さんありがとう)私は何度心の中で叫んだかしれない。

 無事高校入試も終わり、A子も見事希望高校に合格。
 喜びの中で中学の卒業式を迎えた。
 この日、式場へ移る前に、私は教室へ足を運んだ。
 教室の中は喜びに沸き、ひとりひとりの満足しきった表情を見て、
 私は思わず涙をこぼしてしまった。

 そんな私の前へ、つかつかと香織が歩み出て来たのである。
 (香織さん、本当にありがとう)手を差し伸べながら私が言おうとした時、
 それよりも早く、彼女の口から、
 「先生、ありがとうございました。
 A子さんと歩かせてくれてありがとうございました」という言葉が飛び出たのである。

 私はとまどった。
 そんな私におかまいなしに香織は続けた。

 「A子さんと同じクラスになれて、A子さんと歩けたことは、
 今の私にとってこの上なく大きな幸福であったと思っています。
 歩きながら、私は本当にたくさんのことを考えさせられました。
 A子さんと歩いて、自分の心が素直に開いていくのを感じたのです。

 自分勝手でわがままだった私を変えてくれたのは、
 A子さんとの出会いなんです。
 先生、ありがとうございました。
 そして、A子さん、ありがとう」。

 教師として子供たちに接して十余年、これほど私の心を揺さぶった言葉はない。
 A子を見事に立ち直らせ、しかもそのことですばらしい心を育てた香織。

 苦しみを背負う人たちに係(かか)わって、共に歩むということは、
 自己中心的な考え方を多く持つ子供たちの中では、
 全く意味のないことと思われているに違いない。
 しかし、この香織の一言で私は大きく変えられた。

(PHPアーカイブス、私を支えた一言「PHP」ベストセレクション、
PHPスペシャル2月増刊号Vo1. 1、PHP研究所、22─25 ページ)

苦しみ喘(あえ)ぐA子が人類の立場。
A子を見つめて悲しむ教師が神様の立場。
教師の悲しみを思ってA子を救い、
教師を喜ばせた香織さんは文鮮明先生の立場。
そう考えてみたらどうでしょうか。

神様の喜びとは、苦しんでいる人を救うこと、なのです。
時として、私たちは自分が苦しみから解放されるために神様を求めます。
神様に寄りすがり、願います。

しかし、神様は目の前で苦しんでいる人を救うことを願われているのです。
もし、私たちが、自分の苦しみよりも、もっと苦しんでいる人に関心をもち、
心を向けてみたら、手を差し伸べてみたら、
きっと、神様はお喜びになるに違いありません。

だから、人類という言葉を、
夫や妻に、親や子に、嫁や姑に、そして、知人友人に置き換えてみましょう。

「苦しんでいる夫を救って、神様を喜ばせてさしあげなさい」

「苦しんでいる妻を救って、神様を喜ばせてさしあげなさい」

浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第一章 苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばせてさしあげなさい


このみ言を読んで、昔お世話になった、
巡回師のお姉さんがよく話していた言葉を思い出しました。

「心霊基準が下がっている時ほど、
ために生きなさい。
そうすれば、自然と基準があがっていきます」

私も若い時、青年部のスタッフをしていて、
「自分なんて、必要ないな」と思った時がありました。

当時のアベルがそういう私の思いを察知して、
「毎日、トイレ掃除をするように」
そう言われて、実践していく中で、
自然とみ旨に投入するようになりました。

その時に、「おそらく、先輩も、
同じようなことをしたんだな」と思いました。


もちろん、為に生きることは、
どんな時にもするのですが、
基準が下がると何もしたくなくなるし、
「自分なんて、必要とされていないのでは」
そう思ってしまいがちです。

ために生きることは、
人のためにするのですが、
相手も周りも幸せになり、
さらに自分自身が一番恩恵を受けます。

また、そういう経験があれば、
基準が下がったA子さんのような人の
気持ちも分かると思うのです。
そして、思いつきで一回だけ為に生きるのではなく、
毎日続けていく。。。

元気な時はもちろんですが、
基準が下がり、力が出ないときほど、
よいことをする、具体的に実行し、それを
毎日のご飯を食べるように
継続するのがいいようです。

創造原理には、霊人体の成長(復活)は、
生霊要素と生力要素とありますが、
これは事実ですね。

私たちの生きる源は、
み言(真理)と愛の実践だなぁと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 10:44 | Comment(1) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする